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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ワイヤー#パンク

作者: 無川 凡二

「ひとは誰かのゼンマイを巻く機械であり、有限運動のありふれた見本である」

この作品は「バンダナコミック01」の応募作品です。

 老婆は人形の胸の扉を開いて、その中のゼンマイを回している。

「ごめんなさい」

 少女の姿をした人形は謝るが、まだ体が動くほどの力はないようだった。

「なに、気にすることはないさ。他人のゼンマイを巻いてやるのが、人間ってもんだろう」

 十分に巻き終わったのか、少女は身を起こしてはだけた服のボタンを止め直す。

「あの、なにか私に手伝えることはありますか?」

 老婆は答える。

「そうさなあ、明日あたしの代わりにお使いに行ってくれないかい?」


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 地球の資源が枯渇し、人類はあまりにも多くのものを失った。

 金さえあれば夢も買える寿命なき個人の時代は終わり、果てのない新天地になるはずだった宇宙は遠のいてただの空になった。一時は人類を神の領域にも近づけた電脳空間も今やおとぎ話。

 電気を作れなくなった人類はエネルギー飢餓の時代を迎えた。彼らは最期の足掻きで、飢えたものが自食するように地球の自転をエネルギーに換える仕組みを作った。

 弦力──糸で動力を蓄えてあらゆるものを動かす『ワイヤーパンク』の時代であった。


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 見えすいた世辞と明け透けな要求、力無い者たちの乞食のような言葉。そう分かっていれば手紙なんて見る価値がない。

 車椅子に乗った娘──マユミは手紙の束をまとめて屑籠に放った。上手く入らなかった数通以外は、屑籠の中を動く細い糸に切断され細切れになる。彼女は落ちた手紙を拾おうとはしなかった。

「もうゼンマイが切れそうだな」

 彼女は肩まで続いている手袋を見る。彼女の手足は指まで同じ素材の布で覆われ、服の下まで続いていた。

 彼女は力を抜いて眠るように動かなくなる。

 確かそろそろだったかな。

 チャイムが鳴った。彼女は壁にかかった煩く振動する弦を指で止めて、それに話しかける。

「今開ける」

 体の不自由な彼女は毎週一回、手伝いをしてくれる人を家に招いていた。すぐそばの鍵盤を叩くと玄関の方で鍵が外れた音がする。

 彼女は、いつもなら素直なはずの足音が恐る恐る近づいてくる様子に違和感を覚えた。

「あ、お邪魔します」

 聞き慣れない声。振り向くとそこには見知らぬ少女がいた。その少女は夏だというのに厚手のコートを着て肌を隠していた。確認もせずに人を家にあげてしまったことをマユミは後悔する。

