その1
肩口より下まで伸びてしまっていた髪は、頭の後ろで一本に結わくにしても、収まらない髪が垂れて面倒くさい長さになっていた。
もともと自分の髪を結わくという才能も無いルディエラだ。
次兄のバゼルが自宅にいる時は決まってバゼルが結い上げるし、普段であればセイムが三つ編みにしてくれる。
手の込んだ結い編みはマーティアの担当で、自分がすることといえばせいぜいブラシをかける程度。それだってセイムに「乱暴にしないっ」と最終的に取り上げられることもしばし。
「首がすーすーする」
自分の髪型について頓着する娘ではないルディエラだが、さすがに今回のように首筋までばっちりとでる程に髪を切ったことは無かった。一般的に女性は腰辺りまで髪を伸ばしているものだし、ルディエラはあくまでも女である自分を捨てていた訳ではない。つい先日までは。
だが、今は完全に考えを改めた。
女など捨ててやる。
身も心も男になるのだ。
捨てたところで一月に一度訪れるお客様は傍若無人だということに気づいていない脳筋ルディエラ十六歳。
髪を切りながらセイムは「男らしくざっくりといきましょう」と、何故か異様に明るい口調で言っていたが、確かに今回の髪型ときたら男らしい。
現在のルディエラの決意をセイムは読み取ったのかもしれない。
さすが幼馴染、付き合いの長さは伊達ではない――セイムって凄いなー、などと純粋に思うルディエラだが、実際はセイムが手元をしくじらせてざっくりと髪を切り落としてしまったのが原因だ。もう少しで修正すら不可能な領域であったが、なんとか誤魔化してできあがったのが、現在の襟首まで整え、切られたいわゆるベリー・ショート。
首筋につんつんと当たる短い髪を引っ張って、ルディエラはにんまりと口元を緩めた。
娯楽室にある大きめの姿見の前で悦にいるようにして鏡に見入っていたルディエラは、誰から見ても機嫌が良かった。
顔の角度を変えて更に確認。
合わせ鏡が無いというのに、何故か一旦背中を向けて、ぐりんっと振り返って――どうあがいても真後ろを見るのは無茶だというのに、無駄な努力で真後ろが見えないものかと動いているそれは――どこからどう見ても阿呆な小動物だった。
「なんだよ、その頭っ」
昼間の間ルディエラから逃げ回った挙句、午後の訓練はさぼりを決め込んだベイゼルは咄嗟に声をあげ、思いのほか大きな自分の声に顔を顰めた。
鏡の前でちょろちょろとしていた子供が、ぱっと振り返る。
「ああ、副長。どうですか? 結構いい感じですよね?」
指を差したまま、ぱくぱくと口を開いていたベイゼルだったが、震えるような声で確かめた。
「隊長に切ってもらった?」
「どうして隊長が出るんですか? 昼休憩にセイムが来たから、その時に切ってもらったんです」
隊長に切られたのであればまだ救いがあったのだが、ベイゼルは胃が痛む気がしていた。こんなに短く切るならば、自分がやればもう少しマシにできたはずだと思えば悔やんでも悔やみきれない。
切るのがイヤで逃げまくっていたのは自分だ。
挙句、昼以降の訓練だってルディエラに近づきたくないという理由だけで、クロレルに丸投げしてさぼりを決め込んだ程なのだ。
――ちくしょう、あの家人。主の命令に忠実すぎるだろっ。
もうちょっと気を使えよ。どうしてそこまで切るんだよ。
腐っても女だぞ、コレはっ。
「随分とさっぱりしたね」
とクロレルは微笑し、フィルドは「なんか随分と雰囲気が変わったな――すっきりと。女々しさが薄くなった」などと余計なことまで付け足した。女々しいとは失礼なとルディエラは憤慨したが、確かに伸びてすき放題にはねていた髪は男らしいという言葉とは相対するものだっただろう。
