本当の結婚式と幸せの大木
「汝、ジュリアン・スミスはユノー・ラグナスを妻とし、生涯愛することを誓うか」
神父の問いかけに、「はい、誓います」と答えながら、ジュリアンは、田舎の百姓のせがれがここまで来たかという思いを胸に抱く。
教会の後ろに並ぶ席を見ると、新婦とその実家の関係者が多数並び、ジュリアンの方はこの王都でできた友人以外は商売上の取引相手が義理で顔を見せているくらい。
彼の懐かしい故郷からは親兄弟も幼馴染達も誰も彼の晴れ姿を見に来ている者はいない。
残念だが仕方が無い。
ジュリアンはユノーに誓いのキスをしながらそう思った。
そもそもジュリアンは田舎のそこそこ豊かな農家の次男だった。
幼いときから頭が良く、野心家だった彼は、農業の手伝いよりも遠くから訪れる旅商人の話に熱心に耳をそばだてていた。
そして親兄弟達が止めるのを振り切り、十代半ばで村との取引がある商会を頼って、そこの王都の本店で働くこととした。
短期間に商売のやり方を覚えたジュリアンは、以来十数年、創意工夫と人一倍の努力で顧客を掴み実績を上げる。
切れ者の手代として名を挙げたジュリアンはこのままいけば商家の番頭を経て、最後には店分けしてもらって小さな店を持たせてもらえたであろう。
しかし、ジュリアンに目をかけていた商家の当主が急な病に倒れると状況は変わった。
彼を妬む同僚の悪口を真に受けた若い主人は、ジュリアンを目の仇にしてろくな仕事をさせなかった。
ジュリアンがその仕打ちに嫌気が差していたところに、これまでの顧客から援助するから独立しないかと話を持ちかけられる。
それに乗ってジュリアンが独立すると、古巣の商会は執拗に嫌がらせを仕掛け、彼の店を潰しにかかった。
ジュリアンは当初仕入れ先や販売先の確保に苦しみ、資金繰りも苦労したが、殿様商売を続ける古巣の足元を掬うように地道な販売を積み重ねた。
ついには古巣との競争に打ち勝ち、倒産に追い込むと顧客を貴族にも広げてさらなる発展を遂げた。
そんな彼に注目したのは名門貴族のラグナスであった。
ラグナスは真面目で、学術や芸術に通じた高い教養を持ち、礼儀や旧例を固く順守する気位の高い貴族であった。
しかし、領地経営には疎く、先祖伝来の旧法によっていた為、時代に取り残され財政は窮乏していた。
そこへ水害にあって借金せざるを得なくなったが、その後の返済の見込みも立たない。
困ったラグナスは遂に商人に助けを求めることとしたが、大手の商会は他の貴族と結びついているため、まだ他の貴族の息がかかっていない新興のジュリアンに目をつけたのだ。
領内経営の再建依頼を受けたジュリアンはまずラグナスの領地を調べた。
そこは山が多く通常の穀物では他の産地に太刀打ちできない。
そのため、山間地の斜面にブドウを栽培することを提案。自ら品種を探し、試験栽培を行い、農民に手本を示した。
栽培に成功すると、付加価値をつけるためにワイン作りを行った。
ジュリアンの試作したいワインは上々の味で、ラグナスも唸らせた。
それをラグナスの伝手を辿って王に献上したり、貴族に売り込み、高級品との評判を得る。
ジュリアンはその評判をもとに廉価版を大量に作り富裕な平民に売り込むと飛ぶように売れる。
ジュリアンはその利益を折半してラグナスに送ったが、思った以上の収益であり、ラグナスもさぞ満足しただろうと思った。
送金してしばらく後に、ジュリアンはラグナスの屋敷に呼ばれた。
いつも身分差を意識し、堅苦しく上からの姿勢を崩さないラグナスが珍しく満面の笑みで迎える。
(それはそうだろう。
あのワインの販売の利益を見れば鬼でも笑顔になるはずだ)
ジュリアンは心で思う。