「来客の予定は入っていないのだが。帰ってもらえないだろうか」

 少女は無表情ながら訴えかけるような抑揚で話した。

「キヌさんの代わりに来ました。今日は私がお手伝いをします」

「……ちょっと待って」

 マユミは壁のダイヤルを回しそばの弦──弦話に話しかける。通話相手の老婆と語りあった後、納得のいかない表情で振り向いた。

「どうやら嘘は言っていないようだね」

 しかしその視線の先に少女はいない。

 すぐさま奥の工房から間の抜けた声が聞こえてくる。

「ほえー」

 マユミは車椅子を走らせて追いかける。

「勝手に入るなよ! 君は研究機関のスパイか何かか?」

「機織り機ですか? このすっごく大きいの。織物作るんですよね? 服はどこですか?」

 少女は部屋の中央を占拠する巨大な木製の機械を指差した。

「この空間に服があるように見えるかな?」

「服は作らないんですか?」

 少女は服に興味があるようだ。淡々飄々としているようで図々しいなとマユミは思う。

「……もう作らないよ。君、ボクのことを知らずにここに来たのか?」

「私はただ、自分のゼンマイを巻けない方の手伝いだと思ってここに来ました」

 少女はきょとんとした顔で告げる。

「……まずは名乗って」

 マユミが言うと、忘れていたとばかりに手を打ち少女は名乗る。

「私はイコ。キヌさんの孫です」

 それを聞くと、マユミはない胸を張った。

「ボクはマユミ。世界でも数少ない維伝糸(いでんし)の研究者だ」

「いでんし、ですか?」

「違う。君が想像しているものは多分DNAなんだろうが。ボクが言ってるのは繊維を使用した記録媒体だ。神経繊維、というとまた混乱するかな」

「へー。すごいですね」

 興味なさそうなイコに不服だったのか、マユミは少し語気を強くする。

「この手紙の屑が見える? これの送り元は全世界だ。世界中の研究機関がボクの発明を喉から手が出るほど求めているのさ。わかるかい? 存命のどんな研究者もボクには敵わないんだ!」

「じゃあなんで全部捨てているんですか?」

「メリットがないからだよ。一人でやっていけるんだ。ボクは完璧だからこそ誰も必要としない」

 少し芝居がかった手つきで車椅子の上で演説をするマユミをイコは無表情のまま見つめる。

「じゃあ何も手伝わなくてよさそうですね」

「……言葉のあやだよ。君にはボクのゼンマイを巻いて欲しいんだ」

 そう言ってマユミは服をはだけさせ、肩を出した。そこには両肩にかけて痛々しい傷と、それを塞ぐ糸、傷から出て手袋に繋がっている糸があった。

「これは」

「ゼンマイを埋め込んだだけだよ。いいからリューズを巻いてくれ。家に通っているやつじゃ届かないんだ」

 イコは言われた通りにゼンマイを巻く。

「人を雇うくらいなら、ドールでも買えばよいのでは?」

 弦人形(ドール)──現人類の作った複雑なカラクリ。ゼンマイを巻くことで人と変わらずに活動する球体関節の人形。旧世界のヒューマノイドのように人間に従順で、そして独立することも許されている存在。木彫りのパーツの中空を、特殊なテンションゴムを通すことによって蓄えた弦力で駆動する。

 彼らはこの時代を生きる上で欠かせない家族で良き隣人となっていた。

「あいにくドールは嫌いなんだ」

 マユミの目は憎々しげに歪む。

「それでわざわざご老体に鞭を打って手伝わせてたのですね」

「ずっと人聞きが悪いな君は!」

 ゼンマイを巻き終わると、マユミは車椅子を動かし壁際に移動した。

「ボクの凄さは現物を見た方が早い。ほら、」

 壁にかけてある布から飛び出た糸を引くと、布の裏地と表が反転し色が変わる。

「編み方を工夫すればこんなものも作れる。網目は分子構造のように相転移できるんだ。これを応用すれば簡単な計算だってできる」

「わお。柄が変わる服の布ですね。これも動くのですか」

 イコはすぐそばの腹を開かれた恐竜のぬいぐるみに手を伸ばす。

「そうさ。あれはボクが作って広めた……って勝手に触るなよ。それは借り物だ」

 マユミはそれを奪うと作業机から針を取り出して赤い糸を通した。

「見せ物には丁度いいかな。これが維伝糸になる糸だ。これを……」

 ぬいぐるみの綿の中に複雑に糸を絡ませてゆく。

「テンションゴムは昨日取り替えたから、あとはそれをつなげて。完成だ」

 開いていた痕跡が消えるように丁寧に腹を閉じ、尻尾をくるくると巻く。するとぬいぐるみがまるで生きているかのように動き始める。

「ドールの仕組みは知っているかい? あれが人間そっくりに考えて動けるのは、頭の綿に維伝糸でエンタングルが形成されて擬似脳神経を作っているから。これはそれの簡易版だ。ドール同様にゴムにも維伝糸を通して動けるようになっている。世界中を見てもこれをぬいぐるみで実現できたのはボクだけだろう」

