その9
第三騎士団副長であるベイゼル・エージと西砦の熊殺しバゼルを中心としてこそこそと作戦会議をたてている中にいれてもらえず、第三騎士団所属見習い隊員ルディ・アイギルことルディエラはまんじりとカムの首を押さえるようにしてじっと山小屋へと視線を注いでいた。
中天を越えた太陽はじりじりと角度をかえていくが、まだまだ日は高い。この山小屋に立ち入った山賊達にしても、こんな場ではすぐに発見されると思っているのか、見張りの男達もぴりぴりと張り詰めているように見える。
「なぁ……アイギル?」
そんな緊張を孕んだ中であるというのに、作戦会議とは別のところにいる一般隊員であるユージンが困ったような表情でルディエラに声を掛けた。
その顔をみてはじめて、自分の現状をルディエラは思い出す。
そう、もう全てばれてしまっているのだ。
自分が熊殺しバゼルの兄妹の一人であること。すなわち第三騎士団隊長ティナンの身内であること。騎士団顧問エリックの子供であること。
そう、そして何より、女であるということ。
ばつの悪いような気持ちになり、ルディエラは困ったように眉を八の字にして顔をあげ、灰色狼のカムをユージンから引き離すようにちょっとだけ後方におしつつ、勢いをつけてがばりと頭をさげた。
「すみませんでしたっ」
ユージンの背後に立つ第三騎士団の面々もひるむように息を呑んだ。彼らからしてみても、ルディエラに対してどう対処すべきか判らないという雰囲気で実に遠巻きだ。
「ぼく、ずっと皆さんに嘘をついていました。
ずっとずっと、よくしてもらっていたのに。本当にごめんなさいっ」
「声のトーン落として」
慌ててユージンがいさめると、どこかほっと息をつくように他の誰かの「ま、殿下方はご存知のことなのだよな? ならオレ達がとやかく言うことじゃないし」という擁護を皮切りに、仕方が無いだろうという空気が流れ出す。
半泣きで口元を歪めたルディエラに、ユージンは苦笑を浮かべてみせた。
「まぁ色々と聞きたいことはあるけれど。誰かの言う通り上の面々が了承していることについて私達が責めることはできないよ。それに、女性であったとしてもそれで手を抜かれていたり、キミが足を引っ張っていた訳じゃない」
「お前の卑怯なくらいのがんばりは、認めているさ」
その口々に優しい言葉に、本当に眦に涙が浮かびそうでルディエラはぐっと目元を左腕の袖口で拭った。
卑怯なくらいという言葉は少し気にかかるが、褒め言葉として処理しよう。
「はいっ。すみません。ありがとうございますっ」
「ま、相手が女の子だとわかっていたら、嬉々として脱いだんだがなー」
ニヤニヤと言うダレソンドロの言葉に、ルディエラはぱっと顔をあげた。
なんといっても第三騎士団一の肉体美を誇る相手の台詞だ。飲み会の折に酔っ払ったルディエラに脱げ脱げと追い回されたトラウマにより今までルディエラと目が合うと逃げ回っていた男の言葉に、ルディエラは嬉々として拳を握りこんだ。
「見せてくれるんですかっ?」
「ふざけたこと言ってないで。こっちこい。作戦発表するぞっ」
いつの間に背後に立っていた第三騎士団副長ベイゼル・エージがごんっとルディエラの頭に拳を見舞い――その場の緩んでいた空気はまたしても緊張に包まれた。
ベイゼルの言葉に隊員達が意識を改め集中した為ではない。
可愛い妹の頭に無遠慮に拳を見舞ったベイゼルに対し、熊殺しが一気に殺気を漲らせた為だ。
「ベイゼル・エージ――いい度胸だな」
――西砦の熊殺し。
まったくもって驚く程の役立たず。
「コレは今あんたさんの身内じゃないの。うちの隊の人間なの。それが理解できないなら熊殺しの旦那は邪魔でしかない。さっき手配した場所にさっさとまわってくれ」
幾つか偵察隊を飛ばして、盗賊達が分散している箇所をすでに割り出している。その別箇所に行けというベイゼルは、熊殺しの殺気をいなすように言うと、さっさと自らの仕事に戻った。
ここにきてベイゼルのみが正論を巻き散らず現状に、第三騎士団の面々は内心でどよめいていた。
