《第二話 謎の影》
「喫茶ペンブローク」は決して大きな喫茶店ではないけれど、夜になると地下スペースを開放して地下アイドルや駆け出しのバンドのライブ、若手お笑い芸人たちが立つ劇場になる。いわゆる貸出のイベントスペースが存在するのだ。
ちょっと珍しい喫茶店、それが「喫茶ペンブローク」。
店名の「ペンブローク」という名前の由来は、人気の犬でコーギーという犬種がいるんだけど、コーギーの正式名称が「ウェルシュ・コーギー」といい、さらに「ペンブローク」と「カーディガン」と2つのタイプに分かれる。そのうちの一つ「ペンブローク」を店名にした…というわけではなく、なんでも「喫茶ペンブローク」のマスターが若いころにお笑い芸人をしていたというのだ。
そのときのコンビ名が「ペンブローク」だったらしい。おちゃめなところがあってとても面白い人だ。そして厨房の中で一人、料理をしているのは葛城ユミさん。マスターの奥さんである。
「喫茶ペンブローク」の唯一の料理人だ。ユミさんは自分のことを必ず「ユミ」と下の名前で呼ばせるのだ。「ユミさん」と名前で呼ばないと返事をしてくれない、ちょっと困った人だ。
いつもニコニコした笑顔で「優しいお姉さん」といった印象の持ち主。作る料理はどれも美味しいものばかりで、特にこの店のコーヒーによく合う自家製カレーは、「ペンブローク」の看板メニューになっている。
バイト中のまかないとしても食べることができるので、俺はいつもまかないの時間が楽しみだ。俺はいつもカレーを頼む。時々浮気してオムライスを頼む。ナポリタンとも浮気する。どれも美味いんだよ。食の浮気は仕方がない。
「喫茶ペンブローク」でバイトをしているのは俺だけではない。一緒にバイトをしている人は、俺を入れて三人だ。少人数でまわしている。ここ二年は同じメンバーでバイトしているため気心の知れた仲間だ。店長があまり人を募集していないようだ。
ナポリタンを食べ終えた岡崎さんがお会計カウンターにやって来た。俺もすかさずお会計カウンターに向かった。何か悩みがあるようだったけど、深く聞くのも失礼なので、俺は当たり障りのない会話を選んだ。
「ナポリタン、美味しかったですか?」
「ああ、もちろん。ここのナポリタンは大好物だよ。ありがとう、少し元気が出たよ。真神君」
「それは良かったです。料理長にも伝えておきます」
「コーヒーの豆も変わったみたいだね。マスターにも美味しかったと伝えてくれ」
「はい、かしこまりました」
岡崎さんはコーヒーの豆が変わったことに気づいていた。さすが常連さんだ。
カランカラン。お店の扉を開けて、岡崎さんをお見送りした。普段はこんなことはしないがお客さんが少ないときはなるべくお見送りするスタイルが「喫茶ペンブローク」だ。
「じゃあ、またね。真神君」
「はい、お待ちしてます。岡崎さん」
岡崎さんはニコッと笑って、お店を後にした。俺はその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
店内に戻ろうとすると誰かの視線に気がついた。その視線の方を見てみると、電柱に体を隠してこちらを覗く者がいた。
あちらもこちらの視線に気がついて、サッと電柱に身を隠す。
誰だ?
気になりはしたが、仕事があるのでこのまま無視することにして店の中に戻った。
「あの人は確か…」電柱に隠れた影は帽子を目深に被りそうつぶやいた。