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王道で行こう!  作者: たまさ。
恋愛序曲
54/101

その1

「お顔の色がすぐれないようですが?」

 ティナンは報告書を読み上げていた視線をあげ、執務机に向かい肘置きに両肘を預けて胸の前で指を組む主を見下ろした。

 かみ合わせた五指が神経質にたんたんっとリズムを刻み、第三王子殿下キリシュエータはどこか疲れたような表情を浮かべ、組んでいた指を解き、払った。


「かまうな、続けよ」

「は――」

 ティナンは眉間に皺を寄せたが、深追いすることはせずに手元の書類へと視線を戻した。

食事の後に届いたのは、隣国へと毎年の慣例として出かけている第二王子殿下リルシェイラの道程を記す、途中報告書だ。

 今回の旅程では、馬車を使い一日半掛けて街道を行き、港へ出て船を使い二日を掛けて隣の大陸へ――そこから最新式の列車に乗り換えて二日を掛け、友好国であるダレルノ公国へとたどり着く予定になっていた。


「公国までの道程において不測の事態はなく、予定通り第二王子殿下リルシェイラ様は現地、ダレルノ公国、首都ダーレ入りを果たしましたが――」

「が?」

 ぴくりとこめかみを引きつかせてキリシュエータが視線を上げると、ティナンは苦笑を落とした。


「現地入りして二日目、逃亡」

「っの、馬鹿兄がっ! よその国にまで行って何をしているんだっ」

 ぱしんっと力任せに机を叩く主に、ティナンはまぁまぁっと穏やかに声をかけた。

「時間にして二刻程でアンノワール劇場にて発見、捕獲――どうやら観劇されていたご様子ですね」

「どうしておとなしくしていられないんだ、あの馬鹿はっ」

――本人曰く、じっとしていると死ぬ病だからであるが、さすがにリルシェイラはその軽口を小姑並みに口煩いキリシュエータに向けたことは無い。

 それくらいの身の保身はできるのだ。


「そもそも――」

 更に逃亡癖のあるリルシェイラへの悪態を口にしようとしたキリシュエータであったが、丁度小さなノックの音がそれをさえぎった。

 ティナンは手にしていた書類を閉ざし、一礼した。

足音もさせずに扉を軽く開くと、扉の前に立つ侍従へと何事かと問い掛けようとしたが、その侍従を押しのける手があった。

 それは本来であれば無作法で許されるべきことではない暴挙。

「悪い、隊長、緊急」

「ベイ? おまえ、ここがどこだと」

 自分の部下といえども、礼節をわきまえない態度にティナンは主を守るべく身を滑らせてベイゼルを押し留めた。勿論、ベイゼルがキリシュエータに対して謀反を企てるなどとは思っていない。だが、ティナンの体は自然とそのように動いた。


「アイギルが戻ってこねぇ」


 ベイゼルは、しかしそんなティナンの態度を無視し、早口で言い切った。

「食事の後でクロレルと何か話していたとこまでは判ってんだけどね。

クロレルはあいつを部屋、俺達の官舎に送ったって言うんだが、その後が判んねぇ」

「――隊舎の休憩所や食堂は?」

「一通り確認したからここにいるんでしょうが。一応各部屋も抜き打ち点呼だとかホラ吹いて覗いたけどいないのよ。あいつが逃げ出すっつーのは考えられねぇから焦ってるわけ、わかる?」


 ぼそぼそと扉の前で言い合う二人を目にしながら、キリシュエータは喉元を鉛でも競りあがってくるかのような感覚に囚われていた。

 ああでもないこうでもないとぼそぼそ言い合っている間に、ティナンの手がぐっと強く拳を作り上げ、くるりと身を翻す。

 顔色を無くしたティナンが大またで執務机の前に立ち、体をこわばらせた。


「殿下、外出の許可を頂けますでしょうか」

 緊急時に備え、騎士隊隊長各は自由に出歩くことは許されていないという名目が存在する。第一隊、第二隊の隊長はさほど口うるさく言われることは無いが、ティナンは第三王子殿下キリシュエータの直属の副官として生真面目にこの命令に従っていた。