誰よりも適当を愛している筈のベイゼルがこの場の誰よりまっとうで有能にすら見えてしまう。
しかし、そんなベイゼルだとて心から不本意なのだ。
何故自分ががんばらなければいけないのか。何故自分が他人に命令しているのか。自分が考えて動くのなんて大嫌いで、その為に幾度かあった昇進という他隊への異動についてものらりくらりとかわしていたというのに。
何故よりにもよってこのタイミングで場の統制を自らが図らなければならないのか。ルディエラさえいなければ、本来であれば有能な筈のバゼルに丸投げしてしまえるのに。ルディエラの存在が思い切り西砦の熊殺しを役立たずな阿呆にしてくれる。
ベイゼルはふぅっと遠い場所を眺めるように瞳を細めた。
思い返せば第三騎士団隊長ティナンも、こと妹に関しては馬鹿になる。男兄弟の中でやっと産まれた待望の女の子とやらは、どこまでも手中の珠であるらしい。
――ベイゼルは、ぎろりと熊殺しを睨みつけてぶつぶつと何事かを言っているルディエラを盗み見た。
……行くあてがなければ引き取ってやるなどと、なんと恐ろしい言葉を吐いてしまったことだろう。
今更だが訂正はきくだろうか。
やっぱ、ナシ。なしなしなし。
チェーンジ。
思わず半笑いになったベイゼルは、ふとルディエラが自分を見ていることに気づいた。
眉をくっきりと八の字にし、何か問いかげに見上げてくる。なんとも嫌な後味のようなものを覚えて「うわぁぁっ」と声をあげると、ベイゼルはがしゃがしゃと自分の髪をかきまわした。
「アイギル! まず、おまえさんの犬を貸せ」
***
伝令を飛ばしあい、時間を合わせて各所の人質奪還及び盗賊討伐の決行となったが、先鋒として何より役立ったのは、ルディエラの使役する灰色狼、カムであった。
ベイゼルがいる場から各所の間に人員を配置し、カムの遠吠えを合図にして順次狼煙をもって作戦の開始とする。
狼の声を聞いた盗賊達は一旦辺りを見回すように鋭い動きを見せたが、獣の素早さで見張りの一人をカムが飛び掛って押さえ込めば、その恐ろしい四足の獣の姿に動揺が走る。
「うわぁっ」と見張りが叫べばもう一人が大刀を身構えたが、なんといっても相手は狼だ。
その場の男たちが完全にひるんだところで、山小屋の中にいた男達が「何事だっ」と声を荒げて飛び出したものの、そこに見たのは、見張りの一人の首筋をくわえ込み、鼻面に深く皺を寄せて低く低くうなり声を上げている灰色狼だった。
未だ成獣とはいえぬ大きさといえど、その迫力は大の男をひるませるのに十分な圧力があった。
「じゅ、銃だっ。銃を持って来いっ」
飛沫を飛ばすようにして誰かが叫び、慌てて身を翻した男が二人。
自分達が出てきた山小屋の扉から中に入ろうとしてぎょっとした――
予定ではここで背後の押し窓から侵入を果たした三人の隊員と、そして一応女であるという理由でルディエラが室内に入り込み、三人の隊員が颯爽と焦っている夜盗達を威嚇、制圧している背後でルディエラが縛られている人質三人の救助に回る筈であった。
しかし、押し扉の下には不恰好に歪んだガラスがはめ込まれていたのだ。
焦るベイゼルとユージンの背後で、ルディエラは音をたてずにじたばたと足を動かしながら「早くしないと!」と急かしたものの、その眼差しはばっちりと銃を取りに戻った屈強な男とかちあってしまった。
ぎゃーっ、と声にならない悲鳴をあげるルディエラの横で、ベイゼルは舌打ちして腰にある連絡弾を打ち上げる銃を掴み銃口を相手に向けるのではなく、その握り部分をガラスに打ち付けた。
「ってぇっ」
鈍い音をさせてガラスが割れ、その欠片でベイゼルの腕が傷つくが、そんなことに構っていられるような場合ではない。
内部から女達の悲鳴と、そして男の怒号。
すでに当初の予定とはまったく違う様相をていししまっていたが、はじめてしまったものは今更止められない。
「副長っ」
ルディエラの声など無視し、ベイゼルとユージン達はさっさと自らの武器を男達へと向けた。
