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俺じゃない

作者: かず

平成二十二年九月一日、横山武は自分のアパートのある山手線の大崎駅で電車を降りた学校の夏休みが終わるという点を除けば、夕方のラッシュでひときわ混雑している、

いつもと変わらない光景であった

 電車を降りた後、改札に向かって歩いている途中、ふらふらした足取りで歩いている若い女性を見かけた。見るからに危なかった。大丈夫かな、と思った瞬間、女性が大きく傾き、線路に落ちそうになった。

「危ない!」

武はとっさに走って、彼女の体を抱えた。気の抜けたような顔をしていたが、目鼻立ちがはっきりした美人であった。

「大丈夫ですか」

武は女性の体を抱えたまま尋ねた。

「あ、すみません。ぼやってしてたもので」

ようやく、彼女は自分の力で立ち始めた。武は、

「気を付けて下さいね。今の時間、山手線はラッシュで込んでますから。じゃ、僕はこれで失礼します」

武が再び改札の方に向かおうとすると、彼女が呼び止めた。

「あの、お礼をさせて頂きたいのですが」

「お礼なんて。当たり前のことをしただけですから」

「そういうわけにはいきません。ある意味、命の恩人ですから」

「そんな、大げさな」

と武は断ったが、「どうしても」という彼女の懇願に

「じゃ、お茶でも」

と応じた。

 2人は改札を出て、駅近くの喫茶店で向かい合った。改めて、彼女を見ると、思わず吸い込まれそうな美人であった。

私、戸田美幸と申します。目白女子大の学生です」

「僕は横山武、公務員です」

公務員とは便利な呼び名である。武は警視庁捜査二課の現職刑事だったが、それをいうと妙に警戒されるので、細かく聞かれない限り、「公務員」と名乗ることにしている。

「公務員って、どこかのお役所の」

「まあ、そんなところです」

美幸はそれ以上、細かくは聞かなかった。

その後、コーヒーを飲みながら、会話がはずんだ彼女は秋田出身で今年東京に出てきたとのことだった。隣の五反田にマンションを借りて、住んでいるとのことだった。

「東北訛りひどくないですか。ちょっと気にしてるんです」

確かに訛りはあったが、時間が経てば慣れてくる。

「そんなことないですよ。気にしないで、いいと思います」

店に入って、一時間が経とうとしていた。「そろそろ、切り上げなければ」と思い、

「そろそろ、失礼します。ご馳走さまでした」

と武は席を立った。

「いいえ、どう致しまして」

と彼女が応じた。

「あの、携帯のメアド交換しませんか。私、東京に知り合いが少なくて」

こんなに若くて綺麗な女性なら、願ったり、かなったりである。

「あ、僕で宜しければ、いいですよ」

赤外線通信でお互いのメアドを交換した。

「何か相談ごとがあれば、何でもおっしゃって下さい。できるだけ力になりますよ」

「宜しく、お願いします」

お互い、手を振って、別れた。

最後まで「刑事」だということは黙っていた。特に言う必要はないと思った。

「今年、上京してきたというということは19歳かな」

だとすれば、武より十歳ほど若いことになる。付き合っているところを想像して

「俺、刑事だし、犯罪って言われるかな」

と一瞬、ニヤリとしたが、「俺、何を考えてんだろう」とすぐ我に帰った。

「また、会えたらいいな」

と思いながら、自分のアパートに向かって、歩き出した。


翌朝、職場へ出ると、同僚たちが集まって、なにやら騒いでいた。

「何かあったんですか」

武が尋ねると一年先輩の桜木が

「また、昨日、あったらしいぞ。「俺じゃない」事件」

「俺じゃない」事件というのは警察でいうところの事件ではない。二年半ほど前から都内で起きている、若い男の変死事件である。警察でいうところの事件ではないというのはその死因が「衰弱死」ありていにいえば「老衰」だというところである。死因が「老衰」である以上、警察がどうこうするわけにはいかない。「俺じゃない」というのは病院に救急車で搬送中に必ず、

「俺じゃない」

とうめきながら、死んでいくからである。近頃、マスコミも騒ぎ出している。

「何人目ですか」

「二十八人目だよ。平成二十年の五月から毎月。今月も出るのかな」

本当に不可解なのはいづれも二十代から三十代前半までの若い男だということである。医学上あり得ないことなのだが、鑑定医がいくら解剖しても「老衰」以外に死因が見当たらないというのである。何か共通点があるかといえば、その直前に急にガン患者になったようにやつれていくということぐらいである。課長の大野が

