その2
「大っ嫌いだぁぁぁ」
きぃっ。
兄さまも嫌いだし、トウモロコシの髭も大嫌いだ。
「八つ当たりはどうだろう」
文句を並び立てて細剣を操り打ちかかってくるルディの様子に、それを受け、流しながらセイムは嘆息した。
「私のどこが男だ!」
「えっと……まな板胸、とか」
思わず真剣に応えてしまうセイムだった。
「うるさいよ、セイムっ」
「いや、だって事実だし。そもそも、子供の時だって着ていたのは兄君さまのズボンだったでしょうに」
動きやすいので普段からそんな服装を好んでいるのだ。今ならともかく、六つの子供がズボンにシャツでは男の子だと思われてむしろ当然だろう。
「ってか、やめましょうよ、ルディ様」
「黙れってば」
「あのね、今のあなた、とても――俺に、勝てません、よ?」
言葉と同時に刃先を潰した剣先がひゅっとルディの脇を走る。ひやりと血の気が下がる感触に顔をしかめ、地面を蹴ってそれを避ける。
「銅貨10枚、捨てるつもりですかね」
「生意気!」
「じゃあ、もらっていいですか?」
言うや否やセイムが身を沈める。
とんっと床を蹴って一打・二打・三打――受け止めきれずに膝が落ちる。それまでの苛立ちを捨てて、ルディは慌てて体勢を整えた。
咄嗟に頭の中で自分を叱責する。
セイムだって子供の頃から共に学んでいるのだし、侮ることはできない。何より相手は男で自分は女だ。長期戦は体力的にフリだ。詰められた距離をとるために細剣の持ち方を逆手に変え、横に走る。
距離をとりたいルディの思惑を承知しているのだろう。余裕があるのか、それとも挑発か、セイムは口の端に笑みを浮かべてついてくる。
一方ルディときたら、先ほどの怒りの為にだいぶ体力は消耗している。そしてどうやらセイムは本気らしい。
何か、何か、何か……
自らの劣勢に活路を見出すべく、ルディは瞬時に頭を働かせた。
「あ、ニーネ!」
声をあげた途端に、セイムは慌てふためき、わたわたとその体勢が崩れた。セイムにまとわりついている近所に暮らすニーネを探し、ハっとルディを睨んだ。
「っの、卑怯者!」
「莫迦めっ」
このスキを見逃したりしない。ルディはぐっと剣を握りなおした。
「そこまで!」
パンっと手が打たれて、ルディとセイムは慌てて身を引き離した。
「途中までは関心したものだけど、ルディ、酷すぎる」
屋敷の二階テラスで兄が嘆息気味に言う。
その隣に王子殿下を認め、ルディはむっと口をへの字に変えた。
「いい見世物だった」
褒めたつもりなのだろう。キリシェエータが言う言葉に、更にルディはムッとする。口を開こうとすればティナンがそれを黙らせる為にルデイを軽く見た。
「褒美を取らせよう、来い」
更にムッとする。
何さまだ! 偉そうにっ。
と怒鳴ってやりたいが、何様も偉そうにも、相手は王子様だ。
王位継承権第三位の御方に相違ない。
ルディは苦いものをかみ締めながら、それでも来いと言われれば行かなければならないのだと自分を動かした。
――兄達も父も、王家に仕える身だ。
先ほどからティナンが必死にルディを留めているのは、相手の一言で簡単に自分の首も飛ぶであろうし、また――父や兄達に、家人に余波が無いとは言い切れない。
なんといっても相手は性根の腐った王族だ。
ルディはそれでも精一杯の矜持でもって「ただいま」と低く唸るように言うと、すたすたと中庭を歩みテラスの前に立ち、膝を折ろうとする。すると、キリシェエータはむっとした様子で「上に」と告げた。 びしりと自分の中でまた何かの音を聞き、ルディは腰の後ろに手を回し、ぱちりと釦を外した。
皮ベルトに留められた鞭がパラリと落ちるのをそのまま受け止め、ひゅんっと空を切る。
テラスの縁に打ちつけ、その勢いのままに地面を蹴る。一度壁を蹴ってテラスに身を躍らせると、そのままスタンッと彼等の前に膝をついた。
「……猿か」
小さな呟きを聞き逃すと思うか、このド阿呆。