「私事で申し訳ありませんが」

 青白い顔で堅く身をこわばらせているティナンを眺め、キリシュエータは少しばかり下がってしまった眼鏡を中指で押し上げた。

 口の端がぴくぴくと痙攣し、不用意に口腔に唾液が溜まる。


「あー、おまえにひとつ、言っておかなければいけないことが、ある」


 キリシュエータは心底嫌そうに眉間に皺を寄せて口にし、ティナンは弾かれるように視線を上げた。

「ルディエラの所在をご存知ですか?」

 ティナンの背後にいるベイゼルも視線をあげてキリシュエータを見ているのをひしひしと感じる。

キリシュエータは更に縦皺を増やした。

 ティナンの真剣な表情に、背筋を冷たい汗がつっと流れ落ちた。


「まず、三歩下がれ」

「殿下?」

「いや、やはり五歩下がれ――それから、ベイゼル。ティナンの腕を確保」

「へ?」

「いいから、しっかり掴め」

 まるで犬でも追い払うかのように手を振り、一定の距離が離れ、ベイゼルが訳も判らずにティナンの腕を掴んだことを確認すると、キリシュエータは安心した様子で重苦しく口を開いた。


「私の寝――いやっ、私室、私室にいるっ」


「すとぉーっぷ、ストップ、どうどぅっ」

 ベイゼルは馬でも押さえ込む気持ちになった挙句、脳裏で彼等の上官をののしった。

軽く掴んでいた腕に力を込めて一気にティナンを押さえ込む。


「で・ん・かっ。殿下。我が君っ。

うちの子が、ぼくのルディエラがどこに居るとおっしゃいました?」

「まずは主を殺しそうなその殺気を収めろっ」


 ベイゼルががしりとティナンを押さえ込んでくれていることにうっかりと感謝しそうになったキリシュエータであったが、このごたごたを持ち込んだのはベイゼルであったことは忘れていなかった。

 

***


 女官が差し出す薬湯の香りに意識を飛ばしそうになりながら、それでもルディエラはゆっくりとそれを口にした。

一口飲むだけで軽く記憶を失いそうな程のまずさだが、面前の女官ときたら「高価な薬湯です。一滴でも零すことなかれ」という厳しい眼差しで見ている。

 草だ。

野菜ではなくて、まさに草。雑草。苦味満載のあげく、物凄く喉に絡みつくほどえぐい。

眦に涙がぼんやりと浮かび上がり、喉元に競りあがるものを必死に押し留めて、横に置かれている水でもって無理やり飲み込んだ。


 万年健康体のルディエラにとって、薬草などというものは馴染みのものでは無い。それでも何かのおりに飲まなければならない時は、セイムが蜂蜜を落としてくれたり、こっそり半分飲んでくれたりしたものだが、生憎とセイムは居ない。

 騎士見習いとなって二ヶ月近く、ただの一度も家に帰りたいなどと思ったことなど無かったルディエラだが、今切実に帰宅したかった。

 そうでなければせめてセイムを呼んで欲しい。

マーティアは要らない。

マーティア怖い。

ルディエラが病になると、何故か鬼のように嬉しそうに看病に励むのだ。


「今日より明日のほうがお辛いと思いますので、明日は十分に休養をおとり下さい」

と薬湯を用意してくれた女官が言えば、もう一人が「手当ての仕方は覚えましたね? こちらに代わりのものも用意してございますのでご使用下さい」と箱を寝台の横のチェストにそろえてくれる。