二人で成功を祝した後、ラグナスは一つの提案をした。
「スミス、貴様まだ妻帯しておらんな」
「はい。
仕事に忙しく妻を探す余裕もなかったので」
「ならばちょうどよい。
我が娘ユノーを娶らんか。
年回りも良い頃だろう」
(俺ももう三十路を過ぎている。
貴族の娘の適齢期は十代後半と聞いたが、俺と似合いの年頃といえば売れ残りだな。
何か問題があるのかも知れないが、ラグナス家とのつながりを深めて貴族の縁を持つことは商売の上でプラスになる。
それにしてもすぐに貴族の誇りを口にするラグナス様がよく商人風情に娘をやる気になったものだ)
ジュリアンは計算すると「喜んで」と返事する。
「良かろう。
では早めに婚姻しよう」
顔を見ることもなく結婚が決まった。
ジュリアンはこれまで商売一筋で女関係は玄人と遊ぶくらい。
貴族のお嬢様との付き合いなどない。
(まあ、なんとかなるだろう。
ラグナス様は貴族の誇りを重んじるが、正当な取引を行う方。
俺がいてこそ領地が再建できたことはわかっているはず。
そこに嫁がせるのだから、あまりに酷い相手ではないだろう)
結婚が決まってから、初めて対面してデートをする。
ジュリアンはあちこちと調べて貴族令嬢の好みそうなデートプランを作ってきた。
商人がと馬鹿にされないようにと念を入れてコーディネートして会った相手は、二十代の半ば頃、中肉中背で健康そうであり、容貌も世間的には十人並みかも知れないがジュリアンの好みのおっとりして優しそうな女性であった。
ジュリアンは(なかなか感じのいい女性じゃないか)と内心評価する。
毎日ともに暮らす相手から、貴族の誇りがとか庶民風情がとか言われるのは勘弁してほしいと思っていたのだ。
しかし、デートでは相手のユノーははじめに自己紹介したくらいで、話は弾まず、ジュリアンは一人で話していた感じであった。
(やはり商人風情に嫁がされるのが不満なのか。
デートではできるだけ気取って貴族らしくしていたのだが、似合わないことをして肩が凝った。
そんなに嫌なら決まる前に父親に文句を言ってほしかったぜ)
その後何度かのデートでも同じようにぎこちないものであり、ジュリアンは夫婦としてやっていけるか不安になるが、父のラグナス卿から、娘は乗り気だと言われれば取りやめとは言えない。
仲は深まらずとも時間は経過し、結婚に至る。
結婚式に親兄弟や故郷の友人を呼ぶか悩んだ。
ジュリアンは独立時に家族や友人から精一杯の支援を受けた。
そしてそのお返しに成功後は故郷に恩返しをするため、格安で物資を売ったり、まめに寄付をして、当人はたまにしか帰れずとも深い絆を持っている。
(彼らを招待するのは駄目だな。
家族や友人達が、あの田舎風の粗野な酒の飲み方をして、泥酔したら今まで築いてきた俺の仮面と信用が剥がれ落ちる。
そのうち妻を連れて挨拶に行くと手紙を出そう)
さて、結婚後もジュリアンとユノーの夫婦は打ち解けなかった。
結婚を契機にジュリアンは資産に見合った大きな屋敷を買い、従僕や女中を雇い入れて、ユノーを迎え入れた。
ユノーは貴族の夫人らしく、女中達を使って家を整えてるなど家政を切り盛りし、社交界ではうまく人脈を紹介してワインの売り込みをするなどジュリアンの助けとなってくれた。
(それはいいのだけど、家の中でも貴族風に上品ぶったやり方をされると落ち着く場所がない)
ジュリアンもそれに合わせて、貴族の婿らしく上品そうな話し方や振る舞うことを余儀なくされ、ストレスが蓄積していた。
独身時代は机に足を乗せてラッパ飲みで飲んでいたのが、今やテーブルマナーに沿って食事をしなければならない。
