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王道で行こう!  作者: たまさ。
王宮警護
36/101

その1

「ひどいひどいひどいひどいっ」

 怨嗟の呟きを延々と繰り返すルディエラの背後、騎士団官舎に呼びつけられたマーティアは肺に溜まった酸素を一息に吐き出し、力いっぱい編み込まれた紐を引き絞った。


「ひぎぃぃっ」


 騎士団官舎内、第三騎士団の詰め所の隣にある隊員達の憩いの為のサロン、その隣にある使用人達の控え室は現在戦場であった。

 中央部分におかれた衝立の奥、漏れ聞こえる声は拷問官と咎人のそれすらも思わせる。


「ルディ様、もう少し息を止めて下さいまし」

「ひぬっ、ひぬからっ」

 窓枠に指をがっちりと食い込ませ、ルディエラはマーティアの注文にぶるぶると身を震わせた。

 キシギシと背骨が悲鳴をあげる。

これ以上締め付けられれば骨が折れるのではないかと思うのに、相手は攻撃を決して緩めようとはしなかった。

「もぉっ、あともう少しっ。筋肉ってなんて厄介なのかしら!」

 普段のルディエラであれば自慢の筋肉の悪口を許しはしないが、今の彼女はそれどころではない。

「セイっ。セイム――手伝って」

 すでに興の乗っているマーティアは心底楽しそうに微笑を浮かべ――それはルディエラにとってはまさに悪魔の笑みに他ならないが――衝立の向こう側、扉に背を預けて笑いを堪えていた弟を呼んだ。


「ちょっ、あのさ。これ以上は無理だから。

本当に、無理。駄目。だって内臓出るって」

ひょこりと衝立を抜けてその鳶色の瞳に認めたものは、ドロワーズ、むき出しの肩にコルセットという、本来であれば異性に曝すものでは到底無い様相――

涙目のルディエラの懇願に、セイムの瞳は苦笑に細まる。

 窓枠に両手をつけたまま、腰を突き出すようにして立っているセイムの幼馴染にして主は――珍しく年相応の少女に見えた。


惜しいのは、やはりその髪が首筋から少し下で切られているのが女性として多少痛々しさを見せていることだろう。その髪を補う為にと、近くの椅子には幾つかのかつらも置かれている。

 

 姉の手からコルセットの紐を受け取り、セイムはすぐ近くにあるルディエラの腰のラインを指先でつっとなぞり、その耳に息を吹きかけるように囁いた。


「そんな格好してると結構かわいい」


 突然聞いたこともない台詞を向けられ息を詰めた相手の背中、セイムは力いっぱい締め上げて鋲に紐を引っ掛けた。力を緩めずにきゅっと紐を結ぶと、相手からの報復を逃れるようにすっと後ろへと下がった。