「中には薬湯も入れてございますから、痛む場合は煎じてお飲み下さい」

 もくもくと世話をやいてくれる人を前に、ルディエラは身を縮めて「はぁ……」と小さく返答した。


なんというか、激しくいたたまれない。


薬湯のおかげか、それとも手当てのおかげか腹部の痛みもある程度我慢が利く程度にはなっている。

落ち着いてくると不思議なもので、ルディエラは何故自分があんなに大泣きして醜態を晒してしまったのかと恥ずかしくて仕方が無かった。


しかも大泣きしながら「お腹イタイっ」て……子供じゃあるまいし。

挙句、その醜態を晒してしまった相手は自分の上官――この国の、腐っても、トウモロコシの髭といえども王子サマだ。


 次にいったいどういう顔をして会えばいいというのだろうか。

穴を掘って埋まってしまいたい。

地下十メートルでも今ならもくもくと掘ってしまえることだろう。

羞恥心という動力は半端ないのだ。


「あの、殿下は……?」

 後片付けをしている女官さんに問いかけると「キリシュエータ殿下でしたら執務室においでです」と簡潔な回答が返った。

 その簡潔すぎる回答を頭の中で転がし、ルディエラは眉を潜ませた。

腹が痛いと大騒ぎしたルディエラを医務室へと連れて行こうとしたキリシュエータだったが、ルディエラはそれを激しく拒絶した。


「腹が痛いって、おまえ――なんだか判らないものでも拾い食いしたのか?」

当初、キリシュエータはあきれ返った様子で言っていたものだ。

思い返せば恥でしかないが、その時のルディエラは涙をぼろぼろと流し、下腹部の痛みと熱、そして縋れるものであれば藁であろうと縋りたかったのだ。


「ちっがっうっ、だっ、しょーがないじゃないかっ」

 自分でも何を言っているのかと突っ込みたい。

「騒ぐな。まさか訓練の時の怪我か? 医務室に――」

 忌々しいという様子を隠そうともせずに手を伸ばしてルディエラを引き上げようとしたキリシュエータに、ルディエラは訴えた。

「こんなの、はじめてなんだもん。こんなっ、ぼくっ、死ぬの? もしかして死ぬ?」

「はっ? ちょっ、なにをっ」

「ぼく女なんてイヤだっ。もうイヤ。絶対にイヤっ。ぼく男になるっ。こんなことが毎月あるなんて冗談じゃないっ。 もうヤダっ。女なんてイヤだっ」

 キリシュエータは思い切り狼狽し、力いっぱいルディエラの口をその手で塞いだ。

「ふぐぅっ」

「……確認するぞ」

「ううっ」

「――」


 確認するぞ、と口にしたキリシュエータだったが、それ以上の言葉は喉の奥でゴミ屑のように丸まり、詰まった。

 ぼろぼろと泣くルディエラを眺め、深く深く息をつき――思わず顔を赤らめつつ、頭の中でルディエラの言葉を精査した。

 どう考えても、答えは一つしか出ない。

暗澹たる気持ちで、何事かを言わなければいけないと考えたが、生憎と適当な言葉が見つからず、有能である筈の第三王子殿下にして軍事将軍キリシュエータはつっかえつっかえ言葉を絞り落とした。


「はじめて、いや、あの、なんだ、その、つまり……おめでとう?」


めでたくなぁぁぁぁぁい!


 女官達が片付けを済ませて退出すると、ルディエラはその時のことを更に思い出し、やけに広くて立派な寝台の上、羞恥心でのちうちまわった。

 ばかばかばかばか、ぼくのばかー。

どんな顔して殿下と顔を合わせたらいいのさっ。

恥ずかしくて死ねるっ。


 ぎゃーっと叫びだしたい自分を押さえ込み、ルディエラは枕をぎゅっと抱きしめてばったりと体の力を抜いた。


もういい。

もう忘れた。

もう知らない。

ぼく、もう寝たっ。

 

今回使わせて頂いた「ダレルノ公国・首都ダーレ・アンノワール劇場」という名前にぴんときた方いらっしゃいますでしょうか?

実は私の他作品「陽だまりのキミ」の完結祝いとして無理矢理、『シャドゥ・ガール』のぷんにゃご様に、「使わせて下さい」と作中のヒロイン、リシェル・クロエちゃんが暮らしているダレルノ公国への招待状を強奪してしまいました! 

快く使わせて下さいましたぷんにゃご様、ありがとうございました。


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