その1
「馬上槍試合とかはないんですか?」
武器庫の壁にずらりと並べ掛けられた槍を前に、ルディエラは瞳をきらきらとさせて口にした。
尊敬する父、エリックがしてくれた寝物語では、馬上槍試合は定番の話だった。
てかてかと艶やかな馬に、鎧と鎖帷子を身にまとい、自分の身長程の槍を振り回す男と男の真剣な戦い。
飛び散る汗に白熱する場内、そして躍動する筋肉!
馬足が蹴散らす砂埃と、重く突きつけられる槍と槍。ぐっと盛り上がる上腕三頭筋に、強く馬の腹を押さえ込む逞しい大腿四頭筋と二頭筋。
ああああ、カッコイイ。
ルディエラは手入れの行き届いた槍のひとつをぐっと掴み上げ、うっとりと瞳を細めた。
「ってか、重っ」
「たりめぇだろ。軽い槍なんてどうすんだ」
武器庫の細剣を一本一本引き抜きながらゆがみを確認しているベイゼルは、ルディエラが手にした槍に顔をしかめた。
「自分の体重の十分の一くらいはなけりゃ扱いづらいし意味もない。それに、重さと勢いでもって相手を打ち負かしたり払うもんだからな」
「で、馬上槍試合は?」
「いつの時代の話よ。そういうのは戦争がんがんの時代の話でしょ。今みたいにのんきなころあいの槍試合なんざ、ただの見世物でしかねぇよ。って、まぁ、もともと見せモンだけどな、あんなモン」
嘆息交じりに近づき、よろよろと頼りなく槍を抱えているルディエラの手からひょいっと槍を取り上げ、ベイゼルはパシリと音をさせて反対の手に槍を打ちつけた。
「うわっ、なんかカッコいい」
「ん?」
「副長なのにっ」
「おまえなぁっ」
無礼な部下の言葉に唇を尖らせたベイゼルだが、冒頭にあった「カッコイイ」は気に入ったのであろう。
にまにまと口元を緩めて、ちょいちょいと指先でルディエラを招いた。
「槍術、見たいかー?」
「教えてくれるんですか?」
「ばーか。おまえにはまだまだ早いって。見せるだけ」
ルディエラは興味を失った様子でくるりと体の向きを変え、壁にかけられている槍を一本一本確かめながら「じゃ、いいや」とあっさりと返した。
「なんだよ、つまんねぇな」
食いついてくるかと思いきや、ルディエラがさらりと流してしまったことにベイゼルは拍子抜けしてしまった。
「だって絶対にぼくの父様のほうが副長よりウマイですしカッコイイし強いですもん」
「……」
そりゃそうだ。
ベイゼルの剣術も体術も槍術も、元をたどれば騎士団顧問である筋肉ダルマエリックに師事してのことだ。
だが、だからといって何という無礼な発言か。
ベイゼルは口元を引きつらせ、意地の悪い気持ちをむくむくともたげた。
「へぇぇぇ、そうかい。
じゃあ、おまえさんの大好きな父様とやらと、うちの顧問が試合えばどっちが強いんだろうなー」
「……そりゃ、当然っ」
――ルディエラは言葉を詰まらせた。
ぐいぐいと寄る眉根に、少しだけ罪悪感がもたげたベイゼルは先ほどの言葉を訂正しようと口を開きかけたが、ルディエラの眉間の皺は瞬時に解かれた。
「筋肉が二倍かぁ」
うっとり……
「見てみたいなー」
最近ちょっぴり体に余分な脂肪がつきはじめてしまった父だが、大好きな父様が二人。
躍動する筋肉が二倍。
そんな天国考えたこともなかった!