「まあ、事件性なしだから、どうしようもないけど。おい、桜木、横山、ちょうど、お前らくらいの歳の奴が該当するから、気を付けろよ」

「気を付けろ」と言われて、どう「気をつければ」よいのか、桜木にも横山にもわからなかった。とりあえずは。俺たちには関係ない、と思うくらいである。

 捜査二課は主に詐欺、横領などの経済事件を主に取り扱う。殺人等の凶悪犯は隣の捜査一課の担当だから、死体には縁がなかった。武は駐在勤務時代を含め、およそ死体には縁がなかった。

 昼飯を食べに外へ出たところで、携帯が鳴った。戸田美幸からだった。

「今日、夕ご飯を一緒にいかがですか。連絡をお待ちしております」

「いいですよ、今日は仕事も暇ですから」

いつ何時でも事件が起こる捜査一課と違って、告訴や被害届けを受けて捜査を開始する二課は今日、明日の都合はつけやすかった。すぐに返信が返ってきた。

「それでは、私の住んでる五反田においしいお店があるので、そこにしましょう」

五反田駅の改札で待ち合わせることにした。

 警視庁へは山手線で大崎から有楽町にゆき、地下鉄有楽町線に乗り換えてゆくのが最短であった。五反田は大崎より渋谷・新宿方面に向けの隣駅であるから、いつもの大崎への帰宅から一駅乗り越しになる。五反田駅の改札では美幸が待っていた。

「今日は僕におごらせて下さいね」と言うと、美幸が

「はい、ご馳走になります」と笑った。

美幸に連れられていったのはこじんまりした、イタリアンの店である。武は職場が男ばかりだから、行くのはいつも居酒屋で、こういう洒落た店には縁がなかった。

「きれいな、お店ですね」と宏が言うと、美幸が

「東京に出てきて、最初に友達と行ったお店なんです」と答えた。

「東京はどうですか」

「まだ、慣れないところはありますけど、少しずつ楽しくなってきました」

甘口のワインを飲みながらの会食で、時刻はもう九時を回っていた。

「そろそろ、お開きとしましょう」

と武がいうと、美幸は

「ご馳走さまでした。また、二人できましょうね」と

笑顔で答えた。その笑顔の可愛らしさに一瞬、武は吸い込まれそうになった。

 レジを済ませて外に出ると、街はまだいくつものネオンサインで活気づいていた。

美幸がすーと、武の体に身を寄せてきて、

「私の部屋でお茶飲んでゆきませんか」

と信じられない言葉を発してきた。武は信じられないといった顔で、

「いや、もう遅いですし」

と断りかけたが、それを静止するかのよう、美幸が腕を組んできた。武は警察官だからだろうが、自分が何かいけないことをしているんじゃないかと思った。しかし、体はその意思と反対に美幸に導かれるままに、美幸のマンションへと足を運んでいた。

 美幸の部屋は多分ここ二,三年で建てられたと思える清潔で新しい五階建てマンションの最上階であった。玄関から中に入ると、そこは女の子らしい、ピンクを基調とした明るい部屋であった。

「男の人を部屋に入れるの初めて。ちょっと緊張するな」

と美幸は乙女のような恥じらいを見せて顔をピンク色に染めた。

「いや、僕のほうが緊張しますよ。本当にいいですか」

と武は言い返した。

「お砂糖はどうします?」

コーヒーの用意をしながら、美幸が尋ねてきた。

「あ、ブラックで結構です」

と武が返すと、「はい」といって、カップの2つ載ったお盆を運んできた。武は

「それでは、頂きます」

といって、コーヒーに口をつけた。すぐ隣に美幸が座り、目を潤ませながら

「私、横山さんのこと、好きになっちゃったみたい」

と顔を近づけてきた。そして、武の唇に自分の唇を重ね、そして体も・・・・


 遠くで犬の鳴き声がした。「うっ」という呻き声を上げて、武は目を覚ました。

「ここはどこなんだ」

頭を上げて、周りを見回した。何年も見てきた光景だった。武の部屋だった。昨日のことはよく覚えていない。確かに美幸の部屋にゆき、唇と体を重ねたはずであったが、その後どうやって自分の部屋に戻って来たのかはどうしても、思い出せなかった。