それでも必死に自分を押さえ込んだが、黒い感情はだらだらと漏れ出でるのかティナンは心配そうに眉をひそめた。
「ルディっ、失礼なことをしないで」
「第三王子殿下様をお待たせするのが失礼かと思いまして」
「なんだ、さっきの勢いがないな」
挑発するような言葉に、ティナンは嘆息し、かつんっと足を慣らしてルディの前に立った。
「殿下、この子をあまり挑発しないで下さい」
「騎士団の人間も今は下げている。別に多少の無礼はいいさ」
クッと喉許で笑う。相手の余裕に更にムッが増えていく。
嫌いな人間の言動というのはこれ程気に障るものなのか。
トウモロコシの髭の癖にトウモロコシの髭の癖にトウモロコシの髭の癖にっっっ。
「それに、彼――失礼、彼女は私の部下でもない」
今、絶対に、彼って言った。というかわざと言い直した。
ルディは目顔で相手を睨みつけ、その様子にティナンが鎮痛な面持ちで額にそっと手を当てた。
「さて、先ほどの余興はとてもよかった。目にも楽しめた。褒美は何がいい?」
「褒美……」
「私にできることなら、何でも言えばいい。
どうやら、あなたにとても失礼を働いたようだから」
やけに丁寧な口調で言われた。
おそらく、女性という扱いのつもりなのだろう。ルディはその眼差しを一旦すがめ、
「何でも宜しいのですか?」
と、確認するように言葉にする。。
「ルディ」
兄がたしなめる言葉に、ルディは思い切って口を開いた。
「私は軍属を望みます」
「ルディ!」
ティナンが声をあげた。
騎士に女性仕官など居ない。救護班にだって存在しないのだ。
あっけにとられた様子のキリシュエータが一瞬瞳を大きく見張ったが、やがてその口の端に笑みを刻んだ。
「殿下、今のはお忘れ下さい。ルディっ、莫迦なことを」
「いや、いい。
先ほどの動きをみれば、さほど夢物語という感じでもないしな。何といってもおまえの妹姫で、そして宮廷指南役のエリックの娘だ」
「殿下……」
「ただし、三ヶ月は見習いだ。第一師団から第三師団までを三ヶ月で巡り、師団長の推薦をもって目出度く本決まりとしよう」
「はい!」
元気に応えたルディを他所に、ティナンは苦いものをかむように顔をしかめた。
「ティナン、いくらおまえでも目こぼしなどするなよ」
「――致しません」
「楽しい余興だった。ティナン、私はこのまま帰る。おまえはソレの荷物を纏め上げてから帰還すればいい」
「本日ですか?」
「今日中に来ないのであればこの話は無しだ」
すっとキリシュエータは立ちあがり、ふと意地の悪い眼差しをルディに向ける。
「まぁ、怖気ずいたのであれば来なければ良いだけの話しだ」
――誰が!
そのままテラスを出て行く主を見送り、ティナンは厳しい眼差しでルディを見下ろした。
「殿下のおっしゃったとおりだ」
「ん?」
「行くのは辞めておきなさい」
「どうして!」
「――ルディ、君はとても大変なことをしでかしたんだよ?」
ふっと瞳を柔らかくし、ティナンはまだ跪いたままだったルディの手を引いて立たせた。
「軍務についている人間はたいてい士官学校に入り、厳しい訓練を経てやっと軍属になるというのに、試験も何もかもをとっぱらって君は入ろうとしているんだ」
そういわれると、確かにそうだ。
「けど、試用期間がある訳だし」
「あまりにも特別過ぎる処置だ。それは絶対に君の為にならない。
行くのは辞めたほうがいい」
兄の視線は冷たい程だ。
「いやだ!」
必死に言う言葉に、けれどティナンは冷たい嘲笑さえ浮かべた。
「――なら、ぼくは君を絶対に軍人になんかしない」
「兄さまっ」
「ぼくが誰だか判っているよね? 第三師団長なんだよ? 殿下の補佐役なんだ」
その奇妙な笑みに、ルディは唇を引き結んだ。
「殿下はおっしゃられた。三師団長の推薦が必要なんだ。ぼくは何があろうと絶対に推薦などしない」
「兄さまっ」
ティナンは自分に縋る妹をぱしりと払い、冷たく言った。
「それでも良ければおいで。
ぼくは絶対に――君に手を貸したりなんかしない」