《第二話 八重歯がキラリと光っている》
「ありゃ?コーヒー豆が入ってないや。真神くんコーヒー豆ないのかな?」
「今切らしている」
「だからボトルコーヒーなんだ」
「そういうこと」
豆を挽いて淹れたコーヒーは好きでよく飲む。これも「喫茶ペンブローク」のマスターの影響だ。
「このコーヒーミル、レトロな感じで良いね。どこで買ったの?」
「それは喫茶ペンブロークで使っていたお古をマスターに頼んで譲ってもらったんだ」
「ああ!マスターのコーヒー淹れる姿に見惚れて真神くんも欲しくなったんだね」
「ハハハ、まぁそういうことだ」
コーヒーを淹れるのにはまだ他にも道具が必要だ。
「こういうのもあるぞ」俺はコーヒーを抽出する道具を取り出した。
「ああそれも喫茶ペンブロークで見た」
「サイフォンっていうんだ。時間をかけてコーヒーを抽出する道具なんだけど、コーヒーが出来上がるまでが目で見て楽しめるのがこいつの良いところだな」
「ええ!?見てみたい。コーヒー淹れてよ真神くん?」
「コーヒー豆切らしてるって言ったろ」
「ム〜」スヤサキは頬を膨らまして拗ねる。一緒の服装にしようと提案したけど却下され、コーヒー豆を切らしてるためサイフォンの実践も見れない。スヤサキの頬は膨らむばかりだ。破裂する前に何か対策しなければならない。具体的には…
「はい、豆乳オレ。氷を入れてアイス豆乳オレにしたから」
「…ありがと」まだ拗ねているスヤサキに追撃の一手。
「はい、これも」と俺はドーナツを乗せた皿をテーブルに乗せた。
「ドーナツ!?」スヤサキは驚き、ぴょこんと獣耳を立てたのがわかるような表情をした。実際は目をカッ!開いただけだが。
俺はこんなこともあろうかとスヤサキが来る前日に「ミセスドーナッツ」でドーナツを買い冷蔵庫で冷やしていたのだ。
「ミセスドーナッツのドーナツくれるの!?」
「ああ、もちろんだ。だからこれで機嫌直せ」
「うん!直す直す!」とスヤサキは言いフレンチクルーラーにかぶりついた。口の周りには溢れ出た生クリームでいっぱいにしている。やんちゃな奴だ。
「ハハハ、そんなにがっつくなよ。俺のドーナツも残しといてくれよな」と言ってはみたが、二つ目のドーナツはすでにスヤサキの口の中。二つ目のドーナツが何だったのかわからないがスヤサキの表情を見るからには美味しかったのだろう。
皿には三つのドーナツを乗せていた。スヤサキには二つあげて、残りの一つは俺が食うためだ。
残った一つは抹茶ドーナツ。
「じゃあこれは俺が食べるぞ」と俺が抹茶ドーナツに手をかけるやいなや、スヤサキの左手が抹茶ドーナツを掴んだ。
「おい、それは俺のだろ」
「……」スヤサキは無言で答えた。左手は抹茶ドーナツを掴んだまま。俺はスヤサキの左手を掴みもう一度「それは俺のだろ」と言った。
「抹茶ドーナツ食べたい…」スヤサキは抹茶ドーナツから目線を離さず言った。
「離すんだ、スヤサキ」
「ボク…マッチャ…ドーナツ…タベタイ…」スヤサキの語彙力が急激に落ちた。
もうこちらの言葉は届かないのかもしれない。スヤサキはそれほどまでに抹茶ドーナツが食べたいようだ。でも今回は俺も譲らない。わざわざ駅前の商店街にあるミセスドーナッツに行ったのだから俺もドーナツが食べたいのだ。
だがしかし、スヤサキは抹茶ドーナツを離そうとしない。口は歯をむき出しにして威嚇をしている犬のようだ。八重歯がキラリと光っている。
「離せ!スヤサキ!」俺は業を煮やしスヤサキの腕を強く握った。
「痛いッ!」スヤサキが女性のような声で叫んだ。
「わ!ごめん」俺は慌てて手を離す。しかしスヤサキはその隙を突いて抹茶ドーナツを頬張った。クソッ!やられた!
「もぐもぐ…ごくん。甘いよ真神くん。この抹茶ドーナツのように甘い。見た目は抹茶だからほろ苦さもあるけどその真髄は程よい甘さ。強面の真神くんが実は女性には優しくて甘いのと似てるね」勝ち誇るように笑うスヤサキを俺は睨んだ。
ガタッ!俺はおもむろに立ち上がった。
「ふぇ!?」スヤサキは立ち上がった俺にびっくりして震えた。
「な、何かな?ドーナツはもうボクのお腹の中だから返してと言われてもそれは難しいかな」スヤサキは両手を空手の前羽の構えようにして身構える。
俺はスヤサキを少しだけ睨んでから冷蔵庫に行った。
「ん?どこに行くの?」
「仕方ないから俺は明日のおやつの分を食べる」
「なんだちゃんと自分の分をとってあるじゃない」
「俺はこの夏に新しく発売したモチモチ食感がたまらない『モッチ・de・リング』食べることにする」
「うわぁ!!モッチ・de・リングだ!良いな!ボクも食べたいなぁ」
「スヤサキはもうドーナツ食べただろ?三つも?」俺は自分でもわかるぐらいニヤニヤして言った。
俺はいつもスヤサキにからかわれているのを根に持ちいつかやり返してやろうと思っていたのだ。