本来騎士団の面子が使っている長剣――そしてベイゼルは血にぬれた手に短銃を持っていたが、その銃は何度も言うように先ほど空へと打ち上げた連絡用の音響弾だ。果たして役に立つのか甚だこころもとない。
焦るルディエラも、慌てて自分の剣を引き抜こうとしたが、他の声がそれをおしとどめた。
「ばか、お前は人質のほう」
――ぐんっと肩を押されて、一番背後に押しやられる。
部屋の中と外という状態で、中にいる男は長銃を引っ張り出したが、ベイゼルが鋭い声で「撃つなっ」とこちらも短銃を構えてみせる。
しつこいようだが、ソレは連絡用の煙弾をあげるものであって殺傷能力があるとは到底思われない。
ひやひやとするルディエラに構わず、ベイゼルは余裕をみせるように口元を緩ませた。
そんな混乱状態の小屋裏であったが、入り口の方でもすでに作戦など無駄であることを悟った他隊員達が数名乗り込み、声高に男達を威嚇していたが、やがて「この馬鹿犬っ」と悲鳴が上がっていたのはどうやらルディエラも良く知る騎士団の面子の声だ。いったい何をしているのかカム。まさか騎士団の誰かにかみついているのではあるまいか、カム。
背筋に冷たいものを感じながらひやひやするルディエラとは違い、ベイゼルは逆に落ち着き払ってさえいる。
「ここはもう囲まれているぞ。短銃と猟銃――こちらは国の精鋭を集めた騎士団。どちらに分があると思う? ここで死ぬか、法に裁かれるか好きにしろよ」
ベイゼルらしからぬ真面目な口調。猟銃を向ける男がぎりぎりと歯軋りをし、人質のいる方へとにじり寄ろうとしたところで更に背後――小屋の入り口で悲鳴があがる。
それに意識をとられた隙を突き、ユージンは割れたガラスをものともせずにひらりと室内に飛び込み、それにあわせるかのようにもう一人がナイフを投げつけた。
咄嗟に男の猟銃が火を放つ。心持あがった銃口は決して誰かを傷つけるような角度ではなかったが、ルディエラは目を見開き、そんなことは気にもかける様子もなくユージンの剣が男の腕を剣でなぎ払う。
飛び散った鮮血は――ルディエラの腹を冷えさせるのには十分な真紅。
まるで桶の水を庭先に捨てるかのようにまき散らされた血に、ルディエラは自らの眼差しがすっと針のように細くなるのを感じた。
ぐっと喉の奥から鉛がせりあがるような感覚に奥歯をかみしめる。視線を反らしたいと訴える本能を叱責して、無理やり腰の剣を引き抜いた。
体内に冷静さは一筋も無かった。
――そして、実質、それが終わりであった。
ルディエラは気ばかりが急いてはいたものの、これといって活躍できなかった自分に顔をしかめ、それでも人質となった三名に引きつった微笑みをかけて手当てを施した。脳裏には男の悲鳴と鮮血がちらちらといつまでも消えてくれない。
壁に散った血と、そして力任せにガラスを打ち破ったベイゼルの腕を襲ったガラス片。ベイゼルの腕もまた、血にぬれていた。
脳裏には鮮血がどろりと張り付くようで、吐き気に頭がくらくらとしていた。
――騎士に、なる。
無邪気に笑う幼い自分に、ルディエラは心のうちで背を向けた。
ルディエラ自身騒ぎのうちで男の一人の脇腹を切りつけた。それは無様な程か弱い剣。わずかに相手を傷つけるだけに留まったそれは、致命傷になど決して至らない。
そのことに、どこかほっとしている自分に奥歯を噛み締めれば口腔に血の味がにじんだ。
――騎士になる。
騎士になるのだ。
たとえ自分がどれだけ愚かしく、覚悟すら備わっていなかったとしても、この先に今一歩進んできっと騎士を目指す。
口腔に滲んだ血を袖口でぬぐい、ベイゼルの腕の手当てに思い至って慌てて視線をめぐらせれば、ベイゼル達はおとなしくなった夜盗達を他の部下に任せ、なにやら話し合いをしていた。
「あ、ありがとう……ございます」
ベイゼル達へと意識を飛ばすルディエラであったが、ふいの高い声に慌てて声の主へと視線を戻した。縄で縛られてうっ血した箇所をなでながら、少女が半泣きでルディエラに礼を口にしたが、ルディエラは複雑な気持ちで眉をひそめて愛想笑いを返すだけであった。
