その1
バゼルの混じる組み手の間、ルディエラはこそこそと隠れて過ごした。
危うく広場に引っ張り出されそうになったが、数名の隊員と共に雑用で指名され、そそくさとその場を逃がしてもらえたのだ。
首の皮が繋がったと安堵したのはルディエラばかりではない。
ティナンも、そしてそれはキリシュエータも一緒だった。
そんなこんなで新たな用事を言い付かったルディエラだったが、何故か現在軽く窮地に陥っていた。
「俺は病気なんだろう」
つらそうな言葉はルディエラの心にもやんと響く。
第一隊の純白の騎士服の隊員の名前は当然の如く思い浮かばない。
なんといっても他人の名前を覚えるのが苦手なルディエラは、現在自分がいる第三隊の人間だとて、未だにきちと覚えていない。
「だが、もう駄目なんだ」
何が?
ルディエラは荷物と荷物の間に挟まり、現状の打開策を練るのが懸命なのではないかとひしひしと思い浮かべていた。
頼まれて鎖帷子の修繕用に古い鎖帷子を武器置き場に取りに来たところで、武器置き場の片隅で繰り広げられる「告白」にルディエラは慌てて身を潜めてしまったのだ。
「俺のものになれよ」
ぼそぼそと聞こえているのは、これは……そう、これは間違いなく告白ではあるまいか。
「セイムってば肉屋のアリィに告白されたんだって!」
「まぁっ、お肉に困らなくていいですね!」
「勝手に盛り上がるな!」
なんて良くマーティアと二人でセイムをからかってきゃいきゃいとやっていたものだが、これは種類が違う。
何故ならばここはむっさい男ばかりの園。
騎士団の隊舎――警備隊であれば女性管理間や事務官が存在するが、騎士団には女性隊員などいないのだ。そこから導き出される答えは三つ。
一、外部から女性を連れ込んだ。
二、告白しているのも男、告白を受けているのも男。
三、告白しているのは男、だが告白を受けているのは男に化けた女。
……とりあえず三は無いな。
そうそう男に化けた女がいてはたまらない。
「やめて下さい」
ごそごそと聞こえる音と、相手の拒絶する言葉。
とりあえずルディエラの謎は一つ解けた。
告白されているのも男だった。立派な成人男子の声――だ。
しかも、なんと、相手は嫌がっている。つまり、告白している男は変態かもしれないけれど、告白を向けられている男は変態ではないのだ。ここはひょいひょいと顔を出して「お邪魔しましたー」と言うべきか? ああ、でも、どうしたらいいんだ?
ルディエラがますます身を縮めていると、壁にがんっと押し付けられるような音が響いて小さなうめき声まで聞こえてくる始末。
これはもしかしたらヤバイのか?
ルディエラがぐっと拳に力を込めると、今度は力強いがつんっと鈍い音が響いた。
「やめろってんだろ、このXXXXX野郎。病気? そんな言葉は免罪符でも何でもない。 その腐XXX引っこ抜いて無理やりテメェの――」
笑いながらさわやかに吐き出される言葉の羅列は、とても耳に入れたくない程にお下劣でした。
延々と聞こえてくる言葉にルディエラが蒼白になっていると、やがてその場から逃げ出すような音が響き、ついでふんっと鼻を鳴らす音と、パンパンっと手を打ち鳴らし、こともあろうに武器倉庫の中、更に奥へと足を進めたその人物は荷物の間でうずくまって蒼白になっているルディエラと対面してしまった。
「……ここはまさかのハッテン場か?」
面前に現れた長靴をおそるおそる上へと辿ると、その隊服は第二隊の薄い青――冷たい黒い瞳が胡乱にルディエラを見ていた。
「あ、あのっ。すみませんでした」
ルディエラはがばりと勢いをつけて体を起こし、ぺこぺこと頭を下げた。
「見たくて見た訳じゃありませんっ。というかぼく見てませんからっ。男の人に告白されてキスされて、挙句怖いこと言いながらぼこぼこにしていたのなんか見てませんからっ」
「完全に見てるじゃないか」
引きつった笑みで言われてしまい、ルディエラは更に自分が窮地に陥ったことに気付いた。
「確か、お前もビョウキモチなんだよな? 第三隊のちび」
「病気? ぼくは健康ですけど」
「男好きって有名だろ」
その言葉に、ルディエラはかちんときた。
「ぼくは別に男好きじゃありません!」
何故そのような噂がたっているのか判らないが、ルディエラは男好きではない。生憎と女好きでも無いが――あれ、この場合は男好きで正解なのだろうか?
ルディエラは思わず真剣に考えてしまいそうになった。
「お前がガタイのイイ野郎の服を脱がして襲おうとしたっていうのは有名な話だ」
「それはっ……」
言い返してやろうと思ったが、面前の青年は忌々しそうな顔でルディエラを眺め回し、その白手に包まれた手でぐいっとルディエラの顎先をつかんで上向かせた。
黒髪がさらりと揺れる。
冷たい黒い眼差しは無機物を見る眼だ。
「ま、確かにさっきのデカマッチョのおっさんより、まだおまえみたいのだったら理解はできる」
更に馬鹿にされた気がして、ルディエラは相手を振り払おうとしたが、何を思ったのかその相手は男にキスされて憤っていたにも関わらず、ふいに身を屈めてルディエラの唇を自分の唇で塞いだ。
――ぐぎゃあ!
男、男にキスされてるっ。
変態だっ。
一瞬混乱したルディエラだが、よくよく考えてみると自分は女だった。自分は女だし、相手は男だからこれは正解。
なんだちっとも問題無い――わけあるかっ!
はじめはただ押し付けられただけの唇がすっとその圧力を弱めると、舌先がルディエラの唇の膨らみを確かめるようになぞり、その隙間に侵入しようと試みる。ルディエラはじたばたと暴れ、ふいに体を沈めたかと思うと、すばやい動きでその腕の中から抜け出し、びしりと指を突きつけた。
「何するんですかっ」
「口直し――わりと悪くなかった」
きぃぃぃぃっ。
ルディエラはギンっと相手を睨みつけ、足元に落とした鎖帷子をすくいあげてふんっと顔をそむけてその場から逃げ出した。
――おまえはデカマッチョのおっさんと同類だ! 変態っ。
色々といいたいことはあったが、悔しさの方が先にたってしまった。腹立たしさのまま第三隊の隊舎に戻り、ルディエラは苛立ちを撒き散らした。
「副長が悪い!」
「は? 何が?」
鎖帷子の修理用に古い鎖帷子をとってきてくれと命じつけたベイゼルを罵ってしまったが、完全な八つ当たりだ。
だが、ふと気付いた。
つまり、自分も八つ当たりをされたのだ。
――だからって男とキスするか? 口直しだ? ふざけるなっ。
第二隊の薄青の隊服に黒髪、黒い瞳の男。
絶対に許すまじっ。
とりあえず「ファースト・キス」を見知らぬ男に奪われるなんて、酷い。
とは違う次元で憤っているルディエラは女として何かが欠けているかもしれない。




