その2
「アイギル」
ルディエラの女装を興味津々で待っていた第三騎士団の面々の感想は概ね一緒であった。
「喋るな」
「副長までそんなこと言うしっ!」
すでに控え室にいる時にマーティアに耳にタコができる程聞かされたのだ。しかも、マーティアはにっこりと。
「ルディ様にとっておきの言葉をお贈りします」
と謎の枕詞を載せ、悪意も邪気もなく「喋らなければ大丈夫です!」と言い放ったのだった。セイムと同じ鳶色の瞳をきらきらと輝かせながら。
ルディエラは引きつり「へー?」と微妙な返事を返し、セイムは顔を背けて片手で口元を覆い、肩を上下に揺らしていた。
「ほらっ、喋ると途端にボロが出るだろ」
「女っていうには色が黒いんだよな。ベールでもかぶったほうがいんじゃないか?」
「腕が太い」
好き放題に喋りだした面々を前に、ルディエラはどんどんと瞳を細めて唇を尖らせた。
マーティアには腹がたつが、自分でもなかなかのできばえだと思ったのだ。
少しばかり第三隊の面々に「どうだっ」と得意げにお披露目したというのに、彼等ときたら笑いのネタ程度にしかしない。
いや、ネタ程度で勿論いいのだ。
ルディエラは少年なのだから、女装がやたらと似合って完璧女性扱いされても気まずい。
ルディエラはちらりと自分の手元へと視線を向けた。
二の腕まで長い手袋をしているのは、日焼けしてしまっている腕の黒さと女性にしてはちょっぴり太め、そして訓練の時に出来た小さな擦り傷やら痣やらを誤魔化す為だ。
ドレスにしたって「夜会なのですから、もう少し肌の露出があってもいいのですけどね」と不満たらたらのマーティアに対し、セイムが「もともと男の子で通してるんだから、あまり色々出したらマズイでしょ。何より、胸のトコなんて詰め物落ちるし」と、思い出せば思い出す程腹立たしい会話を交わしていた。
そうして着せられたのは、上半身は鎖骨の辺りまでしっかりとカバーされ、肩口だけが少しだけひらひらとうす布を遊ばせ、腰の少し上からは幾重にも薄緑の生地が重ねられてドレープを作り、ほんの少しだけ中着のパニエで膨らませてゆったりとしたものだった。
「体の動きと光の角度で緑の濃淡ができてとっても綺麗な色彩をみせますよ」
桃色のドレスを着せたがったマーティアは、最初不満そうにしていたが着替えさせ終わるとやっと納得したのかそんな風に言っていた。
「ルディ様日焼けが酷いから、桃色だと悪目立ちしていたかもしれませんわね」
とは、どうやら自分を納得させる為の発言であったろうが、ルディエラとしては「余計なお世話だよ」と歯軋りしていた。
そして、現在ルディエラの足――ドレスの下には銀の短剣が潜ませてある。
丁度着替えが済んだ頃合、マーティアがルディエラの髪に乗せる髪飾りを物色している時に来訪したのは、第三騎士団隊長、ティナンであった。
突然の来訪者に、それまで笑いを堪えるという作業に没頭しながら腹筋を鍛えていたセイムが衝立の奥へと消えると、程なくして短剣とベルトとを手に戻ったのだ。
「ティナン様がこれを足につけるようにと」
「夜会に刃物なんてとんでもありませんっ」
と、途端にマーティアは憤慨したが、ルディエラは化粧椅子に座ったまま勢いよくドレスの裾を持ち上げた。
「セイム、早く頂戴っ」
新しい玩具をもらった子供の瞳がきらきらと輝いているが「頼みますから、自分の格好くらいは考えましょうね」とセイムは嘆息し、自分の手にある短剣とベルトとをマーティアへと差し出した。
「姉さんつけてあげて」
その言葉を残して衝立の奥へと弟が消えると、マーティアは鬼のような形相でルディエラの前に跪いた。
「女性なのですから少しは慎みをお持ち下さい!」
「慎みなんてマーティアにあげるから」
「ルディ様っ! セイムだって男なんですよ」