胸がずっとドキドキとせわしなく鼓動している。
どうにも気持ちが悪い。
――自分には何かができる。
自分ならもっと。
力がなければその素早さで補ってみせる。身軽さで騎士にだってなれる。
そう思っていた筈だというのに、実際にその場になって自分にはこれといって何もできていなかった。
これはきっと場数の問題だ。
心のどこかはそんなふうに自分を慰める。けっして女だからとかではない。
けれど本当に、場数で何とかなるのだろうか。猟銃を向けられた時、その銃砲は自分を向いてはいなかった。それでも血の気は引いた。足はすくんだ。
他者が流す血にひるみ、自らが相手を殺さなかったことに安堵した。
場の空気に圧倒され、始終耳鳴りがしていたような気さえする。
ベイゼルのように、本来使えもしないものを向けて冷静に交渉など――きっと自分にはできない。
「なんだ。へんな顔して」
人質となった三人の女性を数名の砦警護の隊員に彼女達の町へと送ってもらえるように頼み、手の中で使いかけの包帯を巻きなおして視線を落とすルディエラの頭を、ベイゼルがすぱんっと叩いた。
「ふくちょう」
「なによ?」
「手、怪我大丈夫ですか?」
ハッと慌てて視線を上げれば、すでに引き裂いた布地で強くむすばれている。どうやら自分で素早く手当をしたのだろう。
「大丈夫――だと思うか? いてーよ? 大変だ、これは一刻も早く酒がいるっ」
ベイゼルは当初ゆったりとした口調だったものを崩し、ぐっと拳を握り締めた。途端に本当に痛みを覚えたのだろう、イテテっと顔をしかめる様子は先ほどまでの緊迫感はまったくない。
いつもの第三騎士団副長ベイゼル・エージだ。
「ま、とりあえず。
真っ暗になっちまう前に戻ろうぜ。今、何人か他に向かわせたけど一応鎮圧されているみたいだし。あとは熊殺しの旦那にまかせて、臨時雇いのオレ達騎士団はさっさと退散」
顎先で、アレを護送しなけりゃならんし。と続ける。
「副長は、怖くなかったですか?」
「なんだよ、へんに生真面目な顔して」
「だって、あの銃――もともと連絡弾用のヤツですよね。弾だって入ってなかったんじゃないですか?」
「ま、最悪銃を投げつけてやるつもりだったから」
……実は結構豪胆なのか。それともやはり適当なのか。
驚くルディエラに、ベイゼルは何故か顔をしかめて「だーっ」と声を漏らし、怪我をしていないほうの手でルディエラの頭をわしゃわしゃとかき回した。
「あんまり真面目にとるなよっ。やり辛いったらっ。
ほらほら、かえっぞっ。あー、腹へった!」
「副長」
背を向けてひらひらと手をふる相手に、ルディエラは意を決したように声に緊張を含ませた。
「――色々、嘘をついていてすみませんでした」
「あー、うん。ま、はい」
ぴたりと足を止めてあいまいな返事が返る。
がりがりと自らの頭をかき回し、ベイゼルは長息して困ったように笑ってみせた。
「行くぞ」
それ以上はもういいと示すように言われ、ルディエラは複雑な顔で眉を寄せたが、早く来いと更に重ねられて汚れた白手に包まれた手が差し向けられる。
わずかに先端をちょいちょいと動かす指先を見て、ルディエラは駆け出した。
五箇所で一斉に行われた作戦は、こうしておおむね順調に幕を閉ざすこととなった。
他の箇所でもベイゼルのように怪我人が多少は出たものの、幸い人質となっていた女性達に命を落とす程の被害は出なかった。盗賊達のうち数名に死傷者は出たものの、そのたいはんは生きたまま捕らえることに成功している。
それいがいで被害にあった者がいるとすれば、縛り上げられた挙句騎士団官舎までの道のりを延々と自らの動揺をごまかすように「その筋肉で犯罪に走るなど言語道断、神を冒涜する暴挙だ、ありえない」とルディエラによる素晴らしい筋肉教の布教活動を受けることとなった盗賊のみであろう。一緒に行動を共にしなければいけなかった騎士団の面々にもとばっちりであったが、ルディエラのいっそすがすがしい程のやつあたり、燃え上がる筋肉正義はとめられない。