妻となったユノーもテキパキと働くが、口数少なく、顔色もすぐれないような気がする。
しかし、ジュリアンが「体調が悪いのなら医者に行きますか?」と尋ねても、何でもありませんと言うばかり。
ジュリアンは次第に家に帰るのが苦痛となり、夜まで商会にいて仕事に励む。
幸い商売はますます順調だ。
そんなある日、故郷から手紙が来た。
中を開けると、いつになれば妻を連れて里帰りするのかと親兄弟からの詰問である。
(ありゃ~)
ジュリアンは頭を抱える。
ユノーと仲の良い夫婦となっていれば田舎での振る舞いも大目に見てもらえるだろうが、今の関係では、こんな粗野な田舎者を夫にできません、離縁だと実家に帰られるかもしれない。
一方で、それもいいかという思いもよぎる。
こんな夫婦関係で一生送るなど、庶民生まれで夫婦は仲良くあるべきという思っていたジュリアンには耐え難かった。
その晩、ジュリアンは早めに帰り、食事後ユノーに話しかける。
「実は一度帰省して親兄弟や友人と会ってこようかと思うのだけど…」
「まあ、私もお義父さまやお義母さまに会ってないことが気になっていました。
勿論私も一緒に参ります」
嫌そうならば一人で帰るかというジュリアンの考えはすぐに粉砕された。
ユノーがいそいそと女中に準備させるのを見ながら、ジュリアンはどうなることやらと思う。
商会を信頼の置ける番頭に託して、ジュリアンはユノーと馬車に乗って帰郷の途に着く。
馬車の車中でも会話は少なく、ジュリアンは連れてくるのじゃなかったと後悔する。
長い旅の後、ようやく着いた故郷では村を挙げてジュリアンを迎えてくれた。
彼の寄付で学校ができていて、ジュリアンの成功譚は子供まで知っていた。
「「おかえりジュリアン!」」
父が思いっきり背中を叩き、兄や弟がハグする。
母が涙ぐみ、姉や妹が抱きついてくる。
幼馴染達が手を引いて、村の広場に連れて行くと、そこは大宴会場だった。
すぐにビールのジョッキを渡され、ジュリアンはなみなみとジョッキを空ける。
その頃にはユノーのことなど頭から飛んでいた。
男どもはビールを飲み、肉を頬張り、大声で騒いだ。
酔いが回ると、上半身を脱いでレスリングで組み合ったり、草競馬だ。
「昔は村一番のガキ大将も都会に行って青瓢箪か。
もう相手にならんだろう」
からかわれたジュリアンは大声で笑い、「青瓢箪か試してみるか」と上着を脱いでネクタイを外し、幼馴染と組み合う。
勝っても負けてもビールが待っている。
「ビールもいいが、俺が持ってきたワインも飲んでみろ。
お貴族様にも好評だぞ」
酔っ払ったジュリアンは馬車から自慢のワインを取り出し、皆に振る舞う。
「それはありがたい。飲んでみよう」
「うまいが、俺ら田舎者にはビールが一番だな」
家族や幼馴染の遠慮のない声にジュリアンは大笑いする。
「アッハッハ、お前達にワインはもったいない。
でも、実は俺もそうだ。
都会で上品ぶってお貴族様たちの相手をするのは疲れるぜ。
しかし故郷に寄付するためにはあいつ等からぶったくってやらないとな」
「お前の嫁は貴族の娘だろう。
うまくやれているのか」
「ハッハッハ
いい女だろう。
ちょっと気取っているけど俺の好みの女だ。
まだ慣れないがこれからうまくやっていくさ」
酔っていたジュリアンは故郷の友達を安心させるため、調子よくそんなことを言うが、離れたところで女衆に囲まれていたユノーがこちらを見つめているのを見た。
(やべー、貴族やユノーを馬鹿にするようなことを言っちまった。
後でユノーに何を言われるか)
その後は飲み比べ勝負となり、ジュリアンは倒れるまで飲んで、家に帰った記憶もない。
翌朝、二日酔い気味だがジュリアンは目を覚ましたが、一瞬どこにいるのか戸惑った。