「姉さん、このくらいで勘弁してやってよ」

「もぉっ、仕方ないわね」


 すばやく逃げ出したセイムだったが、その動きは徒労であった。

姉弟の会話を耳に知れながら、ルディエラは低い声で「くぬぅぅぅぅぅ」と呻くことしかできずにいたのだから。


「セイムゥゥゥ、殺すっ」

「いつでもどうぞ。それより、背筋を伸ばして立って。姉さん、その淡い緑のドレスがいいよ」

 いそいそ薄桃色のモスリンのドレスに手を掛けている姉を引きとめ、その横のドレスを指示しながら、ふとセイムはルディエラの姿を正面から捉えた。


「桃色が可愛いと思うけど」

 ふわふわの女の子らしいドレスに夢を持つマーティアに、セイムは肩をすくめた。


「胸の詰め物たりないんじゃないかな」

「あら、丁度いいくらいよ?」

 無遠慮な姉弟の会話を恨みがましい目で睨みつけながら、ルディエラは呼吸を整えた。締め付けられる体をゆっくりと慣らしていく。

 そのやり方くらいは心得ているが、もともとドレスなど着ないのだから、どうしたって苦しい。


 ドレスは好きでもなければ嫌いでもない。

女である自分を捨てているつもりも無い。だが、ドレスと隊服を示されて一生脱ぐなといわれれば当然隊服を選ぶ。


「なんで……こんなことになったんだっけ……」

 ぼやいた言葉は、しかし簡潔に説明ができた。


自業自得だ。

それ以外のなにものでもなかった。


***


「舞踏会?」

「ただの夜会」

 一昨日前、ベイゼルは手の中でナッツの皮をむき、軽く投げるようにして口の中に放り込んだ。

隊長及び副隊長の会合が開かれ、その会合の中で話し合われた結果を当然のように「あ、忘れてた」と二日たったその日ぽろりと口にしたのだ。

 それはつまり翌日の予定を。


「リルシェイラ様が隣国にご機嫌伺いに出向かれるのは知ってるだろ? その出立に際してのちょっとした催し」

 ただの夜会などと言ったところで、王宮内の催しがそれほど簡単なものであろう筈は無い。当然のように王宮警護の騎士団員達は会場の警備に当たる。

 他国の人間が居ないというだけで、その規模は決して小さなものではない。王宮内はまさにその準備でてんてこ舞いの様相だが、騎士隊隊舎は普段と変わらぬ様相で、日々の訓練に忙殺されているルディエラなどはそんな催しがあろうなどとは少しも気付いていなかった。

 ただ視野が狭いだけともいえるが。


「明日、俺達は庭の警備な。廊下とかが第二隊、会場内部は当然第一隊」

「庭って、なんかずるい」

 思わずぽろりともらすと、ベイゼルは「廊下と庭の警備はいつも第三隊と第二隊の交代だが、内部警備は絶対に第一隊に決められてる。あいつら俺達王宮騎士と違って王族騎士だからな」と肩をすくめた。

 言われてみると、確かにキリシュエータも普段から第一隊の人間を二人連れている。その割に副官は第三隊隊長のティナンを指名しているのだからおかしなものだ。


「庭警備かー、ちょっとつまんないですねー」

 とルディエラがその時ぼやいてしまったのが悪かったのか、ふいにその肩にぽんっと手が乗ったのだ。


「そうか。じゃあお前には違う任務をくれてやろう」


 気安い第三王子殿下は口の端にあまり宜しくない微笑を湛えて言い、他の隊員達は興味津々という様子で耳を傾けた。

「特別に会場内警護に回してやる。美味いものも食べれるぞ」

「って、ズリィですよ。殿下っ」

 途端に激しい苦情のような声が上がった。


夜会、舞踏会で言う会場内警護といえば正装しての勤務となる。

その扱いはあくまでも警護ではあるが、招待客となんら変わりなく豪華な食事にもありつけるし、節度さえ守れば酒も許される。

「なんだ、ベイゼルがやりたいのか?」

「そりゃとーぜんですよ。俺のほうが役にたちますよ」

 途端に嬉しそうに言うベイゼルと、周りからは「俺がっ」との追随。

しかし、彼等の主にして第三王子殿下は、それはそれは麗しい微笑を湛えて言った。


「ドレスを着てもらうが」


「は?」

「女装」


 途端にその場には沈黙が満ち、ルディエラの肩には次々と他隊員の手がぽんぽんと押し当てられた。


「大丈夫だ。お前なら似合う」

「がんばれー。馬子にも衣装っていうしな」

「人生にはやらねばならないものがある。任務なら仕方ない。涙を呑んで譲ろう」

「いやぁ、残念だな」

「いきろ!」


 うんうんと言いながら笑いを堪えている面々を前に、ルディエラは盛大な声をやっとしぼりだした。


「何ですかそれ!」


 思わず素で声をあげたルディエラが、慌てて声を押さえ込み、不敬もへったくれもなく思い切りキリシュエータの胸倉を引っつかむと声を潜めた。

「色々まずいじゃないですかっ。ぼくが女だってばれたらどうするんですかっ」

 真っ青になって言うルディエラに、キリシュエータはあくまでも平素の口調を崩さない。

「なんだ、女装に自信はないのか。そうか。特別手当も考えてやるのに。ドレスの時には剣がもてないからな、ドレスの下に隠せる短剣もやろうかと思っていたんだが。確かおまえ欲しがっていただろう?」