とめたが最後自分がからまれるのではないかと誰しも口を噤んでいた。
一旦は泥のように沈んでいたルディエラであったが、筋肉の素晴らしを熱弁しているうちに元気を取り戻し、その単純なる思考回路は別の思いにとらわれ始めた。
長時間落ち込みが持続しない脳筋ルディエラは、基本的には単純で何事も前向きすぎる程に前向きだった。
今回はなんといっても初めての作戦だ。あれ程の鮮血も、人を斬る感覚も、恐れるのは誰しも通る道に違いない。
そんなことは一旦放置し、明るい未来のことを考えよう。
そう、未来。
秘密がばれてしまえば心がもうすっかりと晴れがましいことではあるまいか。
今まで嘘をついていたことが結構重荷であったのかもしれない。
多少他の隊員達がぎこちないが、それは仕方の無いことだろう。何といっても、いままで男達に混ざって汗とドロにまみれていたのが実は可愛い女の子であったと知れたのだ。
ぎこちなくてむしろ当然。
ルディエラは前向きすぎる程に前向きに意識を切り替えることにした。
そう、自分はちょっと少し、いやかなり役に立たなかったかもしれないが、カムは今回の作戦の功労者。
――それはすなわちカムの飼い主ルディエラの手柄といってもいいのではないだろうか。
もうすぐルディエラの騎士団での見習い期間は終わってしまう。これまでこれといって手柄をたてていた訳では無いが、重大な失敗をした訳でもない。ここにきてこれは十分賞賛すべき働きといっていいのではないだろうか。あくまでも自分の動きはちょっと微妙ではあったとしても。
今回の事柄はプラスになったとしてもマイナスにはならないだろう。
そう思えば思うほど、気持ちが高揚してしまう。目の前には騎士団見習いから後方の邪魔な部分が取っ払われる未来がぱぁっと広がっていた。
だが、現実とはそんな簡単なものでは無かった。
だが、現実とはそんな優しいものでは無かったのだ。
第三騎士団の中庭にある練兵場にて報告を受けた第三皇子殿下キリシュエータと第三騎士団隊長ティナンは、縛り上げられた盗賊の姿と整列した騎士団の面々、そして参加していた砦側の人間を前に労いの言葉を掛け、ことの顛末を各隊長副隊長とに確認をすませると――お互い目配せするようにして、まず口火を切ったのはキリシュエータであった。各隊の労いの言葉をすませ、捕まえた男達への扱いの指示を出していく。
「まだ全てがつかまったとは言い切れない。
砦側には警戒をとかずに見廻りの強化を――騎士団からは第三騎士団から十名程を三日の間派遣する。各自砦側の責任者の指示に従うように。十名の選抜はティナンに任せる」
キリシュエータの指示にティナンがうなずくと、それまで口出しをしなかったバゼルが当然のように口火を切った。
「ティナン、今回ルディエラは人一倍貢献した。女の身でこれだけやれば十分だ。夜警からははずすか、外せないのであれば俺のほうによこしてくれ」
またしても肉親としての発言にむっとしたルディエラがバゼルの言葉を撤回させようと「兄さまっ!」と声を荒げたのだが、それはティナンの言葉によって打ち消された。
「ルディエラ」
それは冷ややかな声音で名を呼ばれただけであった。
ただ、それだけでルディエラはざっと自らの血の気が引くのを感じて青ざめた。
慌てて視線がティナンへと向けられる。
キリシュエータの隣で書類を手に立つティナンは、口元に笑みを浮かべて――ルディエラを見つめ、そして告げたのだ。
「――ルディ、ルディエラ。
君の騎士団見習いとしての身分をこの時をもって剥奪する。
約束したね。自分が何者であるのか決して明かしてはいけないと――見習いとしてここにいたいのであれば、自らの出自も、性別も、全て隠し通せと」
楽しげにそう口にしたティナンは、そっと首を振った。
「残念だ。あと数日であったのに。実に、残念だよ」
――そんなこと、ちっとも思ってやいない癖に。