 イコは真顔のまま棒読みで拍手をする。恐竜のぬいぐるみもそれを真似する。

「すごーい。ぬいぐるみを友達にする大人というひどい絵面です」

「だから借り物だって言ってるだろ」

 イコが拍手をやめたあとも、ぬいぐるみだけは拍手を続けていた。


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「あまり揺らすな。わざわざ雇ってる意味がないだろう」

 イコは車椅子を引いて街を歩かされていた。探している人がいると言うが、どこにいるのかわからないらしい。車椅子が大きく揺れるたびに、マユミは文句を言う。出かける際にそこらで売っている白いワンピースに着替えていた為、見た目はわがままなお嬢様だった。

「……やなやつ」

「何か言ったかい?」

「いえ。何も。ここは寂れていますね」

 一見すると適度な賑わいのある商店街に見えるが、いくつかの店は不自然に閉まっていた。

「ここは独立したドールが多い街なんだ。君はまだ来て浅いんだね」

 マユミは遠くに見える行列を指差した。それは塔のように天に向かって伸びる巨大な構造物へと続いている。

「あのオービタルポートに続く列の大半はドールだよ。さしずめゼンマイの炊き出しだ。彼らは人と違い生きていても経済を回さないから商店街が寂れるのさ」

 彼らはゼンマイを切らしてもまた巻けば動けるようになる。しかし、オーナーのいないドールはゼンマイを巻くものがおらず、再び動ける保証はない。自分を保有できるのは、自分の弦力が残っている間だけなのだ。弦人形の死は三つある。単純な破壊、永久に巻かれぬゼンマイ、そして老い。テンションゴムにも神経繊維が通っている彼らはそれを交換できない。更に首から心臓(ゼンマイ)にかけてのテンションゴムが切れるとエンタングルが解けてしまう。テンションゴムの劣化を防ぐには運動は最小限にしたほうが良い。だから彼らはオービタルポートの近くを好む。

「家に弦力が通っているから、列は野良人形がほとんどということですね」

「独立人形だよ。君は古いタイプだな……。まあ、こうしている今も、ポートは地球の自転を喰って弦力を生み出している。地球の寿命は短くなっているんだ。それを目に見えて消費するのが人ではなく人形たちなのだから気に触るのもわかるよ」

「いえ。私は別に」

 専門だからなのかマユミの口ぶりは止まらない。

「地球の自転が止まれば我々は生きていけなくなる。それなのに弦力の生産を止める技術もない。そんな中で弦力がタダで配られているというのは、不思議なものだよね」

 ゼンマイを巻かれて生きながらえる。マユミは今まさに語れるものに囲まれてゼンマイを巻かれているのだとイコは思った。なぜ人形嫌いが人形の多い街にいるのか疑問には思ったが、それも次々語られることで流されてしまった。イコの耳にタコができかけた頃、

「見つけた」

 マユミは車椅子を止める指示をした。彼女は車椅子からすっと立ち上がり、イコに持たせていた籠を受け取る。その姿は、上品な令嬢のような、先ほどまでの彼女からは考えられない雰囲気を纏っていた。

 彼女の先には一人の少年がいた。くたびれた鞠でサッカーの真似事を続けている彼の元に、マユミはそっと近づいた。

「久しぶりだ。元気にしてたかい」

「あれ、引きこもりのおねえちゃん」

「おいおい……そんな口が聞ける立場かな?」

 効いているのかやや涙目のマユミはカゴから恐竜のぬいぐるみを取り出した。それを見て少年の目が輝く。

「ちらの! 復活したの?」

 彼女がぬいぐるみを放り投げると、彼は胸トラップの要領で受け取った。ちらのと呼ばれたぬいぐるみはマユミたちといた時よりも嬉しそうに彼の胸元で動いている。

「ほら、これからも大切にするんだぞ」

「おねえちゃんありがとう!」

 お礼を背にマユミは得意気に立ち去る。少年が見えなくなるまで歩いてから、ドヤ顔でイコを見た。

「一度解けたエンタングルを元に戻すことはできないとされているが、あれくらい単純なものならボクの手にかかればあの通りさ。ボクは理論上、ドールの死だって否定できるんだよ」