「やりましょう! ぼく全力でやりますからっ」


守銭奴魂はぐっと拳を握り締め、力強くうなずいていたのだった。


そんな過去の自分がちょっぴり憎い。

幸い、隊長であるティナンがルディエラの家人を呼んでくれた為に身支度は問題なくすんだわけだが――家人は家人でなんというか腹立たしい。


「呼吸できますか?」

胸元に手を当てて歯軋りをする明るい髪色の少女に水の入ったグラスを差し出しながら、セイムが問いかけると、ルディエラは三白眼で睨み返した。

「人の不幸を楽しむな」

「楽しむ意外することないでしょに。それより、口――口が悪いです。そういう格好している時はきちんと女性らしく」

 セイムの鼻がひくひくとしているのは、明らかに笑いを堪えている。ルディエラはグラスをひったくるようにして受け取り、一気に飲み干した。


「ぼくを舐めるなよっ。女らしくなんて朝飯前だねっ」

 びしり啖呵を切ったルディエラに、マーティアはうなだれるように溜息を落とした。

「すっかり一人称がぼくなんですけど」


「あああっ、しまったっ。あれ、えっと、あ、あたし? なんか気持ちわるっ」

「あたしじゃなくてワタクシです。ああっ、もう心配で胃に穴があきそうですっ」

 

 自分の顔に手を当ててさめざめと泣くふりをするマーティアの横、セイムは壁に片腕を預けて肩の振るえを堪えていた。


「笑うなってば!」


***

 

「何を考えてるんですか!」

 ティナンの声に、彼の主は座っていた椅子の肘掛けに尊大な調子で腕を預け、足を組み替えた。

「何がだ?」

 相手に疑問符を投げかけているくせに、返される言葉を承知しているキリシュエータは指先で眼鏡の蔓を押し上げる。

 硝子越しの眼差しは細まり、実に楽しげにティナンを見返していた。


「あの子に女装させるなんて! どういうおつもりですかっ」

激怒している副官の様子に更にキリシュエータの口元は緩み、まるで直に見なければつまらないとでも言うように眼鏡を取り払った。


「面白そうだと思っただけだが」


その言葉に、ティナンはぐっと奥歯を噛み締め、射殺しそうな眼差しを主に向けはしたものの、自らの言葉は封じ込めた。

そうでなければ――その御前に跪き、死するまでの忠誠を誓った相手を本気で罵倒してしまいそうだった。

「そう熱くなるな。最近のお前は余裕が無さ過ぎやしないか?」

「それは……」

 さぐるような眼差しをねじ込まれ、ティナンはふっと視線を逸らした。

一瞬だけ、まったく違う色合いを見せたティナンの様子に更に追従の手を伸ばしかけ、だが彼の主は視線を伏せ、持ち上げた。


「ただの遊びだ。楽しめ」

 

――主の言葉がゆっくりと胸の中に落とされる。


 毎日のように腹をたてて、毎日のように苛立ちを抱えて。

棺桶に片足を突っ込んだ老婆の言葉に翻弄される。ティナンはぶちりと切れそうな自分を認識しながら、引きつった微笑を浮かべた。


「御下命とあれば」

 副官の言葉にキリシュエータは呆れるように嘆息し、部屋の左側――幾つもの短剣が飾られた一角を示した。

「そのうちの一振りをにんじんに下げ渡す。

おまえならばアレの好みは熟知しているだろう。どれでもいい。今頃は第三隊のサロンの隣室にて身支度をしている筈だ。届けてやってくれ」


 ティナンは何本かその重さ、バランスを確かめるように手の中で弄び、実用的と思われる一番シンプルな一振りを手に暗い思考の海をさ迷っていた。


頭の中で産婆の言葉が堂々を巡る。

――母が産み落とした子供が全て男だというなら、ではルディエラは何だというのだろう。

ルディエラは……

調べればきっとこの胸に蟠るものが払拭される。


けれど、その一歩を踏み出すことに躊躇してしまう。


――そう、ただの年寄りの勘違いだ。

そうでなければ、そうでなければ……自分はいったいどうしたら良いのか判らない。

「つっ」

 短剣の切っ先が指の腹をかすめ、ティナンの白手にじわりと血が滲んだ。

その真っ赤な血を見つめ、ぼんやりとその血を舌先でなぞった。


血の……


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