その後たっぷりと説教をくらう羽目に陥ってしまった。
***
「お前たち、何を騒いでいる。そろそろ配置につく時間だろう」
冷ややかな隊長の声が轟いた途端、それまでルディエラの周りでわいわいと騒いでいた面々が背中に棒でも突っ込まれたのかというようにびしりと背筋を伸ばし、慌てて退散した。
途端にルディエラの中でも緊張が生まれる。
ベイゼルは一般隊員と違い、ティナンが来たからといって慌てふためいて退散したりなどしなかったが、それまでの息苦しい程の人口密度が途端に変わってしまう。
広いサロン内にティナンとルディエラ、そして苦笑しているベイゼル。
「隊長、配置表に修正箇所があるから一度目を通して欲しいんだけど」
飄々と言うベイゼルに一瞥をくれ、ティナンはその眼差しをルディエラへと向けた。
まるでアラを探すように頭のてっぺんから爪先までをゆっくりとその視線が落ちていく。つま先へと一旦落ちた視線がもう一度ゆっくりとした速度で這い登るのを見返しながら、ルディエラは自分が狩り出されるうさぎや野ネズミにでもなったような心地を味わっていた。
沈黙が痛い……
怒られるのであれば怒られたほうがよっぽど精神衛生的には好ましい。
鼻の奥からつんっとしたものを感じながら身を固くしていると、おもむろに顎先に手がかけられ、ルディエラはびくりと身をすくませた。
「口紅の色が濃い。少し落とせ」
「は……い」
半泣きになったルディエラが、こともあろうに自らの手でそのまま口紅を拭おうと反射で動けば、鬼隊長はその手を掴みあげ、吐息を落として反対の手でハンカチを取り出した。
「背筋を伸ばして、おどおどするな」
ハンカチを軽く押し当てるようにしてその紅を拭い、ティナンは若干眉を潜めたものの満足したように一つうなずいてみせる。
本日のティナンはそれ程威圧的な何かを垂れ流してはいなかったが、すでにルディエラの中では恐怖の存在に成り果てているのか、ルディエラの表情はどこまでも引きつっていた。
いっそ痛々しいその様子に、ベイゼルは軽く首を振った。
「隊長、今日くらいは優しくしてやんなさいよ。アイギルだって好きでンな格好してる訳じゃないし、会場でもまさか隊員として接するつもりじゃないんでしょ?」
「――」
副長、それってもしかして援護なのかもしれませんけど、怖いからお願いだから黙ってて。
ルディエラは目で訴えてみたが、ベイゼルは固まった体をほぐすように肩口を回したりなどしながら軽く言う。
「まぁ、普段のこいつを見慣れている俺等にしてみれば、ちょっと面白いけど――普通の人が見たらちゃんと立派にオンナノコだよ。そんな怖い顔してないで、淑女に対するように優しくしてやんなさいよ」
ベイゼルとしては親切心だったろう。
せっかく着飾ったルディエラが、顔を強張らせてびくびくしているのが忍びなかったのだろうし、ティナンが片意地張っているのも時には解したかったのかもしれない。
ティナンはじっとルディエラを見つめ、やがてゆっくりと一つの回答を導き出した。
「そうか、今日は部下でも何でもない」
いや、部下は部下だ。
ルディエラの女装はあくまでも王宮内部の警護の為のものだ。根本原因が第三王子殿下の酔狂であったとしても。
「そうか……」
ぼそぼそと口の中で小さく呟いていた言葉は、ルディエラには届いていないであろうが、ベイゼルにはしっかりと届いた。
――今日は兄でも妹でも、ましてや部下でも無いんだ。
いや、ちょっとまて?
兄だし、妹だし、部下であることには違いないんだが!
そいつはソレでも仕事中だよ?
ベイゼルが思わず突っ込みそうになった面前で、ティナンはそれまでの鬼隊長の表情を一変させ、きつくしていた眼差しをふわりと緩め、ルディエラの白手に包まれた手の先端に口付けた。
「今日はぼくがエスコートしよう」
もし、もーし……?