 体がやけに疲れている。前日に山登りでもしたかのような疲れだった。起きて、冷蔵庫を開け、冷やしてあった、ペットボトルのお茶を一気に飲み干した。すこし、元気が出た。

 桜田門のオフィスにいくと、先輩の桜木が

「お、横山、朝帰りでもしたのか。目に隈ができてるぞ」

とからかった。自分の部屋に帰ったのが、昨日のうちだったか、今日の朝だったか、わからなかったので、仕方なく、

「ちょっと、飲んでて遅くなっちゃいました」

と答えた。今日は今、捜査中の大型詐欺事件のためのガサ入れの日だった。課長の大野が

「みんな、今日は宜しく頼むぞ」

と一声かけると、「おー」という捜査員たちの応答が一斉に返ってきた。

「いかん、しっかり、しなくては」

武は自分に言い聞かせた。警部補への昇任試験も近づいている。ここでへまをするわけにはいかなかった。

 ガサ入れが終ったのは、午後二時を回ったくらいの時である。遅い昼食を取りに近所の食堂へ行った。定食を食べ終わった時、ちょうど、携帯が鳴った。

「昨日はどうもありがとうございました」美幸からである。

「いいえ、こちらこそ、どうもありがとうございました」

「今度はいつ会えますか」

今日、押収した資料の分析などで2日はかかる。

「しあさってですね。そしたら、仕事終った後、私の部屋に来ていただけます。今度は手料理をご馳走します」

「ありがとうございます。じゃ、しあさってに行きますね」

電話を切った。美幸の声を聞いて、少し元気になった。

「よし、今日、明日とがんばるぞ」

三日後の夕方、武は美幸の部屋を訪れた。

「いらっしゃい。ようこそ、おいで下さいました」

美幸が笑って、武を迎え入れた。武は食後のデザートにと、ショートケーキを買って持ってきていた。部屋に入ると、武の好きな匂いがした。カレーの匂いだった。

「うれしいな。カレーですか。僕大好きなんです」

「喜んでもらって、光栄です。さー、どうぞ、召し上がれ」

「いただきまーす」

二人はテーブルを囲んで、楽しい食事会を始めた。そして、デザートを、そして・・・

 今度は武も感覚をつかんでいた。美幸との情事は激しかった。DVDで借りて見た事のある映画の「危険な情事」のようなそれであった。まだ、二十歳前なのに。それに美幸が上に乗る体位の時、発する、

「いいでしょ。気持ちいいでしょ」

という言葉もAV女優か娼婦のようで不可解だった。

 美幸の部屋を出た時は、ひどい疲労感が体中をおおっていた。一駅だが電車で帰る気力も起きなかったから駅前でタクシーを拾った。「大崎まで」と言ったら、運転手も不思議そうだったが、構わなかった。自宅のアパートの前に止めてもらい、階段をやっと上って、

鍵を開けた。玄関に入るとその場に倒れ込んだ。


 その後も美幸から誘われる度に激しい情事におぼれ、疲労困憊に陥るが、また誘いにのりということを繰り返した。悪いと思っても手を出してしまう麻薬患者のようであった。

 周りの上司、同僚からも「顔色が悪い」「痩せてきた」「大丈夫か」と心配されていたが

どうとも自分でも止められなかった。

 そんな、ある日の昼休み、いつもの定食屋で昼飯を食べている時、後ろの学生たちの話が耳に入った。

「そういえば、「俺じゃねえ」で死んじまった、うちの大学の鈴木先輩、駅で助けたっていう女性と付き合っていたっていうんだけど、誰も見たことなんいだよな」

「駅で助けたっていう女性」の部分が引っかかった。

「君たち、その話、詳しく、教えてもらえないか」

餃子二皿を条件に話してもらうことにした。なんでも、その先輩は駅でふらついて線路に落ちそうなのを助けたのが縁でその女性の部屋に行くようになってから、げっそり痩せ始め、今年の5月に「俺じゃねえ」と叫んで死んだという。

「あ、あと、これは週刊誌に載ってたことなんですけど、「俺じゃねえ」って叫んで死んだ人、皆、山手線沿いに住んでいるみたいなんですよ。鈴木先輩も新橋でしたし」

 武は体が凍りついた。「助けた女性」「山手線沿い」は武にも当てはまることではないか。

あの美幸がまさかとは思うが、自分の体の消耗は隠しようもな事実であった。

 武は体調が悪いとウソを言い、タクシーを拾って、五反田に向かった。こうなったら美幸に確認するしかない。美幸のマンションの前でタクシーを降り、エレベータに乗って「5」を押そうとしたが「5」はなく4が最上階であった。あわてて、管理人室に行って「5階」への行き方を尋ねると、意外な言葉が帰ってきた。

