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王道で行こう!  作者: たまさ。
三男の一日
33/101

その1

「兄さま、大好きっ」


 彼の妹、ルディエラの「大好き」は一山幾らで売られている激安販売だ。

二束三文という言葉を使ってもいいくらいに安すぎて、誰にでも垂れ流し。

 それでもあの大きな灰青の透明な瞳をきらきらとさせて「兄さま大好き」と嬉しそうに言われると、世界で一番すばらしい「大好き」を与えられたような気になる。


 男四人兄弟の中に突然できた妹は、はじめから誰からも愛された訳では無い。

末のルークなどは色々と思うところもあったろう。それまで末子として可愛がられていた自分の地位を脅かし、母の愛情をまた削られたと思ったかもしれない。それとも母親のちょっとおかしな愛情が少しは離れるやもと喜んだか。元々ルークは感情の動きが弱いのであまり判らない。

 三男であるティナンにしてみれば、敬愛する長兄が突然子煩悩な父親のようになったのだから、正直面食らったものだし、そんなある意味情けない兄――父の変わりに執務をこなすその膝の上に赤ん坊をのせ、仕事の合間にむつきを変えるという暴挙――を見るのは嫌なものだった。


 その、ある意味目の上のたんこぶのような妹がいつの間にか言葉を操り、舌足らずに「にーちゃ……にー、たま?」と見上げて来た時、ティナンは自分の中で何かがぞわぞわと蠢くのを感じた。それは心地の良いものではなくて、なんだか体の内面から痒いような奇妙なものだ。

 不快であったかもしれないが、足元にいるソレにとりあえず手を伸ばしてみようとしたら、長兄がひょいっと持ち上げた。

「お兄ちゃんの勉強の邪魔はしてはいけないよ、ルディ」

「くいん、なーして」

 舌足らずの甲高い声が放してと訴える。

「だぁめ。いい子にしておいで」

 小さな妹はじたばたと暴れ、その手を伸ばしてティナンにせがんだ。

大きな灰青の瞳を潤ませて。


「にーたま、たーけて」

 咄嗟に「兄さん、少しの間くらいぼくがみてあげるよ」と喉の奥でからむような言葉を出し、兄の手からルディエラを奪えば、小さな小さな妹は、目じりに涙粒を湛えてはじめて満面の笑みで言った。


「にーたま、だーすきっ」


その言葉はティナンの中に何かを産み落とす程にすばらしいものだったというのに――気付けばルディエラの「大好き」は激安品となっていた。 


「ぼく副長大好きですよー」


 食堂で暢気に言うルディエラの言葉に、ベイゼルが「うっせーよ」と言っていたのは昨日のことだ。

通りすがりにベイゼルの足を踏みつけにしてやったのはいうまでもない。

今更ルディエラの激安販売ごときで腹をたてたりはしないが、それに対して「うっせーよ」などとは無礼千万。許しがたし。


 二束三文でも何でもいい。

ルディエラに「大好き」と言われて、ぎゅっと抱きつかれたい。癒し成分が欠乏している。


「……これでは欲求不満みたいじゃないか」

純粋な兄妹愛によこしまなものはありません――というティナンの訴えを、最近第三王子殿下キリシュエータは信じてくれない。


***


 世話をしてくれる従卒が起床時刻を告げに来るまでもなく、ティナンは隊舎にある一人部屋で身支度を済ませ、紅茶を持参した従卒に穏やかな微笑で応えた。

「おはようございます」

「おはよう」

 

 自らの指揮する第三隊の人間には鬼隊長として知られているが、ティナンは従卒や女性には人気が高く、貴婦人達の間ではその身分は低くとも有望な婿として目されていた。なんといっても貴族の子弟という訳ではないが、第三王子殿下キリシュエータの良き友人であり右腕――やがては騎士以外の序爵も目されていた為だ。


「お手紙が届いております」


 従卒は恭しく銀のトレイに手紙を載せて示し、ティナンはそれを受け取ると彼にもう下がるようにと告げた。

 手紙は六通。決して少なくともないが、多いという訳でもない。たいていが何かの催しものの招待であったり、時には地方砦からの報告であることもある。

 一通づつ封筒を確かめ、ティナンは二通目の手紙に押された蝋封の印章に低く呻き、そそくさとそれを後に回した。


 一通目は第二隊の隊長からの第二王子殿下リルシェイラの外遊の為に相談したいことがあるという打診。二通目は古い友人からの私信。他の手紙も当たり障りも無くそんな調子のものだ。

そして、最後に回した手紙は――彼の敬愛すべき長兄からのものだった。


「……」


 イヤな予感しかしない。

咄嗟に火にくべてしまいたいような衝動にかられるが、ここで燃やしてしまえば無かったことになったりせずに、延々と手紙を送りつけられそうな気がする。実際に手紙を燃やして隠滅させたこともなく、兄がしつこく手紙を送り続けた事実も無いのだが、なんとなく長兄ならばネチネチといつまでもそんなことをする気がするから不思議だ。