「でも、なんか一箇所へんに短いところないか?」
フィルドはすいっと手を伸ばし、ルディエラの髪を無造作に引っ張った。
言われてみれば確かに一箇所――斜めにハサミの入れられた箇所がやけに短い。くいっと髪を引かれた挙句、気になる指摘を受けたルディエラはぐりんっと身を翻してフィルドを見上げた。
「へんですか?」
へんという単語にだけ反応したのか、不安そうに見上げてくる瞳にフィルドはぐっと喉の奥を鳴らした。
「へんじゃない」
硬直したまま棒読みで即答したフィルドは、顔を赤らめつつ言った。
改めて散髪ですっきりとしたルディエラを見た時、何故か「凛々しさ」を感じて少しほっとしたのだ。今までどこか幼さをかもし、肩口でくるりと跳ねる髪が女の子のようにすら見せていたものが、見違えるように少年っぽさを深めていた。
それは勿論ルディエラの女を捨てようという意思の表れでもあったのだが、フィルドは自分の胸の内にあるある種の勘違いがこのまま消えてなくなってくれるのではないかという一縷の望みを抱いた。
未だ大人になりきれていないルディエラが可愛く見えていただけなのではないか! ルディエラに抱く感情はきっと若気の至り、ただの勘違い。
だというのに、認識を改め、納得して自分が不用意に近づいたとはいえ、その距離は近すぎた。どうにか離れなければ思うのに、むしろその首筋に手を添えて引き寄せ、湿り気を帯びる唇に触れて――腕の中に閉じ込めてしまいたい……
「へん、へん、変なのは私かっっ」
フィルドは突然「うわぁぁぁ」と奇声を発してくるりと向きを変えると、そのまま娯楽室を駆け抜けていった。
「なにあれ……」
呆然と呟くルディエラに、応えられるものは誰もいなかった。
***
昨夜は良く眠れなかったベイゼルは、幾度も欠伸をかみ殺した。
後悔で眠れなくなるとはまったくもって不本意に尽きる。何より腹立たしいのは、これだけ自分がルディエラの髪の毛のことで落ち込んだというのに、当人は実にあっさりとした挙句、昨夜は「筋肉を更に強化月間」とほざき、寝る寸前まで「副長足押さえてください」と腹筋運動の手伝いをやらされたことだろう。
「やっぱり筋肉で一番美しいのは腹筋です。くっきりと割れた腹は垂涎の的ですよねー」
意味は判らなかったが、脱力していたベイゼルはおとなしくその作業に手をかしてやった。 くっきり割れた腹筋など糞喰らえ。
美しいのはぷるんぷるんの胸と尻だ。
「あのよー」
「なん、で、すか」
ふんふんっと鼻で息を出す馬鹿娘の足首を抑えつつ、ベイゼルは言った。
「今度髪切る時はやってやるから、ちゃんと俺のとこ来なさいよ」
逃げていた自分が言うのもおかしいが、次にいつの間にか切られていたらと思うと胃が痛い。
「他の誰にもやらせんな」
イライラ混じりに言えば、相変わらずふんふんと鼻を鳴らしている小娘は「りょーかいしました」と判っているのか判っていないのか判らない返事をしながら、「筋肉を更に強化月間」に勤しんでいた。
――オイ。思い返せばなんか恥ずかしいこと言わなかったか、オレ?
ベイゼルが苦い顔で隊員達を整列させていると、いつもと同じように後から現れたティナン隊長のありがたい説教――ではなく朝の挨拶の時刻。
「注目っ」
ぐっと胸をそらして腹のソコから声を張り上げて言えば、ざっと足並みをそろえた騎士団第二隊と第三隊の面々がいっせいに動く。
それを満足そうに一度眺め回したティナンだったが、ふいにある一点で視線をとめるとそれはそれは食い入るようにその瞳が見開かれ――
その眦から滂沱の涙を流した。
「ベイ……ベイ?」
「はいはーい、隊長の体調が優れないようなので解・散!」
もう止めて、ホント。