その1
「馬は?」
手袋をはめながら言うベイゼルの言葉に、ルディエラは間髪要れずに「好きです」と応え、軽く頭をはたかれた。
「阿呆。乗れるのかって意味だろ」
「の、乗れます」
騎士を目指していたのだから、当然乗馬訓練だって受けている。
ルディエラの自慢はたとえ女性用の横鞍であろうとも障害物を越えられることだが、一度長男にこっぴどく叱られたのでそのことは秘密だ。
「おぅ。んじゃ、訓練のはじめは馬だ」
副隊長が率いる七名に混じり、翌朝ルディエラがはじめてまっとうな訓練を許されたのは馬術訓練からだった。
「ちなみに遠駆け」
大雑把な副隊長は自分の指で「あっちからあっちまで」と、視界に入る山の中腹辺りを示し、「あのあたりにリンゴの木があるから、それを三つばかりもって速く戻る。昼の為の携帯食は不可。自分で狩れ。最後のヤツは今夜の酒、全額負担」はじめっぞーとおもむろに出た言葉に、ルディエラは慌てて馬房から引っ張ってきた馬の鐙に足をかけた。
「チビ」
ふいに掛けられた言葉に、視線を向けると少し前で馬の首を撫でているがしりとした体躯の男がニヤリと口元を緩める。
「おまえ、慣れてないだろ。オレと行くか?」
昨日夕食を運んでくれた相手だ。
声を掛けてもらえた嬉しさでうなずこうとしたが、黒毛の馬の副隊長が「アイギル、騙されるなよー。そいつは最後の最後でおまえをビリにしたいあくどい商人魂を持っている」と茶化すように口の端を持ち上げた。
途端に他の隊員達までもが口元をゆるめた。
「言っちゃ駄目でしょ」
「ま、この場にいる人間は全て同じ考えだ。甘えるな」
その言葉でルディエラがその場にいる馬上の騎士団員の顔を順番に見ていけば、皆一様ににやにやと意味ありげにルディエラを見返してきた。
――カモかっ。
ルディエラはむっとし、ついで自分が侮られていることに腹をたてた。
確かに自分は小さいが、どうしてこう侮られなければならないのか。ここは絶対に負けられない。
「んじゃ、出発。遅くとも夕飯前には戻れよ」
ベイゼルの言葉に誰よりも速く馬を走らせたのはルディエラだった。
***
「おまえ、馬鹿だろ?」
誰よりも速く出立したルディエラだが、誰より早くバテたのもルディエラだった。
「短気すぎだし。物事をよく考えろ?」
「……」
「見えてるからって、一日掛ける訓練だぞ? 近いと思うなよ。馬を潰す気じゃないだろうな?」
淡々と言われる言葉にルディエラは黙々と水を飲んだ。
はじめのうちに距離をとろうと、途中である川で水の補給を忘れたのだ。水分はないし、無理やり走らせた馬は不機嫌になるし、最終的に馬が完全にヘソを曲げ、ぐったりとしているところでベイゼルに頭をはたかれた。
「配分も考える訓練なんだよ」
「面目ありません」
水場を理解しているベイゼルに川に連れて来られ、ルディエラはふてくされるように直に川に口をつけるようにしてごくごくと水を飲んでいたが、最終的に自ら頭を突っ込み、ベイゼルは「ぶふっ」と噴出した。
「まー、簡潔な頭の冷やし方」
犬のようにぶるぶると頭を振って水気を飛ばし、ばしりと頬を討つ。
「行きます!」
「まーて。まてこら」
くるりと身を翻そうとしたところで襟首を引っつかまれた。
ベイゼルはぐいっとルディエラに顔を近づけ、ニヤリと口角をもちあげるようにして笑った。
「金あるか?」
は?――
「金だよ、金」
「きょ、きょうかつっ?」
かつあげ?
目を見開いて言うと、更に頭をはたかれた。
「ちげーよ。おまえはこのまま行くと今日の酒代を全額負担だ。おまえも含めて総勢九名。一人あたり銅貨で二枚――そうだな。酒だけじゃねぇな。つまみなんかもつけると、銀貨で二枚いっちまうかもな?」
その単純な計算にぞっとした。
「な、無いですよ!」
――無い訳ではないが。
それでなくとも銅貨で十枚、すでにセイムにもっていかれた後だ。
「そこでだ」
ふふふっとベイゼルは悪い笑みを浮かべてみせた。
「銀貨一枚出すなら、俺様が特別におまえを連れていってやろう。俺はこの訓練のプロだ。昼寝していたってケツにはならねえ。悪い話じゃないだろ」
「恐喝とどこが違うんですか!」
ルディエラはギっとベイゼルを睨みつけた。
「ぼくはズルはイヤです!」
「チッ、いい話なのになー。 おまえ、後悔するなよっ」
などと悪な台詞を吐き捨て、ベイゼルは高笑いしながら自らの馬の上に飛び乗り、
「迷子にはなるなよーっ」
「ちょっ、どっちに行けばいいかぐらいは教えていけーっ」
水場に行く為に道をそれているのだ。
ルディエラは地団駄を踏むようにして叫んだが、自分の声が木々の間をこだまするだけだった。
絶対に見返してやる。
ドチクショウっ! 覚えてろっ。
ルディエラの決意は堅い。