純真は手を取る
「キミを、幸せにしたい!!」
そう言われてから数十分。
目の前にはシチューと思わしきものが小さめのボウルに入っている。
差し出した当の本人はこの部屋からはいなくなってしまった。「きっといない方がプレッシャーにならないよね」、だそうだ。
そうは言っても、これを食べる気にはあまりなれない。確かに空腹ではある。でもいつものことだ。何も食べない日が続くなんて日常茶飯事。食べなくたって別にいい。それに、一見普通のシチューに見えるが、幸せにしたいというのは本当は嘘で毒でも入れているのではないか。そんな思考がよぎる。
───でも、もし。本当に自分を幸せにしてくれるのなら。
そんな希望を持ちたいという思いはあった。
でも、どうせ───。
シチューのいい匂いに包まれながら、あまりにもふわふわな布団を被り呑気に寝てみることにした。
─────────
それから数日。
イルネスを名乗る彼は毎日朝昼晩食事を作り続けた。毎度違うメニューを差し出してはすぐにどこかへ行く。食べないとわかっていても、彼は作る。それどころか娯楽小説や漫画、ゲームまで手の届く範囲に置いておく始末。手は塞がれていないし、鎖のようなものも長いからかなり自由が効く。
それに、懸念していたことはまだ一度も起きていない。
彼は、暴力を振るったりしないどころか、一度も触れてこないのだ。
当たりそうになったことすらない。確かに黒いものには少し触ったけど、それでもほんの少し。手首以外の黒いのが触れればすぐに引っ込めるのだ。
まるで宝石を扱うかのように、大事に大事に。
彼の言うことは本当になのだろうかと、少し疑念が湧いた。もし本当に、わたしを見てくれるのなら、"ぼく"を、見てくれるのなら───。
コンコンコン、とノックの音。最初こそ焦って返答はしていたけど、無理しなくていいとやめさせられた。
扉が開かれると、彼は迷わずこちらに向かってきた。いつもなら料理をする時間。何か企んでいるのだろうか。
「……ねえ、遊裏」
「キミをここに連れてきてから、1週間は経ってる。水は飲んでくれるようになってすっごく嬉しかったんだけど…ほんの少しでもいいから、僕の作った料理、食べてみてほしい」
真剣な眼差し。裏があるとは思えない紅い瞳。
「キミは今まで酷い待遇を受けてきて、もう疲れ果ててるかもしれない。諦めてるのかもしれない。でも、それでも……キミが失った感情を、キミが失った笑顔を僕に取り戻させてほしい。その前に死んでしまったら、それもできなくなるし、本来幸せを享受するはずの人生を無駄にすることになる。遊裏はきっと、生まれてきたくなかったなんて思ったことはあるんじゃないかな。でもキミはこの世に生を受けていまここにいる。それなら……それなら!」
「せっかく心を持って、身体を持って生まれてきたなら、生を楽しく幸せに生きて、愛を享受されないと、悲しいよ……」
勢いのままに両手を握られていた。
優しく、優しく。その大きな手とは思えないほど包んでくれるような強さで。
彼の声色に、瞳に、偽りを感じられなかった。
心から必死になって訴えかけて来ている。まるで信じられなかった出来事が本当のように思えた。いや、本当だ。
「えっ、あっ、な、泣かないで、あぁっ!?ま、待って全然許可なく触るつもりはなくて、ごめんごめん本当にごめん、痛かった?痛かったよねごめんねもう絶対無意識に触るなんてことしな…」
彼の大きな手に触れた。厚い革の手袋越しだけど、それでも手の形がわかる気がする。少し固くて、しっかりあったかくて。それだけじゃない、体温だけじゃない温かさがある。
もし、この人がイルネスを騙った人だったとしても『幸せにしたい』という根幹は変わらない。理由は特にないけど、そう言い切れる。
それにもう諦めた人生だ。今更騙されようがどうでもいい。この人が嘘をつくかどうかなんて気にしてない。だってしっかり話したのはこれが2回目なんだから。
「しあわせに、してくれるの」
「!!うん、勿論!!」
「ほんとうに?」
「本当に!!!」
希望に縋るように聞き返すなんてと自分でも呆れた。でも、今のところこの人は酷いことをしない。だからきっとあまり警戒しなくても大丈夫だとは、思う。
まだわからない、わからないけど。
"ぼく"は、食事を摂ることを希望した。
─────────
