その2
「ご馳走様でーす」
多重音声で聞こえる言葉に、ルディエラはちびちびと酒の入ったゴブレットを傾けながら、
「どういたしまして」
と、自分でもあやふやな言葉を吐いた。
どれほど相手を打ち負かしたいという野望に燃えていたとしても、現実というやつは厳しいものだった。
ゴール一歩手前でうっすらとした笑顔でまっていたベイゼルの姿に「副長は本当は優しいんだ!」と一瞬感動すら覚えたが、実際はこれみよがしにぽんっと一歩進み出て、にこやかに「本日の栄えあるケツ決定!」と他の連中ともども喝采をくれた。
この隊には鬼しかいない。
「今日はアイギルの歓迎会だからな。遠慮せず飲め」
遠慮しろ。少しは遠慮しろっ!
ルディエラはゴブレットを持つ手をふるわせた。
自分の歓迎だといわれたところで自分が代金を持つことを知っている為に素直に喜べそうにない。
しかも人数が増えている。
――第三隊の人間全てがこの狭い店に揃っていた。
一通り自己紹介をすませはしたが、一気に詰め込まれた名前はあやふやだ。
ルディエラはその人数とまるで水のように消費されている酒に諦めの溜息を吐き出した。
銀貨? 金貨だろ……コレ。
何かあったらの為に、長靴の底にはそれぞれ金貨が一枚づつ隠されている。だがそれは物心ついた頃からの習慣で、父が仕込んでくれたものだ。何かなどあろうものでは無いと思っていた為に、本気でコレを使わなければならない日が来るとは思っていなかった。
……そしてその理由があまりにも阿呆過ぎる。
「戦士はいつでも何かの為にそなえるものだ」
と、父であるエリックはこの金貨を仕込みながら豪快に笑っていたが、確実に父の想定した何かはこんなことでは無かった筈だ。
親不孝な娘でごめんなさい。
ルディエラは天空の父に詫びた――ばりばり生きているが。
騎士団はもっと高潔なものではないのか?
やることといえば騒いで賭け事で酒場で飲み会……
ふと、ルディエラは視線を感じてちらりと視線をあげた。
――兄さま。
狭い店内だが、近づくのもイヤだというように正反対の席に兄がいる。
ティナンは冷たい眼差しでルディエラを見ていた。
その視線が怖くて、痛くて、瞼が自然とまた下がる。ベイゼルが軟膏を塗りながら「明日になれば痛みはひく」と言っていた腕が、また痛む気がした。
いたたまれなくて、ゴブレットの中身を一気に飲み干した。
カッと喉の奥が焼かれるような衝撃。ぶふりと咳き込むと、近くの男がゲラゲラ笑いながらルディエラのゴブレットに酒を足した。
「飲めっ!」
がしがしと頭をかきまぜられながら、遠い場所にいる兄の視線がいっそう冷たくなるのを感じて、ルディエラはやけっぱちで酒をもう一口飲んだ。
――嫌われても平気なんて、嘘だ。
自分が兄さまを大好きでいれば平気なんて、嘘だ。
何をしてもティナンの視線がきつくなる気がして、このまま消えてしまいたくなる。
騒がしい店内だというのに、どんな場所にいねよりも孤独と惨めさがひしひしと自分の身を侵食していくのを感じていく。
ちびちびと酒を飲みながら涙を堪えれてると、ふいに髪を無遠慮にくしゃりと混ぜられた。
うつむいていた顔が瞬時にあがる。
「どうした、にんじん?」
ぶほっと口に含んでいた酒が口から吐き出され、力一杯自分をのぞきこんだ相手の顔にかかった。
咄嗟に「トウモロコシの髭っ」と叫んでしまい、慌てて口をふさいだが、面前の男の耳にはしっかりと届いてしまった。噴出した霧状の酒と共に。
面前にいるのは明らかにトウモロコシの髭――第三王子殿下キリシュエータだが、その衣装は一般騎士と同じもので完全に場になじんでいる。
変装のつもりか知らないが、眼鏡をかけていたのだが、ルディが吹き付けた酒をモロにくらってしまい引きつった顔で眼鏡を外し、胸のハンカチでぬぐった。
「いい度胸だな」
「な、何してるんですかっ」
動揺して周りを見回すが、他の一般騎士達は自分達が飲むのが忙しい。
少しも気に掛けていないのは気付いていないのか――いや、これが良くあることだからだろう。
というかいいのかソレで?
第三王子殿下キリシュエータはルディエラの隣にどさりとすわり、今となっては誰のグラスだか判らないグラスに自ら酒をつぎながら言った。
「タダ酒飲みに」
楽しそうな相手と違い、ルディエラは自分の懐と、そして反対側から更に怒り波動を撒き散らしている兄ティナンが気がかりで覚悟を決めた。
潰れよう――お酒なんて好きじゃないけど。
潰れた後のことなど知ったことか!