「なんだ、歩けるじゃないですか」

 イコはやはり興味なさそうにそう言うが、少しだけマユミのことを見直していた。

「ほら車椅子を頼んだよ。ボクはもうくたくただ」

 マユミは車椅子に無造作に座る。先ほどまでの気品はどこへやら、今度は病人のように手足の力を抜いている。車椅子は行きと変わらずにガタガタと揺れて、途中で何かが軋む音が聞こえた。

「歩いた方が体のためですよ」

「そんなことはないさ。そんなことをしたらお前に巻いてもらったゼンマイが切れてしまうだろう?」

 マユミの手足は死体のようにだらんと垂れ下がっている。

「婆さんから聞いてないのかな? ボクは手足の神経をやられていて四肢が動かないんだ」

「え、でもさっきまで立派に立って」

「すごいだろう! この手袋もソックスもインナーも、外部筋肉……全部君たち弦人形のテンションゴムで編まれているんだ。まだ効率は悪いけどね……こういう話が聞きたいんだろう?」

 イコはショックで固まり、マユミはそれを冷めためで見つめていた。

 マユミの肩からキリキリと音が鳴り、垂らした腕が巻き取られるように曲がると、イコの腕を掴んだ。

「婆さんの孫ってのは嘘だよね。お前は、どこの差金なんだ?」

 そこには球体関節があった。イコの手首は人間のものではなかったのだ。

「いつから、気づいていたのですか?」

「核心に変わったのは街に出てからだね。人間だったら無意識に触覚で道の障害をフィードバックするものさ」

 イコは車椅子の前に周りこんで、静かにマフラーとコートを脱いだ。

「黙っていてごめんなさい。キヌさんからドール嫌いだと聞いていたので」

 厚木の下は一枚のワンピースで、酷く使い古されてたくさんの補修の跡があった。彼女の手足には固く冷たい球体関節があり、首にも分割線が通っている。義肢を使っているものではなかった。

「でも、私は自分の意志でここに来ました。私は独立人形です。誰にも指図されていません」

「目的を言いたまえよ」

 イコは少しの沈黙を挟み、祈るように手を握って瞼を閉じた。

「私の……私のオーナーになってくれませんか?」

 これまで感情表現の起伏が小さかったイコの、最も大きな表現だったのかもしれない。マユミはそれを鼻で笑った。

「どんな脈絡なんだい理解に苦しむな。第一、お前たちドールは独立を許されたんだ。オーナーが必要な時代でもないだろう? 何故そこに拘る」

「それは」

「言わなくて結構。光に群がる蛾の群れの相手には疲れているんだ。それに……」

 マユミは憎しみをぶつける準備はできているとばかりにイコを睨んだ。

「ボクはお前たち弦人形のせいでこんな体になったんだ。帰ってくれ」

 イコはせめて家まで送ると言ったが、既にマユミは車椅子を蓄えた弦力で走らせていた。

 取り残されたイコは、ワンピースの袖をぎゅっと握り締めた。

 だが、弦人形には涙を流す機能はなかった。


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 何故こんなにイライラしているのだろう。逃げるように人通りのない道をかけながらマユミは思う。

 あの姿。イコの姿が何故か癪に障るのだ。

 そもそもボクが弦人形のゼンマイを巻くことはない。ボク自身もゼンマイで動いているのにそれをゼンマイを巻くのに使うのは非効率だからだ。ゼンマイを巻けないオーナーの元にいるならそれは独立人形と変わらない。