目の前に差し出された食事。
ご飯に、卵 (かはわからないが)と水?を混ぜたようなものを浸したもの。遊裏はじっと見つめていた。
「これ卵粥だよ。しばらく水だけだったから、あまり油っこいもの食べるとお腹がびっくりするかなと思って。味はついてるとは思う。食べてみて」
スプーンを差し出され受け取り掬ってみる。柔らかいのがよくわかる。ご飯ってこんなに柔らかくなるんだと驚きもありつつ感銘を受ける。
口に運んで食べる。咀嚼。味は"しない"。
「ど、どう…?」
「『おいしい』」
「……っ」
感想を言うと彼は苦い顔をした。何故だろう、おいしいって言われるのは好きじゃないのかな。
「遊裏」
「なん、ですか?」
「無理しておいしいなんて言わなくていい」
目をしっかり見つめられる。なんでわかるんだろうとか聞きたいことは山ほどあるけど、でも。
今までのことは通じないみたい。
「思ったままの感想でいいんだよ。見栄を張ったり、人の機嫌は伺わなくて大丈夫」
「でも」
「遊裏。味覚障害、あるでしょ?味がわからないの」
彼女は大人しく頷いた。おいしいかどうかはわからないと、初めて口にした。
「それでいいんだよ。もし味がするようになって来たらその都度伝えてほしいな。今は急がなくて大丈夫」
頭に何かが触れた。びくっと悪寒が走る。手だった。優しく置かれただけだった。
「あっ、ごごごごめん!つい癖で…」
「だい、じょうぶ。あなたの手は、やさしいから」
目をぱちくりとさせこちらをじっと見ていた。喋りすぎたのかな。何にせよきっとわたしが悪い。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「あ、だ、大丈夫だよ!謝らなくていいんだよ、遊裏は何も悪くないよ」
そうは言うけど本当はもっと謝らないといけない。喋りすぎてはいけない。少しでも機嫌を損ねるようなことをするのは一番ダメ。
だから、がんばって、次からは、
「ごめんね、少し触るよ」
身体を引き寄せられ、再び頭に手を置かれた。腰に腕を添えられて視界が狭くなる。
これは、抱きしめられているのかな。
「大丈夫、大丈夫だよ。遊裏はとってもいい子なんだ、何も悪いことはしてないよ」
母親が泣いている赤子を宥めるように。ゆっくり、優しく、頭を撫でられる。
不思議な感覚だった。初めてされた。心が、身体が暖まるような感覚がした。
───安心、する。
大丈夫、大丈夫と何度も囁かれる。その度に自分を肯定してくれているようだと勘違いをする。勘違いが本当であればいい。
このまま、ずっと、こうしていたい。
彼の服の裾をきゅっと握り、身を預けた。
─────────
それから、ご飯を少しずつ食べるようになった。
食事を置くとすぐに部屋から出て行っていた彼は、隣で食べるのを観察するようになった。
おそらく食べきれなかった残りが来るのを待っているのだと思う。水しか飲んでいなかった間も食べていたのではないかと思う。
誘拐されて10日経った頃。
近くに置いてあった本の山に手を伸ばしてみた。
これは『気を紛らわせるために』とか『暇つぶしにでも』とか『知識を身につけると面白いことがある』なんて言ってどさっと置いて行ったものだ。『影』を駆使して何十冊も置いて来た時は本で埋めて殺されるのかと思ったが、今はそんなこと思えない。
手に取ったのは童話のようだった。タイトルは『はぐれた魔族と人間の貴族』。試しに開いてみることにした。
『あるところに、善良な心を持つ魔物がいました。人間に化けて家事のお手伝いをしたり、子供と楽しく遊んだり、とても魔族とは思えないほどいい子でした。
ある日、魔物は久しぶりに魔界に帰りました。すると、魔物は他の魔族たちから攻撃され始めたのです。
「かえれよ!」
「人間なんかと仲良くしやがって、おまえなんか半端ものだ!」
「いまさら魔族づらして帰ってくるな、半端もの!」
魔物は罵声の他に魔法でも攻撃され、ボロボロになりながら人間の世界へと逃げていきました。
きっと人間たちなら受け入れてくれると信じて、魔物は普段仲良くしていた人間たちの集落へと現れました。
ですが、悲鳴が上がります。魔物は人間に化けるのをすっかり忘れていたのです。
人間は己を守るために戦おうと赴きました。もちろん魔物は戦いたくありません。魔物はふたたび逃げていきました。