「兄さん性格悪いから」

 ぼそりと自分のことは棚上げにして言い、ティナンは不承不承着用している騎士服の腕部分に隠されている刃渡りの短いナイフを引き出し、蝋封をぺしりとはがした。


 ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。なんというか長兄は芸が細かい。

ティナンは胃の辺りが傷む気がしながら、中から手紙を引き出した。


***


「では、第一隊から三名。第二隊から三分の二の人数を出して外遊の警備に」

 第二王子殿下の外遊――隣国に出向いて季節の挨拶をするという、まさにただの儀礼的なその行事の為に人数を選別しながら、ティナンは第三隊と第二隊の人間がただひたすら馬柵の中を走っている様子を窓から眺めた。

 本日は第二隊と第三隊の合同訓練だが、命令自体は単純なものだ。


――倒れるまで走れ。

他隊の人間に負けたら追加訓練。


「残りの隊員はその間第三隊で面倒を見ますよ」

「頼むよ」

 第二隊の隊長であるアラスターが息をつくと、ティナンは淡い微笑を浮かべた。

「そうだ。フィルド・バネットは連れて行くつもりですか?」

「ああ――あいつはそっちと揉めたからな。残して行くつもりは……」

 残して行くつもりは無いと書類を軽く叩いたが、ティナンはあえてそれをさえぎった。

「彼は残して行って下さい。いつまでもおかしな火種を残している訳にはいかない。来月には問題のアイギルもそちらの世話になることは報告がいっておりますよね? この間にしこりはなくしてしまった方がいいでしょう」

 にっこりと微笑を浮かべるティナンに、アラスターは大きくうなずいた。

「確かにその通りだ。第三隊には迷惑を掛けるが、ではフィルドともどもよろしく頼む」

相手の眼差しは「若いのにしっかりとしている」とティナンを穏やかに賞賛しているが、当然のようにティナンの心内ときたら称賛されるようなことは考えていなかった。


――自分の監督下でまさにやりたい放題。


 今までのようにこっそり水をぶちかれるとか、通りすがりにナイフを投げつけるとかいじましいくらいせせこましい嫌がらせではない。正々堂々(・・・・)卑怯(・・)な手段を講じて愛しい妹を辱めてくれたお礼を思う存分できるのだ。

 たとえ何があったとしても「訓練が少しいきすぎた」だけだ。今までも訓練中に足や腕を折ってしまったり、内臓がちょっぴり傷ついてしまったという不慮の事故があったものだが、それと何等かわらない。

 ティナンは口元が緩みそうになるのを堪えつつ、相手からの職務上の相談事を適当な相槌でいなした。


 もしかしたら流れ弾に当たってしまったり、馬の後ろ足で蹴られてしまうこともあるかもしれないが、訓練上の不慮の事故であれば想定外で仕方あるまい。むしろ訓練中であれば労災くらいもぎ取ってやってもいい。

自分はなんと優しいことだろう。

「そういえば、来月うちの隊に来るという見習いの状態はどうだ? フィルドと揉めたのがそれなんだよな?」

ふいに話題をかえられ、ティナンは一拍息をつめ、ふっと皮肉な笑みを浮かべてみせた。

「殿下の酔狂にも困ったものです。騎士にするなどおこがましい――訓練の邪魔ですよ」

「そうなのか?」

アラスターが眉を跳ね上げ、肩をすくめる。

そのまま眼差しを窓の外へと向け、馬柵の中を走っている自らの部下達を眺めた。


「とにかく。ぼくはこんなこと自体反対なんですよ」

「噂通りだな」

 くくっと喉の奥を鳴らし、相手は楽しそうにティナンを見返した。

「噂?」

「第三隊の隊長殿は、異例の人事で入隊した騎士見習いをことのほか毛嫌いして虐め倒しているって言われているぞ。あまりいい話じゃないな」

 その言葉の中に咎める響きを感じ取り、ティナンは冷ややかな眼差しを向けた。

「客観的に見ても今回のお遊びにはうんざりとしているだけです」

「私は正当な目でもって相手を評価するつもりだ。突然の人事だとかは関係が無い。キリシュエータ殿下がおっしゃる通り、訓練への参加状態、態度、適正。全てでもって判断を下す」

 きっぱりと言い切り、その眼差しは馬柵の中、一定の速度できっちりと走りこんでいるオレンジ頭を眺めた。


「第三隊騎士団隊長――できれば、失望させないで欲しい」


その真摯な言葉に、ティナンは唇を引き結んだ。


「――アイギルを知れば、あなたもぼくと同じ決断を下すでしょう」


淡々と告げるティナンを、片眉を跳ね上げて眺めたアラスターはこっそりと苦笑し、第三隊の生真面目な隊長殿がそこまで突っぱねる理由は何なのだろうかと思いを馳せたが、


――あんなに可愛いぼくのルディを軍属なんて絶対にイヤだ!


 程度しかその男の頭の中には入っていないので、実際は考えるだけ無駄だった。


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