 彼らは自分が万一弦力を切らして止まった時の保険が欲しいだけなのだから。

 彼女はきっと壊れているんだ。

 そのとき路地の向こうからスーツの男が現れた。男は黒いスーツに黒いシルクハット、白い髭にモノクルをつけたいかにもな老紳士という姿だった。

 狭い道なので横に寄ってすれ違おうとしたマユミの横で歩みを止め、男は囁く。

「お久しぶりです。お若いのにご立派な学者になりましたね」

 マユミはその男の顔に見覚えがある気がした。

「最後にお会いしたのは、あなたのご両親をお迎えに上がったときですね。その手足の件、本当に申し訳ないと思っています」

 その言葉でマユミは思い出す。男が何者であったのかを。鮮明に。像が映る。

「手紙の返事がないようなのでこちらから迎えに参りました。今度はあなたに向けた正式な招待でございます。私たち『雲の(サイバーパンク)』へ技術の提供をお願いします」


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 猿轡を付けられた少女の耳元で男が囁いた。

 少女は幼いマユミだった。十年前、マユミは両親を操るための人質にされていた。

「恐ろしい思いをさせてしまい申し訳ない。だが、地球の為だ。地球の自転が逆転する前に、人類は再びサイバーパンクの世界に帰る。そのために君のご両親の力が必要なんだ」

 男はそうマユミに言い聞かせるが、その目の焦点は遥か遠くを見ているようだった。少女の表情から恐怖以外の何かを読み取ったのか、男は彼女の猿轡を緩める。

「無駄だよ。アイツら考えていないもの娘のことなんて。それよりケイトは? 無事なの?」

 ケイトは仕事で忙しい両親がマユミの育児のために作った弦人形のプロトタイプだった。幼少期からケイトに育てられていたマユミにとって、本当の親は彼女だった。

「人質が自らの価値を無闇に下げるのは下策だよ。命がかかっているんだ。誰も救われやしない」

 男はまるで教師のように語り、まるで自らの罪を知らない顔で続けた。

「安心するといい。君の母親代わりの人形は最初から私たちの友達なのだから。君が心配することは何もない。君をここまで送り届けてくれたのもあの人形なんだよ」

 男は、悪魔のように微笑んだ。


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 あの男だ。理解した瞬時にマユミは車椅子から飛んだ。残る弦力を使い切る勢いで家の屋根に飛ぶと、普段動かしていない罰か足の腱が切れる。

 逃げなきゃいけない。あの男は、彼らは目的の為なら人も殺める。

 家の屋根から転がり落ちないように起き上がると、すぐそばに人影が差し掛かる。首のない人形がマユミを掴もうと迫っている。屋根を飛び降りて路地に出ると、そこには同じ首無し人形たちが待ち構えていた。

「この街は独立人形が多くて助かりますね。あなたを捕らえるための即席の駒が簡単に揃いました」

 男が路地裏から歩いてくる。

「囲んだくらいでボクをどうにかできるとでも」

「ええ。消耗戦はあなたが最も苦手とするものだと理解しております」

「そういうのは逃げ道を完全に塞いでから言いたまえよ!」

 マユミが男の頭上を飛び越えようと地を蹴った時、丁度彼女の手足が関節と逆の向きにひしゃげた。

「なっ……」

 痛覚が鈍っているからこそ悶絶はしないものの、マユミは姿勢を崩して地に伏せた。男は手足があらぬ方向に曲がったマユミの背に腰を下ろす。

「はい。だから塞ぎました。あなたの手足はずっと私たちのものだったのですよ」

「どうやって」

「廃棄された独立人形のテンションゴムに私たちの作ったものを混ぜました。あなたが人形を解体して部品を使用していることは把握していたので」

 男はナイフを取り出して、マユミの、外部筋肉を足から肉ごと切ってゆく。

「あああああああああああ」

「懐かしいですね。あの時は最後までご両親は答えてくださいませんでした」

 一本ずつ四肢を不可逆に破壊されたかつての記憶が蘇りマユミは吐きそうになる。

「毎度手荒な真似をすることをご容赦ください。あなたにはご両親と同じく、私たちの手伝いをしてほしいのです。『旗織り機』を用いた編算布の量産と、回路構築。つまりは眠っているかつての電脳世界を蘇らせるため、現代のコンピュータを作成してほしいのです」

 何を言われているのかマユミは理解できなかった。トラウマが逆流して、今がいつどこで自分がどうしてこうなっているのかもわからなかった。ただ理解していることは、自分の手足が壊されていることと、最後まで誰も助けに来てくれないということだけだった。