――と脳内筋肉祭りに突入したルディエラを無視し、ベイゼルはさっさと自分が支えていた槍をがこんっと壁のフックに戻し、もともとやっていた新しい剣の選定に戻った。
「あ、そういえば最近顧問がいません」
一人でおかしな妄想を楽しんでいたルディエラだが、ふとその問題の父を最近見かけていないことを思い出した。
完全にその存在自体を忘れていたかもしれない。
最近ルディエラの脳内で一番筋肉ダンディは父ではなく、第二隊のアラスター隊長に変動してしまっていた。
「おまえなー、エリックの旦那だったら今はリルシェイラ様の随行だぞ。気づかなかったのか?」
「うわっ、顧問ってそんな仕事もしてるんですか?」
「あの人は自分の好きなことだけしてんの。随行の方がもともと傭兵のあの人にとっちゃ楽しい仕事なんでしょ」
滅多に敵襲を受けたりすることは無いが、時折トチ狂った山賊やらに出くわすことがある。そういったものを相手にする時、エリックは実に楽しそうに率先して動くのだ。
「ってことは!」
ルディエラは息をつめ、信じられないっとつぶやいた。
「あんだよ?」
「アラスター隊長と顧問の夢の饗宴」
「頼むからおまえその辺の崖から飛べ」
***
「見習いはまだ戻らないのか」
不機嫌そうな第三隊ティナン隊長の言葉に、クロレルがそっと息をついてフィルド・バネットへと視線を向け、顎先で官舎の反対側――武器庫がある方を示した。
「フィード、私がティナン隊長の相手をしておくから、おまえは武器庫に行って二人を呼んでおいで。新しい剣を探しに行ったにしては確かに遅い。またあの子が虐められているかもしれないから」
最近めっきり親鳥が雛を庇うかのように見習いを気に掛けているクロレルだ。
――細剣を合わせての打ち合いで、ルディ・アイギルの持つ剣がゆがんでいることに気づいたのはベイゼル・エージ副長だった。
「おめぇは他の連中より体力ねぇんだから受けてばっかだと潰れるからな」と憎まれ口を叩いていたものの、さっさとベイゼルは件の見習いを引き連れて武器庫へと向かったのだ。
武器庫――思い切りイヤな記憶がよみがえる。
フィルドは苦いものが口の中に広がるような気持ちに顔をしかめつつも、自分の剣を腰の鞘に収めて不満を示すように足音も高く官舎の裏手へと向けて歩き出した。
――俺は病気かもしれん。
そう言った第一隊のド腐れ野郎のことは、その後もう一度見かけた時に思い切り叩きのめして差し上げた。そもそも王族警護がとち狂いすぎだ。あほんだら。
フィルドは口の端を引きつらせながら笑みを落とした。
男だというのに男が好きだなどと間違っている。
――腐っている。気持ちが悪い。ふざけるな。
だらだらと羅列される文句が勢いを増していく。
そう、ヤツは確かに病気であったのだ。
死ね。
当人はよくとも、そんな感情を向けられた人間にとって迷惑意外のなにものでもない。滅びされ。
「んー、これが一番バランスがいい、かな」
ぱしりと小気味良い音をさせて放り出された剣の柄を握りこむ音、未だ声変わりもしていないような高い声が喜色を示す。
「ったりめぇよ。俺が選んだんだからな」
武器庫の入り口で足を止め、フィルドは武器庫の最奥から聞こえてくる声に息を詰めた。
「でもいつもより重いですよ」
「だーかーら、おまえの使う剣は軽すぎるんだよ。軽いほうが使いやすいように思ってるみたいだが、悪いことはいわねぇ。ソレ使えって。すぐに馴染むようになる。それに剣を折る頻度も減るさ」
子供が新しい玩具を受けたように、見習いは右に左にと剣を持ち替え、振り、確かめるように何度も同じようなことを繰り返していたが、やがて納得した様子でうなずき、にっこりと微笑を浮かべた。
「副長、ありがとうございます」
「おう」
「副長って時々良い人ですよねっ」
「おまえ最近口わりぃぞ。なんだよ、その時々って」
「そりゃ勿論、副長性格悪いとこあるしっ」
ゆっくりと奥へと向けて歩いて行きながら、フィルドは意味もなく自分の剣の柄頭をぎゅっと握り締めていた。
意図的に息を殺し、自分の気配を完全に消し去ってしまいたい。
ゆっくりと、ゆっくりと武器庫の一番奥、声のする方向へと足を向けながら、視界に入る二人を見ていた。
軽口を言い合い、ベイゼルの手が見習いの髪をがしがしとかき混ぜる。よく見る光景だ。おそらく、日に一度は目に入るありきたりの光景。
はじめにフィルドの存在に気づいたのは、透明な青灰の瞳。
明るいオレンジのような髪がふわりと揺れて、おそらく逆光でこちらの様子が判らないのだろう。一度眉間に皺を寄せたものの、警戒がすぐに解かれた。
「フィルドさんも武器庫に用ですか?」
「いや、ティナン隊長が見習いを探している。剣が見つかったなら戻ったほうがいい」
返す言葉は、何故か不必要なほど硬いものになった。
「うわっ、結構時間くっちゃったかなー」
「おめぇが槍だとかムチだとかいろんなモンに興味示して脱線するからだろ、タコ。ほら、戻んぞ」
ぺしりと見習いの側頭部を叩き、ベイゼルは人の悪いニヤリとした笑みでフィルドを見返した。
「わりぃな、呼びに来てくれたのか」
――腐っている。気持ちが悪い。ふざけるな。
同姓を好きだなどと平気で言うヤツは滅べばいい。
私は……滅んでしまえばいい。
こんな糞ガキ相手に、私は――きっと病気なのだろう。
「フォード?」
「フィルドさん? なんか顔色悪いですよ」
いぶかしげな二人から視線を逸らし、フィルドは口元に手をあてて魂の抜けたような小さな声を出した。
「人生終わった」
泣きたい……