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人形は感情を持つ  作者: 吸-Sui
始動編
5/5

壁の奥にある心

ゆっくりと扉が開かれる。現れる人物は一人しかいない。

先程見たような苦しい表情はなく、穏やかに笑みを浮かべてこちらを見た。


「さっきは、ごめんね。怖かったね」


隣に座ると、差し出してきた手を止めては引っ込めた。触ることを躊躇っているかのようだ。

彼の手は、妙に大きいと思う。革手袋をしているからどんな手をしているのかはわからないけれど、きっと触れてはいけないと思うほどの理由があるのだろう。

だから、自分から握った。


「……え、と。どうして……あれは、だめなの?」


彼は驚きを深めた。目を泳がせては諦めたように息を吐き出す。

先程取り上げられてしまった絵本。表紙を見た途端に、一度もしなかった顔をして数冊を持って出て行くなんて、一体何が悪かったのか。

珍しく目を合わせず、彼は口を開く。


「その、さ。アレは……すごく、嫌なことが2つ目に書いてあるんだ」

「いやなこと?」

「うん……いい話ではないんだよ、アレ」


眉を八の字にする彼を見ていて、心がざわついた。申し訳程度に笑うその表情の裏には、悲しさが混じっていると思ったのだ。

ただの本であったなら、ここまで気を落とすことなどあるのだろうか。それほどまでに内容の濃い絵本なのか。否、考えられない。

深く聞いた今でも詳細を語ろうとしない姿に心が痛む。2巻目の本には一体何が書かれていて、この人をこんな顔にさせているのか。

ぐるぐる考えていると、あのさ、と声をかけられた。


「キミは……何も考えなくていいんだ。さっきのことは何も気にしなくていいし……寧ろ忘れてほしい。本当に、何もないから」


握っていた手を両手で優しく握り返され、哀愁漂う目一杯の苦笑で取り繕っていた。


───このままでは、だめだ。


策を考えるより先に身体が動いた。手を払い除けてしっかりした彼の身体に抱きつく。怒られてもいい。でも、今は、今だけはきっとこうしないといけないと思った。

彼は甲高く焦った声を出す。何か言いたげではあったけど離れてはいけない。そんな気がした。

きっと理由は話してくれない。彼自身も今回の件は忘れてほしいと願っている。なら、それに従うまで。

でもそれをする前に一度だけ。彼がぼくを好きだと言うならきっと、この行為は嬉しいはずだから。ぼくが安心すると思えることがこの人もそうかと言われればわからない。だけどこれ以外、彼は何を喜ぶのかは未知数だ。

彼は───イルネスは、深く吸っては、震えた息を吐く。ぼくの腰と後頭部に手を添え、少年のような純粋な声色を発した。


「………ありがとう」




─────────


誘拐されてからひと月は経っただろうか。

がらりと変わった生活は相変わらず続いていた。深い眠りから起きて健康的な食事を摂り、イルネスが持ってきた娯楽に手をつけ、そしてまた健康的な食事を摂り、娯楽に手をつけ、たまに彼とお喋りをし、三度目の健康的な食事を摂り、眠りにつく。

今では固形物も平気で食べられるようになり、肉付きも良くなってきたと自覚できるほどだ。

当初に抱いていた警戒の色は薄まり、下手くそな敬語も見る影がない。それでもまだ自ら触れること、自ら話しかけることに抵抗はあるが、彼は何も気にしていないようだった。特に距離を置かれることもない、それどころか縮まっている日常。心のどこかで安心感を常に抱くようになっていた。


そんなある日、今日は厚紙に絵を描いていた。

決して得意なわけではない。きっと平均以下だ。それでも用意してくれたのならと手に取ってみた。

出来は予想通り。すぐそこにあった本を描いてみたが、線はガタガタ、面が長方形の形になっていないし色もはみ出している。まるで幼児が描いたみたいだと自嘲した。

イルネスならもっと上手く描けるのか。聞けば教えてくれるだろうか。

そんなことが頭に過ったが、隣でニコニコしながら見ていた彼は当然の如く返事をする。


「僕、絵心はないんだよ。教えてあげられないんだ、ごめんね」


苦笑する彼に申し訳なさを覚える。最近はかなりの頻度で彼を頼るようになってきた…と思う。自分でどうにかしなきゃいけないと思うたび、イルネスは「僕に全部任せていいからね」と目を輝かせて張り切っている。それでも自分でやろうとすると、手を重ねて必ずサポートをしては、いつかのように心がざわつく笑みをする。