「このマンションは4階建てたから、4階が最上階だよ」

「そんなはず、ありません。確かにこの前まで5階はありました」

「そう、言われてもね。あ、確かこのマンションが建つ前のマンションは5階建てだったよ。でも2年ほど前に取り壊してね。オーナーが5階建ては縁起が悪いと4階建てにしたんだよ」

「縁起が悪いってどういうことですか」

「前のマンションが建ってたとき、5階に住んでた女子大生が自殺したんだよ。理由はよくわからないのだけれどね」

「彼女のこと、覚えてますか」

「いや、名前とかは忘れたな。でも確か秋田からきたっていったたよ」

武の背筋がゾクッとした。

「まさか、そんな、俺は死人と話したのか、死人と飯食ってたのか、死人とセックスしてたのか?ありえない、あれは現実だった。あんな激しい情事が空想のものだなんて、絶対にありえない」

武は自分に言い聞かせるように言った。武は携帯電話を取り出すと、警視庁の同期に自殺の概要について訊いてみた。答えは武をさらに驚愕させるものだった。

「名前は戸田美幸、本籍は秋田県・・・・・。平成二十年四月二十五日、五反田駅でぶつかって線路に落ちそうになったところを男に助けられたが、お礼のつもりでお茶をご馳走しに自宅に招いたのを好意と勘違いした相手の男に強姦された。この件については被害届けが出ている。その後、同年同月三十日にに首をつって自殺。強姦についてはまだ、犯人が逮捕されていない。犯人の男は山手線沿線に住んでいると思われる血液型Bという以外、手がかりなし。以上。でも、二課のお前がなんでこの事件のこと、訊くんだ」

「いや、なんでもない」

武は携帯を切り、呆然と立ち尽くした。

「彼女は一体、誰なんだ。戸田美幸と名乗る彼女は一体」

いずれにしても、もう会うのはよそう。幸い、俺はまだ生きている。彼女に会いさえしなければ、これ以上、悪くなることはない。

 五反田駅から山手線の内回り電車に乗った。隣の大崎に帰って、今日は早く寝ようと思った。ぼんやりと社内の路線図を見て、はっとした。大崎に下りるなり、さっきの捜査一課の同僚に頼み込んだ。

「「俺じゃない」事件の発生した、いやそうじゃない、それで死んだ男の死亡日時と当時の住所を調べてくれ」

「おいおい、強姦事件といい、「俺じゃない」事件といい、一体、どうしたんだ」

「頼む、一生のお願いだ」

「わかった。調べて、お前の家にFAXするよ」

「ありがとう、宜しく」

俺の考えすぎであってくれと思った。それくらい、恐ろしい想像だった。

部屋につき、座ってコーヒーを飲んだ。FAXが来るのを待っているのか、こないのを願っているのかよくわからなかった。それくらい動揺していた。

 

夜の七時になって、ピーという音とともにFAXが来た。恐る恐る、手にとって見た。

結果は武にとって、絶望的なものだった。

 最初の「俺じゃない」事件の変死者の死亡日時が平成二十年五月二十六日、住所は品川区五反田・・・・・・・・。二件目が同六月二十八日、住所は品川区目黒・・・・・三件目が同七月三十日、住所が渋谷区恵比寿・・・・・・・。最後が先月、つまり、平成二十二年八月三十一日 住所が品川区品川・・・・・・。

つまり、自殺の起こった翌月に自殺のあった五反田で始まり、毎月追うごとに、五反田→目黒→恵比寿→渋谷→原宿→新宿→新大久保→高田馬場→目白→池袋→大塚→巣鴨→駒込→田端→西日暮里→日暮里→鶯谷→上野→御徒町→秋葉原→神田→東京→有楽町→新橋→浜松町→田町→品川と時計回りに変死事件は起きていた。そしてこれにしたがうと今月は武の住む大崎であった。大崎で起きれば山手線をちょうど一回りすることになる。定食屋で学生にきいた彼らの先輩の変死は今年六月で、住所は新橋であったから上の関係と一致する。しかし、この変死事件と戸田美幸との関係は何か

