その4
道端に雑巾が落ちていた。
いや、正確に言えば人間だ。おそらく。
赤みの強い金髪は日の光の中で鮮やかなオレンジ色にも見える。
それをじっくりと観察しながら、リルシェイラはしゃがみこみ、とりあえずつついてみようかと思ったものだが、いかんせんソレが汚れてばったり倒れている為に得体が知れ無さすぎた。
触れてよいものかどうかとじっくりと思案し、落ちている棒を拾い上げておそるおそるつついてみることにした。
軽くつついてもびくともしない。
これはまさか死体だろうか?
王宮敷地内に死体が落ちているというのも奇妙な話だが、まさか暗殺とかよからぬものが入り込み、衛兵であるこのものを殺傷し……――巡る想像にとくとくと心臓がはやる。
「と、とりあえず祈祷か?」
司祭の祈りもなく果てた哀れな命を沈めねばならないだろうか?
半ば真剣に考え始めたところで、
「お……すぃ、たー」
か細い声が聞こえ、リルシェイラはそれが生きていることにびくりと身を跳ね上げた。
「死体が喋った!」
「死んだら喋るかっ!」
しかし、反論したのはソレでは無かった。
ぺしんと手元を叩かれ、持っていた棒を落とされる。リルシェイラは驚いて視線を上げると、そこに見慣れた弟の姿を発見した。
「あ、キーシュ」
無駄に偉そうな第三王子殿下――軍事将軍である弟は兄をゾーキンをみるかのように眇めた眼差しで睨んだ。
「また逃げたのか、リーシェ兄」
言いながら、キリシュエータは嘆息しつつボロゾーキンを引っ張り起こし、抱えあげた。
「おまえもこんなところで寝るな。道端に落ちてるのを回収するのが何度目だと思ってるっ」
「うぅぅ、痛い。痛いっ。横っ腹痛いぃっ、止めて」
はうぅっと苦痛に呻く声に、リルシェイラは「まさかおまえが無体な真似を?」王族なんだからうまくやれよと口にし、今度はギロリと睨まれた。
「何の話だっ」
「……いや、ただの冗談だけど。そのこ、大丈夫かい?」
「打ち込みでさんざやられた挙句、剣が折れたから武器庫に行けと命じたら行き倒れただけだ。それより、あんたはどうして一人でいる? 第二隊の人間はどうした?」
「ああ、叱らないであげてくれよ。私は昼寝の時間なんだ――隠し扉から抜け出した」
「その隠し扉今度ふさいでおく」
「王族が暗殺を逃れる為の大事な隠し扉だよ!」
「死ね、ボケ」
キリシュエータは言いながら勢いをつけてボロ雑巾を肩に抱え上げ、すたすたと歩き出した。
数歩歩いたところでぴたりと止まり、眉間に皺を寄せて指を突きつける。
「部屋に帰れ」
「ね、その子さ、おん――なんでもないです。なんでもないです。な・ん・で・も・な・い・ですっ」
両手で広げて相手を押しとどめようとするリルシェイラと、物凄く平坦な表情で近づきずんっと顔を寄せたキリシュエータはそのまましばらく視線を交し合った。
「兄君は昼寝中でしたね」
「昼寝はおかしな夢を見やすいデスヨネ、ソウデスヨネ。ハイ」
「そうだ、これは女だ」
しかしキリシュエータはあっさりと白状した。
「来月、いやその次の月になったら第二隊に移動させる。男としてだ――責任持って管理しろ」
実の兄に向かって横柄な様子で突きつけ、ニヤリと口の端を歪める。
「別に女とばれても構わんが、あんたの第二隊で問題が起きたら大事だな、司祭長」
「……嫌がらせ?」
「それと、これの父親は騎士団顧問のエリックだし、当然第三隊隊長のティナンは兄だ。ついでに言えば西砦の熊殺しも兄だな。何かあった時にあの三人の攻撃を負うのは面倒くさそうだな」
ますます笑みを深める弟の台詞に、リルシェイラは蒼白になって身震いした。
「冗談だろう! そんな危険な女の子なんて引き受けられないよっ」
「そうか。だが第二隊に移動は確定している。観念して世話に励めよ」
「キーシュ! 厄介ごとにぼくを巻き込むな」
「そうは言っても、もう確定している。がんばれ、応援している」
少しも応援などしていなさそうな平坦な口調で言い切り、荷物を担いだまますたすたと行く弟に必死に追いすがってみたが――か弱い司祭長が凶悪な軍事将軍に勝てる筈がなかった。
「キーシュ! 夜中に祈祷してやるからなっ」
「くだらんこと言ってないでさっさと帰れ、ボケ兄」
***
「ベイゼル、道端に落ちてたぞ」
軽くおやつを食べて生還したルディエラは恐ろしい程元気を取り戻して今は他人の組み手の見学をしている。
「やっちまえ!」
とか言っている言葉が男らしい。
それを少し離れた場所から腕を組んで眺めて言うキリシュエータに、ベイゼルはがしがしと頭をかいた。
「餌が切れると駄目なんスよね、いつもすんません」
「忘れているかもしれないが、私はあいつの回収係ではないからな」
誰も回収に行けなんて言ってませんけどね。
という言葉をベイゼルは飲み込んでおいた。しかしニヤリと口の端を歪めて見せる。
ニヤニヤと無遠慮に見てくる相手を一瞥し、キリシュエータはくるりと身を翻そうとして固まった。
「ああ、殿下! こちらでしたか」
ずかずかと歩いてくるでかい男の存在にキリシュエータは顔を引きつらせ、そしてベイゼルは一瞬意味が判らなかったが次の瞬間には焦り、意味もなくくるりと反対方向を向いた。
「定期報告に来たのですから、きちんと執務室にいてください」
「いや、うん……すまんな。バゼル」
筋肉ダルマエリックの一番そっくりな息子は豪快に笑い、ふっとその視線を彼らの後ろ、広場で行われている組み手へとむけた。
「おっ、第三隊楽しそうなことしてるな」
「お、おぅっ」
キリシュエータは後ろ足でベイゼルを蹴ったが、ベイゼルは一歩退いて逃げただけだった。
「報告書は執務室に置いてまいりました。必要事項は書記官に。これといって重要なことはありません」
「そうか、じゃあ気をつけて帰れ」
「了解しました。じゃ、オレはこのままちょっくら組み手に混じって――」
バゼルは陽気に笑い、ふと停止した。
「……」
「……」
「……」
何を、何を見ているんだ!
何に気付いているんだ。
喋れこの筋肉ダルマ!
キリシュエータの胃がキリキリと痛み出し、ベイゼルがじりじりとその場から離れようとしていると、バゼルは自らの腰につるされた剣をトントンっとたたきながら首をかしげ、
「いや、違うか」
と小さく呟いた。
「ど、どうかしたか?」
「いや、あの赤毛のちびっこが一瞬オレの妹に見えたんですよ。最近旅行だとかで家をあけてるらしくて、見てないからかな。赤毛を見ると妹だとおもっちまう」
はははははっと笑いながら頭をかき、バゼルは「じゃ、殿下失礼しますよ」と軽く手をあげてその脇をすり抜けた。
「おう、ティナン。オレも混じっていいか?」
――監督役を務めているティナンが兄の存在に気付き飛び退り、ルディエラが慌てて他隊員の背に隠れ、キリシュエータは思わずシルシェイラではないが胸元に手を当てて神に祈った。
――ティナン、神がいれば明日もきっと生きていられるだろう。
きっと……