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王道で行こう!  作者: たまさ。
恋愛序曲
56/101

その3

 それは普段とまったく同じ一日の始まりであった。

王宮の一角にしつらえられた第三王子殿下キリシュエータの私室、更に隣にある個人用の食堂での朝食は、副官であるティナンからその日の予定を耳に入れ、必要なことの支持の時間でもある。

 ティナンは直立不動で予定を読み上げ、簡単な注釈も加えていたが――途中で聞こえたノックの音に一旦言葉をとめ、一礼すると食堂室の二枚扉の片方を開き、そこに立つ従僕とニ・三言葉を交わして扉を閉ざした。


「どうした?」

キリシュエータは半熟のゆで卵の殻を二股フォークの先端でげしげしとたたきながら、気の無い口調でたずねた。

 会話が中断することはままあることだが、朝食が邪魔されることは滅多にあることでは無い。

「フィブリスタ殿下からの御託(おことづけ)でございます。朝食を終えましたらフィブリスタ殿下の執務室に一度来訪せよとのことでございます」

 ぐしゃりと卵の殻が一気に砕け、微塵になった殻と半熟の卵とが交じり合った。

到底食べておいしいとは思われない物体と成り果てた卵を見つめながら、キリシュエータは肩を震わせた。


「ものすごくイヤな予感しかしない」

「そうですか?」

「……おまえは兄上と直接対じていないから判らないのだ。今の兄上は――」

 忌々し気に言葉をつむいでいたキリシュエータであったが、突然何かに気づいた様子で顔をあげ、まじまじとティナンを見た。


「殿下?」

「どこかで見たと思ったら、おまえか」

「は?」

「くそっ。どうりで腹立たしい筈だっ」


 一人で納得したキリシュエータであったが、その副官はまったく理解できずに眉を潜めた。


***


 濡れた砥石の上を片刃のナイフを滑らせる。

右手でナイフの持ち手を支え、左手の中指と薬指とを添えるように一定のリズムを刻んで指を動かし、時折ナイフの刃にそっと指先を押し当てて刃の調子を確かめる。

 指に引っかかるような僅かな感触を求めて。

「なんつーか……変な特技持ってるな?」

 ベイゼルがのほんと言う言葉に、ルディエラはひたひと指先にナイフの刃を当てながら小首をかしげた。


 夕食を済ませた自由時間――場所は鏡が置かれている談話室。

武器庫から借りて来た砥石と、食堂室から借りてきた桶とを使ってせっせと作業にいそしんでいたルディエラだった。


「特技って、そんなたいそうなものじゃないですよ?

ナイフの手入れの一貫じゃないですか。副長はしないんですか?」

「俺? 俺はおまえ、従卒とかいたりする訳でしょ? 騎士団副長はいろいろと忙しいのよ?」

 などと肩をすくめる様子は、ちっとも忙しそうに見えない。

「ま、何にしろ自分の得物の手入れをするっつーのは基本とも言われているし? えらいえらい」

 その基本を疎かにしていると言い張る副隊長は、テーブルの上に並んだいくつかのナイフ、短剣をしげしげと見つめ、その中に一本やけに握りのしっかりとしたものをひょいっと持ち上げた。

 刃色が僅かに他のものとは違うそれは、ある意味際立って目立つ。


「これ、殿下の紋章入りか」

「リルシェイラ殿下の夜会の特別任務で貰ったヤツです。握りが銀みたいで少し重いんですよね。でもそれが逆にしっくりくるっていうか」

 といったところで、滅多に使える品ではないが。

手持ちのナイフを研ぎ終わると、ルディエラはそのうちの一本を手にずいっとベイゼルへと差し出した。

「副長、お願いがあるんですが」

「あん?」

「髪がだいぶ伸びちゃったんで、切ってくれません?」


 そう、何故せっせとナイフを研ぎ始めたかといえば、当初は自分で髪を切ろうと思い、ナイフを出したのだが、いかんせん刃のコンディションが最悪だった。よく考えてみれば、忙しさと眠さにかまけてナイフの手入れを怠っていたのだ。

 

 キリシュエータから下賜された短剣をくるくると手の中でもてあそんでいたベイゼルは、一瞬素で無表情になると、手の中の短剣をすこんと取り落とし、床にどすりと突き刺した。

「うわっ、危ないですよ!

足に刺さったらどうするつもりですかっ」

「うわっ、マジで危ねぇっ」

 ベイゼルはどすりという短剣が突き刺さる音にびくりと反応し、慌てて後ずさった。後ずさったところで短剣はすでに床に突き刺さっているので無意味だが。

「おわっ、殿下の短剣。ヤベヤベっ」

「殿下のじゃなくてぼくのですけどね? 大丈夫ですか?」

 ルディエラはひょいっと床に突き刺さった短剣を取り上げてテーブルに戻すと、再度もう片方の手でもっていたナイフを取り出した。


「で、髪切ってください。前回より短くてもいいかなー、最近あついし」

「――きるの?」

 ベイゼルは喉の奥をぐっと詰まらせ、心底嫌そうにたずね返した。

確かにルディエラの髪は伸びている。前回ベイゼルが切りそろえてやってから、二ヶ月近くが経過しているのだから、伸びてしまうのも無理はないだろう。

 首筋でさらりとそろえられていた髪が、今は肩口に当たって時々くるんと外側にはねている。面倒くさそうにかきあげたり、時には紐でくくったりしているのも幾度か目撃しているから、当人には丁度邪魔だと感じる頃合なのだろう。