それはこの場にいた事情を知る由も無い者にさえ判るティナンのだだもれな内情であった。
その後、ルディエラは目をあけたまま気絶した。
実際には頭が真っ白になり、だれが何を言っているのか判断できない程の精神状態に陥ったのだ。そして気づけば、目の前にはかいがいしく朝の世話をするティナンである。
「……隊長」
それでもいつもの癖でもう一度そう口にしてしまう。
ティナンはにこにこと「もう兄さまでいいんだよ」と人がもっとも言われたくないことをさらりと口にする。
それを合図にしたように、ルディエラは面前の相手が隊長ではなく――兄であると切り替えた。
それはもう綺麗さっぱりと。
こんなのは隊長ではない。
ものすっごい、腹立たしい、むかつく、兄だ。
「――どうしてぼく、兄さまの部屋にいるんだっけ?」
「夜も遅かったからね。だからといって女の子であると暴露されてしまったルディがベイゼルと同室の部屋に行く訳にはいかないだろう? だから昨日はぼくの部屋に泊まったんだよ? どうしたの? 疲れて忘れてしまったのかな」
やけににこにことして気持ちが悪い。
――ティナンはこんな感じであったろうか。
ルディエラは気持ちがずんっと急降下するのを感じながら、うろんな眼差しで返してしまう。
どんよりとした雲が自分の上にのしかかるように目がすわってしまうルディエラなどおかまいなしで、ティナンは優しい眼差しでルディエラを眺め――まるで遠くを見るようにふっと息をついた。
「本当に……生きていて、良かった」
「死なないよ!」
確かに突然の作戦ではあったが、いちいち生死の心配をされるとは。
騎士なのだ。確かに見習いではあるけれど、騎士団の一員として訓練にいそしんでいる――何かあるたびに命の心配をされるなど心外もいいところだ。
あまり役には立たなかったけれど!
クビになってしまったけれど!
憤慨でもたげた首がまたしてもへにゃりと落ちた。
それをどうとったのであろうか、ティナンはふっと息をついて眼差しを細めた。
「戻ってきてくれて、良かった」
――だから、そんな簡単に死んだりしない。
日々の訓練をいったい何だと思っているんだ。伊達や酔狂で騎士になることを切望していた訳ではない。
何事か言ってやろうと口をひらきかけたが、丁度その時、慌てたような従僕の少年がせわしなく扉をノックし「もうし――」と声をあげたのだが、それより先に扉は外側から開かれた。
「どうしてにんじん娘はここにいるんだ?」
第三王子殿下キリシュエータの声に、ルディエラの背中がぴしりと伸びて、ティナンは顔をしかめた。
「ルディはまだ着替えてないのですから。そもそも、どうして貴方が自ら私の部屋になどいらっしゃるのですか」
「普段であれば私の朝の身支度に現れるどこかの誰かが来ないものだから、こうして足を運んでやったのであろうが」
「きちんと従卒に命じておきましたよ。それとも何ですか? あなたときたら、そんなに私に世話をされたいのですか?」
ティナンの言葉にキリシュエータは苦々しい顔をしたが、その視線を寝台からわたわたとおりて慌てているルディエラに向けた。
「にんじん。朝食を済ませたら私の執務室に」
びくりと身をすくませたルディエラに、ティナンがかばうように一歩距離を詰める。
「殿下、そのようなことは従卒にお任せ下さい。あなた様自らが使い走りのような真似までなさって」
「ティナン、お前も別に同席してもかまわないが、その場合は一切口を挟むな」
きっぱりと言いおかれ、ティナンは唇を引き結んだ。
――そんな二人の顔を交互に見るルディエラは、誰よりもおいてけぼりっであった。
「……どうせ邪な気持でいらしたんでしょうに」
ぼそりとティナンが半眼を伏せて低く言えば、キリシュエータが「誰が邪かっかっ。そもそも、何もお前の部屋に泊めなくとも部屋なら他にあるだろう!」とけんけんと応じる。
主従の阿呆のような喧嘩を前に、ルディエラは―やっぱり置いてけぼりなのであった。