「ちょっと、待てよ」

と武は思い出した。この強姦事件の犯人の手がかりは「線路に落ちそうなところを助けてくれた」「山手線沿線に住む」ということだけだ。だとすれば、山手線を自分の住んでいた五反田を基点に外回りに回って、「線路に落ちそうなのを助けた男」という基準で探してるということではないか。だとすれば、「線路に落ちそうなのを助けた」「山手線の駅のある大崎」に住んでいる武が「今月」対象となる。そして、今日は九月末まじかの二十八日・・・。

 武はいそいで、アパートを引き払い住所を大崎から、京浜東北線の品川から次の大井町に移した。山手線から外れれば大丈夫であった。荷物を新居に入れる準備をしていると不意に携帯が鳴った。恐る恐る手に取ると美幸であった。慌てて電源を切った。すると、家の固定電話が鳴った。固定電話の番号は美幸には教えていない。受話器を取ると

「武さん、早く着てよ。早く着て抱いて」

と、美幸とは違う女性の声がした。武は固定電話の電源コードを抜いた。するとドアホンが鳴った。覗くと美幸に似ている娘が立っていた。部屋の隅に行き、毛布を被った。今度はドアをドンドンと叩いて

「武さん、武さん、何故逃げているの。早く私とSEXしましょう」

と何度も声を立てた。武は生きた心地がしなかった。

 すると、すっとドアを叩く音が鳴り止んだ。帰ったのだろうか。被っていた毛布を脱いで周りを確認した。その時、今度は老婆のようなしゃがれた声で響いた。

「私にSEXを教えたのはお前か。横山武、お前か」

「ひえー」

武は後ずさりした。目の前にいるのは、あの戸田美幸ではなく、口が耳まで裂けた山姥のような化け物だった。

「俺じゃない、俺じゃない」

「許してくれ、帰ってくれ、俺じゃない、俺じゃないんだ。美幸、許してくれ」

しかし、その化け物は武に近づくと、首根っこを両手でつかんで絞め上げた。

「お前だな。お前が教えてくれたんだな。もう、離さないぞ。美幸とは誰の事だ。私は冴子だよ。さあ、私を早く犯しなさい」

武は呼吸が苦しくなった。

「お、俺、俺じゃ、ない」

次の瞬間、首を絞める力が少し弱まったような気がした。

「このままじゃ、死ぬ」

絞めつけが弱まった手を払いのけて、武は玄関から外へ出た。

「俺じゃない、俺じゃない」

後ろを振り返りながら、何度も声を上げた。

「死にたくない、俺じゃない、死にたくない」

うわ言のように何度も繰り返した。そして、大通りに飛び出して・・・・・・


次の日、武は冷たくなっていた。

目撃者の話によると、何事か叫びながら、走ってきたトラックに飛び出したらしい。


同期でいろいろ調べてくれた刑事が通夜の席でつぶやいた。

「横山に間違った情報を教えてしまったんてす」

「間違った情報?」

「ええ、あいつ俺じゃない事件のことと二年半前の強姦事件のこと調べていたんですよ」

「それで」

「強姦事件の犯人捕まってないと言ったのですが、昨日、捕まりまして。ところがこの事件とはまた別の強姦殺人事件が平成二十一年の四月に京浜東北線の王子で起こったのです。そして「俺じゃない事件」と似た事件が翌月の平成二十一年五月に王子で、翌六月で上中里で、そして翌々月の七月に田端で起きたんです。まるで京浜東北線に沿うように。ただ、こちらの事件は交通事故かビルの屋上から飛び降りた自殺か事故で処理されているんですが」

「似てるというのは?」

「何か叫びながら、道路に飛び出したり、屋上から飛び出したとか」

「ということは?」

「先月の「俺じゃない」事件も今言った不審死事件も品川で起こってます。品川は山手線、京浜東北線でぶつかる駅です。田端から品川までは山手線、京浜東北線が並行してますから。解決した強姦事件のことを横山に伝えようとしたのですが、携帯も家の電話も通じなくて。次の日でいいやと思ってしまったんです。そしたら、こんなことに」

「じゃ、横山は大井町に引っ越ししたから犠牲者になったというのか」

「確かなことはいえませんが」

「そんなことがあるのだろうか」

「わかりません」


次の不審死事件は、大井町の次の大森で起こった。「俺じゃない」事件は大崎では無論、それ以降起こらなかった。


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