 だが、せっかく伸びてきた髪を切ると言われたベイゼルは正直――勘弁してくれと内心で呻いていた。

 あと一月ちょっと我慢しろ。

女の癖に短髪だなどと奇抜な髪型、滅多に無い。髪はまさに女の命なのだ。

もともとルディエラの髪がどれ程の長さであったのかベイゼルは知らないが、一般的な少女であれば、結い上げられるだけの豊かな髪を所有しているものだ。

「少し髪の量を空いて、前回みたいに揃えるんじゃなくて段差作る感じで」

 それはまさに少年のように。

せつせつと自分の髪を引っ張りながら説明するルディエラを前に、ベイゼルはじりじりと後退した。

「マジで?」

「邪魔ですもん」

「切るの?」

「なんで何度も確認するんですか?」

 ベイゼルの額に汗が滲んだ。


「あ、エージ副長」

 今にも逃げ出そうとしていたベイゼルの肩を、誰かが気安くぽんっと叩き、ベイゼルは突然現れた救いの神にすがり付いていた。

「エージって言うな、なんかしっくり来ないんだって」

「じゃあ私のこともフォードと言わないで下さい。フィルドですから」

 フィルド・バネットはさらりと返し、ちらりとルディエラへと視線を向けた。


「ナイフ並べて何してるんだ?」

「髪を切ろうと思って、まぁその前にナイフの手入れを」

「なんだか危ない。片付けてからにしたほうがいい」

 確かに研いだナイフをだらりと並べておくのも良くない。ルディエラは簡単にその場をぱたぱたと片付けることにした。

 

「ああ、それより副長、あの噂聞きました?」

 ルディエラの意識がそれたことにほっとしたベイゼルは、テーブルに手をかけてよりかかりながら「噂? なによ? 俺の愛しいナシュリーちゃんがむっつりスケベエのウィル・ヒギンズと付き合ってるっつー噂なら絶対デマだからな?」と、どうにかルディエラの髪の話題を避けるべく、自分にとっても看過できない噂話を口にすると、フィルドは首を振った。


「違いますよ。キリシュエータ殿下に内密の方がいるという噂です」


***


「おりません」


 突然の呼び出し――それはたいてい第一王子殿下、皇太子フィブリスタの呼び出しといえば突然と決まっていたが、その呼び出しの内容の突飛さに、第三王子殿下キリシュエータは心底呆れかえる口調で否定した。


呼びつけたフィブリスタは暫くキリシュエータを見ていたが、やがて息を一つついて言葉を吐き出した。

「単刀直入にたずねる。おまえに恋人がいるというのは本当か?」

 その台詞がいったいぜんたいどこから出てくるのか理解できずに、キリシュエータは執務机の向こう側で机に両肘をつけて五指を組み合わせて淡々と自分を見上げている兄を、ただまじまじと眺めた。


 前回呼び出されたことと同じように、またルディエラに関係するまったくもって下らない用事だろうと踏んでいた為、兄の口から吐き出された問いかけはまさに青天の霹靂。意味不明。

 女官には口止めしていたものの、おそらくきっとどこかしらルディエラの初潮のことなどを耳にいれてきたのだろう。いくら名づけ親だとしても、そんなことにかかずらうなど、どこぞの馬鹿兄と一緒か、お前は。

 などと内心で思っていたのだが。


――兄はいったい何を言っているのだろうか?


いぶかしみつつも、きっぱりとした口調で否定すると、フィブリスタは眉間に皺を刻みこんだ。

「ではただの遊びか。今までに浮いた噂のひとつも無いお前だから、きちんとした恋人かと思ったが」

「いや、あの……兄上? 何をおっしゃっているのか、いっこうに理解できかねるのですが」

「すでに報告はあがっている。お前が自分の寝室に女性を連れ込んだと」

 淡々とした口調に、キリシュエータは一瞬のうちに血の気を引かせた。


結局あのにんじんのことじゃないか!


「ちょっ、まって――まって下さい。兄上。誤解です。間違いですっ。そのような事実はっ」

確かにそのような事実はあるが、別に恋人とかそういう話とはまったく全然ちっとも無い。

血の気を引かせて慌てるキリシュエータに、フィブリスタはふっと口元を緩めて手をふった。


「咎めている訳ではない。遊びなら遊びで構わない。私だとてお前の年齢には……いや、それはいい――ただ、隣国からおまえに縁談が幾つか舞い込んでいる。確かに、そろそろおまえも身を固めたほうがいいだろう」

「は?」


「王族だ何だと言ったところで、おまえは元々三男であるし、軍事将軍という要職にある。他国に婿入りする訳にもいかぬし、そうすると他国、もしくは国内の女性にわが王家に嫁いで貰わねばならない。

条件としては、他国の女性であれば国交が緩まるが、他国と争うこともない現状でそういった面を考慮することもない。恋人がいるのであれば縁談を進めるのも酷かと思ったが、進めて構わないな?」


 言うべきことは済んだと更に手を振って下がるように命じるフィブリスタに、キリシュエータは言うべき言葉を失い、半分死んだ回路を無理やり接続し、咄嗟に口にしていた。


「恋人はおりませんが、想い人であればおります!」





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