誰も受け入れてくれない。みんなが自分を攻撃する。魔物はすっかり疲れ果ててしまい、遂には人気のない森の中で倒れてしまいました。
つぎに魔物が目を覚ますと、ふかふかのベッドの上にいました。
魔物はびっくり仰天。近くに1人の人間が座っていました。
「助けてくれたのか?」
「気まぐれだ。食事を摂ったら帰れ」
「帰る場所が、ないんだ」
魔物は落ち込んでしまいました。本来の自分の家の魔界でも攻撃され、人間たちと仲良く過ごしていた集落からも追い出され。
魔物はとうとう泣き出してしまいました。
人間は困りはて、ため息をつきました。
「ならここにいろ。いらないことはするなよ」
魔物はふたたび驚きましたが、笑顔を取り戻しました。
こうして、魔物と人間の共同生活が始まったのです。』
最後のページを開き、本は閉じた。どうやらこれには続きがあるらしい。
本の山にそれらしきものはなかった。どこかにあるのだろうか、遊裏は探すのを諦めた。
コンコンコン、とノックの音がする。イルネスがやって来た。
「様子を見に来たよー、あ」
視線は先ほどの童話に注がれる。彼は何故か苦笑した。
「それ混じっちゃってたんだね。……えと、読んだ?」
恐る恐るこくりと頷くと、彼は再び苦笑。また何かいけないことをしてしまったのかと思ったが、読んでも特に問題はないよと肯定した。
「これは、その……とある人の、実際の出来事を改変したヤツなんだ。だからまあ…続きはあるにはあるけど、僕の屋敷にあるから…」
「やしき?」
彼の口からは初めて聞く単語だった。でも納得した。こんなに大量の本、どこに保管しているのだろうと疑問になっていた。
「あ、ああ…言ってなかったね。こことは違う、僕が持ってる世界に屋敷があるんだ。そこが本当の僕の家」
彼が度々口にする『世界』。こことは違う場所がある、そんな認識でいたが考えているほど小さいものではないのかもしれない。
屋敷というからには、こんな小屋のような場所ではなく、とても広くて部屋がいくつもあるのだろう。メイドさんとかいるのだろうか。そもそも屋敷ということはお金持ちの家なのか。
様々な疑問が浮かび上がってくる中、彼はすべて答えてくれた。
「僕の屋敷は妙に広くて、他の人は住んでない。使用人なんてものはいないから、全部僕一人で家事をやってるんだよ」
「え…だれも、住んでない、ですか?」
「うん。僕の屋敷に他人を入れるなんて考えたくないから」
なんだか複雑な事情がありそうだ。あまり深入りすると良くない気がする。この程度に留めておこう。
哀愁漂わせるような顔をしたあと、パッと切り替わった。
「あっでも!遊裏は全然入っていいからね!!むしろ大歓迎だしなんならそのまま住んでも……」
「どうして?」
彼はきょとんとした顔をした。
予想外の言葉だったのかあまり理解できていないような顔をしている。
「どうして、わたしは、いいの?」
「えと…そ、それは!キミが好きだから…!!」
照れているような、しかし真剣な表情で、こちらを貫くような真っ直ぐな瞳。
他の人はダメなのに、わたしだけは許可するのなんて、少し怪しいだとか思ってしまうけれど。
こんな純粋で綺麗な眼を見てそんなこと言えない。
実際のところどう思っているのかなどわかるわけがない。わかったらそれこそ超人だ。
たった10日だけの出来事で完全に信用するのはまだ速いし、そもそも誰かを信用するなんてことはこれからも先きっとないだろう。
だけど、だけど。それでも。
『好き』と言ってくれたその言葉は、例え嘘だったとしても、演技をしてたとしても。
未来永劫、頭に残り続けるんだろう。
「……あなたは、わたしを幸せにしてくれるって言った」
「う、うん!」
「そこに行ったら、もっと幸せになれる?」
彼は驚いた顔をしたかと思えば、パァッと明るくなった。
「うん!!僕が保証する!!」
「じゃあ」
今すぐ行くのは流石に恐怖だ。まだ会って10日。これから酷いことをするようになるかもしれない。
なら、しないと確信を持てたその時。
きっとその時なら、わたしは彼と一緒にいて幸せになることができる。
夢でしか感じられなかった幸せを、きっと感じることができる。
「"ぼく"…が、あなたを、すきになったら、連れて行って」
大きな手を自分から握り、初めて目を見て話した。