「おはよう。
昨日は良く飲んでいたね。
朝ご飯食べられるかい」
母親がやってきた。
「おはよう。ちょっと飲みすぎたな。
でも久しぶりの母さんの手料理を少しもらおうか」
「あんた、昨日はユノーさん、放ったらかしだったろう。
だめだよ。新婚なんだから最初が肝心。
大事にしてあげな。
私ら田舎のオバサンも馬鹿にせずに気軽に話してくれたよ。
いい娘じゃないか」
「そう言えばユノーはどこに?」
「もうとっくに目を覚まして、朝食の支度を手伝ったあと、村の散歩に行ってくると出かけたよ」
こりゃまずいとジュリアンは急いで朝ご飯を掻き込むと、ユノーを探す。
道行く人に聞いて回ると、見晴らしの良い小高い丘にいるようだ。
坂道を上がっていった丘の上には大きな木があった。
ジュリアンが子供の頃に良く登っていた木だ。
その前にユノーは立って、木を眺めていた。
「ユノー、昨日は放っておいて済まなかった」
その背中にかけたジュリアンの言葉にもユノーは答えずに大木を眺めている。
ジュリアンももう田舎者の本性がバレたと思うとなんと言っていいのかわからず、沈黙した。
「ジュリアン・スミス、私はあなたのことを貴族の婿に相応しい、礼儀正しい紳士だと思っていたわ」
ユノーはジュリアンに背中を見せたまま、冷たい声で話しかける。
(遂に来た!やはり離縁か)
ジュリアンは刑を宣告されるような気持ちでありながら、この大木にまだ登れるだろうかと心の何処かで考える。
「ジュリアン、あなた、私のことを騙していたわね」
そう告げた後、ユノーは突然振り向くと、ジュリアンに飛びつく。
「だけど、俺好みのいい女だと言ってくれて嬉しかったわ。
行き遅れの女を貴族との縁をつなぐためにいやいや貰ってくれたのかと心配していたの。
結婚しても愛してくれているそぶりもなかったし。
それで見捨てられないように少しでも貴族令嬢らしく頑張ってたわ。
でも酔っ払った言葉を聞いて、私のことが好きなのかと安心したわ」
飛びついてきたユノーに驚きながらもジュリアンは抱き返す。
「俺もユノーが商人風情に嫁がされて不満なのかと心配していた。
だからなるべく貴族の婿らしい言葉遣いや所作をしていたんだ」
「ふふっ。
地が出たあなたのほうが好きよ。
私も家が貧しいときは家の事は自分でしてたの。
これからは家事も自分でやってもいいかしら。
あなたに私の自慢のシチューを作ってあげたいわ」
「勿論だ。
ユノーの手料理は楽しみだ」
お互いに笑いあった二人だったが、ジュリアンが提案する。
「この大木には幼い頃から願い事があると祈りに来ていたんだ。
二人でこの木に生涯仲の良い夫婦になることを誓わないか」
「いいわ。
仮面を取った二人の本当の結婚式ね」
二人はその大木の前で、生涯愛することを誓い、キスをする。
旅行前と打って変わって仲良く手を繋いで帰ってきた二人にメイド達は驚いた。
ユノーはそれからしばしば手料理をジュリアンに振る舞い、彼は嬉しそうにそれを食べた。
二人は間もなく子供も授かり、ジュリアンはますます商会を大きくし、ラグナス領は富裕な土地として羨まれるようになる。
ジュリアンとユノーは国一番のおしどり夫婦として仲睦まじく暮らした。
その秘訣を尋ねられたジュリアンは冗談混じりに、故郷の大木のおかけだと話したら、それが国中に広がった。
ジュリアンはそれを好機と捉え、故郷から大木の葉を送らせて、ワインに幸運の木の葉を付けると、大ヒットした。
更に、ジュリアンの故郷の大木を夫婦円満の木と名付けて観光地として売り出すと、国中の夫婦が一度は祈願に訪れる場所となり、故郷は大いに潤ったという。