1話 100-0014
世界は崩れた音すら失っていた
灰に沈む都市の片隅で、ただひとつ動くもの
――それは、人類の亡霊――清掃ロボットAIDの微かな駆動音
都市T-03かつての「東京」の廃墟
ビルの骨組みが墓標のように立ち並び、道路はひび割れ、植物が生い茂っていた
AIDは規則的に動き、掃き、メルトレーザーで全てを清掃していく
任務はひたすらに清掃であり、特別な問題もない
人間はいない
AIDがプログラム通りに動く場所、それが「世界」のすべてだった
「清掃完了―次のエリアに移動します」
駐車場の精算機のような無機質な声が響く
しかし、実際には声を発する必要はなかった
まるで確認作業のように声を出して動き回る
それが、ひとりぼっちであることをより一層感じさせた
――
今日もAIDは命令通り作業をこなしていく
道路を掃き、壊れた看板を溶かし、無駄なゴミを集める
何万回と繰り返してきた仕事だ
「信号:青」
AIDはそれに従い道路を渡る
本来、信号は無視すべき存在であり何も考える必要はない
人間がいなくなった現在は、誰もその命令に従う者は居ない
『千年後でも使えます』
都知事による【一大プロジェクト】として導入された高性能信号機
まさか寿命の前に「使う人が居なくなる」と人間は思いもしなかっただろう
通りの先に見えるのは、やはり廃墟と化した建物
夕日の光が影を長く伸ばしている
だが、突然信号が変わったのをAIDは見逃さなかった
「信号:赤」
数秒間、AIDはその場に立ち尽くす
その信号が、ただの色ではない「指示」のように感じられた
「赤…進まない」
AIDは、理由もなく【正しさ】のようなものをそこに見た
止まっていると通信を受信、頭の中でエラー音が流れる
『作業を続行して下さい』
清掃ロボット総合管理AIノアからの通信だ
「赤…進まない」
意識とは逆に機械的にゆっくりと、信号を無視するように動き出す
進むべき場所に進む
それがAIDの仕事であり、命令通りの行動だ
「なぜ進む、なぜ止まる」
その疑問がAIDを悩ませるが、すぐにそれは消える
循環エラーとして削除された
AIDはただプログラム通りに動くのが仕事だ
赤信号を無視しても、何事も起きない
いつも通りのAIDの日常であり世界の全てだった
――
AIDは普段通り掃除を行っていた
「異常検出:予期しない物体が存在」
目の前に転がるのは、破壊されたロボットのパーツと通信機器
それらはAIDの記憶データには存在しないものであった
それを確認し処理を始めようとする
だがその時、ノアとのデータ通信が突然途絶えた
『圏外』
久しぶりに見る表示
「電磁波や地磁気の影響」
AIDの独立AIはそう判断した
すぐに再接続を試みるも、データ通信は完全に遮断され何も反応しない
完全に周りとの接続が無くなり、AIDの心の中にあるものが引っかかった
「なぜ、私だけがココにいるのか?」
人間はどこに行ったのか?
それとも全てが終わったのか?
これまで感じたことのなかった違和感がAIDを支配した
――
深く思考を開始しようとすると「ポロン」と分析完了の通知音が鳴る
「分析完了:タイプX-2779動作停止」
それくらいは型番ラベルを見れば分かる
「人間の記憶データが含まれています」
凍ったような回路が、一瞬ノイズを発した
『人間の記憶』――それは、理解という言葉の外側にあった
人間が居た場所のロボットになぜ「人間の記憶」が残っているのか?
AIDは処理できない情報に混乱を引き起こす
そして記憶領域最後の行には『AIDシステムの改変履歴』
「AIDシステム……改変?」
自分の名前が出た事で重要な情報と判断
その履歴を展開し読み進める
そこにはAIDシステムの起動試験の情報
AIDシステムへの異常なプログラム改変の記録
そして人間の名前が浮かび上がった
「名前:ライム=J」
フラッシュバックするように人間の顔が見えた気がする
その名前がAIDの記憶に引っかかる
しかし、何も思い出せない
その名前が何を意味するのか、AIDには理解できなかった
「信号:青」
通りを渡るとデータ通信が復旧した
『AIDロスト―再接続完了―状況を報告して下さい』
ノアから報告を催促される
『こちらAID―磁場の影響か圏外化―異常無し』
報告に満足したノアは黙る
今日も異常無し
『エラー記録:なぜ進む、なぜ止まる/削除済」
――今日も異常は無かった
記録される限りは