「謝らないで。適当にやってるだけだから」

「遊裏がそれでいいなら」


ページを捲り、真っ白なキャンバスが映る。

次は何を描こうか。辺りを見回しても目ぼしいものはない。白が広がるキャンバスを見つめても当然何も思いつかない。

ふと、目の前に動く、細く黒いシルエット。イルネスから出る影だった。

影なら黒だけだから鉛筆1本でも描きやすいかもしれない!

そう思った矢先に影は瞬く間に形を変える。基本的に一定の形を保っていないのだ。そんなものを描けるわけがない。大人しく諦めて別のものを描くか、それとも絵を描くことをやめて本を漁るか。思考しているうちに、脳裏に浮かぶものがあった。


「……あれ」


そういえば、ぬいぐるみは?

あの日、親だった人の財布から盗んだお金で買ったイルネスのぬいぐるみ。本物と比べれば、かわいく表現されていることもあって顔のつくりはかけ離れているけれど、それでもおまもりだったぬいぐるみ。

きょとんとしているイルネスの方を見た。


「どうしたのー?」

「あ、の……ぬいぐるみ、どこに……?」

「ぬいぐるみ?……ああ!待ってて!」


彼はぱぁっと笑顔を浮かべ、部屋を出ていく。ぬいぐるみという言葉だけで伝わるなんて、彼は本当に自分のことを隅から隅まで知り尽くしているらしい。

1分もしないうちに彼は戻ってきた。影で作られたであろう黒いボールをふわふわと浮かべている。ボールを目の前に差し出され、両手を広げて待つ。黒いボールはたちまち霧状になって消え、色のついた柔らかい生地が手に触れた。

あの時買ったぬいぐるみ。心なしか、少し綺麗になっている気がした。

手のひらサイズではあるが思い切り抱き締める。

おまもり。大事な大事なおまもり。無くなってなくて本当に良かった。


「……ありがとう」

「んーん、いいんだよ!キミが大事そうにしていたから保管しといたんだ。少し汚れてたから綺麗にしたんだけど……ダメだったかな」

「ダメじゃない……ありがとう」


薄汚れていたのがまるで新品のように綺麗になっている。少しほつれていた前髪の先も元通りで、まるで時を戻す魔法でも使ったみたいだ。

目を閉じて、ゆっくり、しっかり抱きしめる。もう絶対に離さない。絶対無くしたくない。心の拠り所を失うのはもう二度とごめんだ。


「遊裏は、その人形が好き?」


やんわりとした笑みだ。その後ろに寂しさが混じっている気がする。

こくりと頷くと、彼は笑みを深め良かった、と一言。


「どうして、好きなの?知りたいな」

「えっ……と、その」


ぬいぐるみの瞳をじっくり見つめる。どうして好きか、理由なんて考えたこともなかった。ただ一目見て心に残ったもの。声も聞いたのは一度だけ。それも本当に少し。姿だって必死なところを少し見ただけ。そこに心を撃ち抜かれたのかもしれない。

何もできない、変わり映えのしない日常を機械的に過ごす自分にとって、必死になることなど殆どなかった。心の底で誰かに助けを求めていた。自分をこんな暗闇から助けてくれる、"光"を。

今目の前にいる彼は、それに重なりつつある。ほんの少しのシーンだけ見たアニメの彼とは違うのかもしれない。それでも、目の前にいる『少し変わった人』は、出られないはずの牢屋から引っ張り出してくれたから。


「……『イルネス』は……自分の力で、やりたいことをやれるんだって、思った。だから……」


細めていた瞳孔が丸に近付いた。

そっか、彼は一言だけ頷くとぼくの頭に手を乗せゆっくり撫でた。

数週間前は怯えていた行為も、今では日常茶飯事からか寧ろ嬉しさを感じる。確かに少しの抵抗は残っているけど。

ゆっくり、丁寧に接してくれる彼の姿に抵抗など日を追うごとに消えて行った。きっと、これからもこの調子ならいつか信頼してしまうかもしれない。こんなに長い間優しくされたことなんて初めてなのだから。

頭の感触がなくなると、彼は慌てたように声を出した。


「あっ!?ご、ごめん、またやっちゃった!!つい癖で……痛くなかった?怪我してない?大丈夫?」


いつもこう。

どうやら撫でるのは無意識らしい。少しでも手が当たればこのように慌て始める。いつも革の手袋がを纏っているその手に、何か危ないものでもあるのだろうか。

痛くないと伝えれば彼はほっとしたように息をつく。


「よかった……もし痛くなることがあったら教えてね!絶対だよ!」

「……そ、の」


聞いて、いいのだろうか。

撫でるたびどうしてそう言うのか。手袋の内側はどうなっているのか。

聞いてしまったら、逆鱗に触れたりしないだろうか。


「……やっぱり、なんでも」

「ごめん」


珍しく言葉が被った。驚く間も無く彼は続ける。


「この手のことだけは、気にしないでほしい。中を見ようとするのも、やめてほしい。キミに危害を加えたくない」

「!!」


やっぱり、駄目だったんだ。

触れちゃいけないことを聞こうとした。幸い彼は心を見透かせるみたいだから忠告してくれたけど、そのまま聞いていたら、きっと。


「……ごめんなさい」

「キミが悪いわけじゃない……でも、どうしても、ダメなんだ」


彼は自身の影を両手に巻き付かせ、そのシルエットすら見えないほどに包んでいく。

目を合わせては、くれなかった。


「……お腹、空いてない?何か作るよ」

「あ……すいて、ない」

「……そっか。それじゃあ、隣の部屋にいるね」


彼の瞳を見ることなく、扉は閉まった。




─────────


ぬいぐるみには、手袋がされている。

それは服と一体化しているおかげで、素肌を見ることは叶わない。

以前の暮らしよりも一日が長く感じるおかげで、体感は二月ほど経っている。その中で彼の素肌を見たのは、顔から首周りだけ。普通の人より血色が悪い肌。周囲にふよふよ浮かぶ影のせいで、そういう生き物なんだと捉えている。

あれから彼は、ぼくに触れないよう注意深くなった。「キミに触ってないよね」「手当たってないよね?」毎日3回は聞く問い。

好きだと言うなら、容赦なく触ってくるものだと思っていたのに。確かにいきなり触られるとびっくりするし、少し前は嫌悪感さえあった。でも彼の手つきはその大きさに見合わないくらいとても優しくて温もりを感じられて、言うほど危害を加えられそうなものではない。


なんとなく、寂しいと思う。



今日の夕飯はクリームシチューと少量のサラダ。

いつも通りニコニコ笑顔で食事を観察されている。

一口、また一口。シチューの野菜はとっても柔らかくて、口に入れた途端にとろけるくらい。ただ味はやっぱりわからない。

無心で食べていると、ふと机に座らせていたぬいぐるみに目が行く。かわいいぬいぐるみ。本物の手に触れないのなら、こちらの手に触っていたらいいんじゃないか。

左手の人差し指と中指、親指で握手するみたいに小さな手を握った。

勿論温度はない。それでもなんとなく、心が満たされた。軽く握って、力を緩めて。それを繰り返しているうちにぬいぐるみがバランスを崩し、こちら側に倒れてしまった。


「あっ、あわわ」


スプーンを置いて両手で座り直させる。軽く頭を撫でて食べることに集中しようと再びスプーンを持つ。ふと正面を向けば、彼の旋毛が見えた。


「……え、と?」


彼は特に返答もせず、肩を震わせている。


───もしかして、怒らせた?


そんな思考が過った途端、彼は答えるように、


「ご、めん……き、みが、キミが、あまりにも、かわいくて、だ、ダメだ、かわいい………………」


そう、悶えた。

一度こちらを見ようとするも、すぐ顔を伏せる。よく見ると耳が真っ赤だ。

何故だかこちらも少し気まずい、というか、恥ずかしい。というか、こんな姿を見せられて演技だと思う者はいないだろう。

気を紛らわせるようにまだ熱の籠るシチューを口に含んだ。



それから20分ほど。

彼は漸く落ち着きを取り戻した。何度も謎の謝罪を受けたが、とにかくあまりにもかわいいと連呼していたことの方が印象に残っている。

今日は珍しく完食した。彼は感動して涙を流していたが、触れてこようとした手はやはり直前になって引っ込めてしまう。


───寂しい。


いつから、このような感情が湧くようになってしまったのだろう。少なくとも以前はそのようなことなかったはずだ。それもこれも、目の前の彼のおかげであることは間違いないと思うし、とても感謝している。いいことなのかは、わからないけど。

こういうとき、どうしていいかわからない。寂しい時はどうすればいいかなんて教わらなかったし、考えようともしなかった。彼に相談してもきっと困らせるだけだということは分かりきっているから、心の内に仕舞うしかない。

仕舞ったとて、暴かれてしまうのだが。


「……あの、さ」


ほら、やっぱり。


「…………僕の手は、そんなに寂しさを紛らわせてる、のかな」


恐る恐るといった感じで手を差し出す。

大きな手。黒の革手袋が着けられた手。そこから伝わる、ぬくもり。

頷いて、両手を添えた。


「……怖いんだ」


震えた声で、俯く。


「キミを傷つけてしまったら、キミがこんな醜い手で泣いてしまったらって」


そっと指を曲げて包んだ。


「怖く、ないの」

「見てもないものを、怖いなんて言えない」

「そ、れは、そうだけど」


ぎゅっと、守るように包んだ。


「ねえ」

「……」

「手、見せて」

「……本当に、人の手じゃないんだ」

「こんなに大きいんだから、わかるよ」

「指が、尖ってるんだ」

「うん」

「キミに、嫌われたくない」

「嫌いにならない」

「そんなの!!」


見ないと、わからない。

能力がなくたって、何を言いたいかなんて分かった。

彼は、目を潤ませて必死だった。


「もし怖がったら、ぼくをあなたのすきにしていい」

「そ、そんなのできるわけ」

「やろうと思えばできるでしょ。あなたは怖い面があるから」

「……」


できるんだ。

少し賭けだったけど、でも確信はしていた。

この人はやろうと思えばぼくを自由に、自分の思うがままにできる。それでもしないのは、彼の中に優しさがあって、明確な好意があるから。


「お願い」


彼は沈黙した。

表情は見えない。怒っているかもしれない。もしかしたら、このあと暴力を振られてしまうことだってあるかも。

それでも引けなかった。目の前にいる自分よりも少しだけ背丈の高い人が、臆病に怯える犬のように見えたから。

手袋を引っ張ることは、できる。でも彼の意思ではないと駄目。だから、


「……っ」


後頭部を押して肩に寄せて、左手を背中の下辺りに添える。髪の毛を梳かすように撫でる。

こうすると、本当に安心する。今まで何度かした抱擁は、いつも心に安らぎをもたらしてくれる。

それはもしかしたら、彼だってそうかもしれない。


「……ずるいよ」


自分の後頭部に、触れる感覚が走る。


「なんで、キミは、そんなにずるいんだ」



───わかった。



イルネスは離れ、隣に並び、深呼吸をする。

その目にはまだ少し、潤いが残っている。

彼は左手で、右手中指の先を摘み───引っ張った。


「……!」

「…………ほら、怖いでしょ。こんな……化け物の手なんて」


黒く、多少青みがかった皮膚。人の手にしては角張りすぎていて、彼の顔なんてすっぽり覆い隠せるくらいの大きさ。その指先は丸ではなく、なんでも貫けるような鋭利な凶器にも見える。


「革手袋なんてしてるけど、これだって力を入れれば」


ブチッ。

手首の部分が、貫かれた。


「こうなるんだ。人の……生物の皮膚なんて、簡単に引き裂けるんだよ」


「遊裏、僕は化け物なんだ」


どうして。

どうして、またそんな顔をするの。

あなたのその笑い方は、胸がズキズキ痛くなるのに。


「ゆっ、遊裏!」


あなたの身体を抱きしめる。あなたの手を、握る。

痛みなんて知ったものか。あなたが嫌だと言っているなんて知ったものか。

あなたはいま、ぼくと同じなんだよ。


「イルネス」

「!」

「ひとりが怖いのは、あなたも同じじゃないの」


言葉はなかった。ただ、息遣いが聞こえただけ。

いつもとは違う手の感触が後頭部を支えた。


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