「ケイト! ケイト、助けてよう……」

 昔を再現するようにあのときと同じ言葉を喉から絞り出し、

『お嬢様が傷付けばお二人もきっと来てくれるはずですよ。お嬢様が役に立って私も幸せです』

 条件反射のように続く幻聴を受け入れる。

 右足の外部筋肉の腱が完全に切られ、左足に移ろうとしているとき。

「マユミさん?」

 彼女の声が聞こえた。


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「何をしているのですか」

 鈍い音と共に、マユミは自分の体が軽くなるのを感じた。

 イコは男を蹴り飛ばし、マユミを庇うように彼らの前に立つ。相変わらず表情は変えず、しかし気迫はこれまでこの一日で見てきた気の抜けたようなものではなく。

「あなた方がマユミさんに酷いことをしたんですね」

 人形から殺気が感じられる。

「おやおや。余計なものを巻き込まないように距離を置いたのですが、不運な(ヒト)ですね」

 男は唇の血を拭いながら後ろの兵に指示を出す。

「野良人形は野良人形同士で潰し合いなさい」

 首無し人形達が彼女らに襲い掛かるが、イコはそれを虫でも潰すかのように次々と叩き壊してゆく。首元に後付けされたユニットが彼らの弱点だと知っているかのように。

「……まさか軍用なのですか。いや、軍用ならここまで人に似せて作る必要はない」

「合っていますよ。私は後から軍用に改造を受けた個体ですので」

 イコはスカートをはためかせながら舞うように首無し人形の群れを殲滅する。男とも組み合うが、動きは互角だった。だが、

「成程、改造品(リサイクル)に数合わせの兵が通用しないというのも道理でございますね」

 突然加速した男はイコの右腕を蹴り砕いた。彼もマユミの外部筋肉と同じ物を履いていたのだ。イコは右腕のゴムが緩み、全身の動きが鈍くなる。

 男はイコの首を掴み、マユミに見せびらかすように彼女を突き出して見せた。彼女の胸元の服を破いて、心臓の前にある窓を開けた。そこにはゆっくりと回転を続ける心臓(ゼンマイ)と、その力の源である捩れた弦があった。

「さて、人質も揃ったところで再び交渉と行きましょう」

 男は彼女の弦にナイフを向けた。

「ごめん、なさい」

 マユミは少しだけ落ち着いて状況を理解すると、口角を上げた。

「ボクはドールが嫌いだ。彼女に人質としての価値はないよ」

 その笑みは、彼女自身気付いてはいなかったが、酷く引き攣っていた。

「ボクは君たちには協力しない。これだってあの日と同じ、君たちが仕込んだ茶番なのだろう?」

「ではこれは要りませんね」

 イコの心臓の弦に刃が入れられ、プツリと断たれる。全身を繋ぎ止める力が失われ、数珠が弾けるように彼女はバラバラになって地に落ちた。男の手から滑るように落ちた彼女の首は、マユミの眼前まで転がっていた。

「……イコ?」

 返事があるとは思っていなかった。イコの脳のエンタングルは心臓を断たれたことですぐに壊れる。ゴムあやとりの端を切るように。

「ごめんな、さい。あなたの、作った、ワンピース、破かれてしまい、ました」

「なにを、言って」

「誰にも、選ばれず、戦争も、終わって、何もなかった私が唯一見つけた宝物。マユミさんが作った最初で最後の服」

 イコは最期の弦力で微笑もうとして、

「あなたの服が素敵だって、伝えたかった」

 停止した。


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「ケイト! おようふくのつくりかたを教えてほしいの」

「あらあら、もうこんなに上達したんですね。お嬢様の作った服をプレゼントしたら、きっとご両親も喜んでくれますよ」

「ちがうよ。わたしはケイトの服を作りたいの」

「私に、ですか?」

「形にしたいの。いつもありがとうって」


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 あのとき作った服をどうしたのかは覚えていなかった。捨てたような気もするしどこかに売ったのかもしれない。だがそれを考えられるほどマユミは冷静でなかった。

 人形が壊されたよ。誰?ケイトじゃない子だった。あれはイコだよ。わたしはどうしてこんなに苦しいの?うまく歩けない。せっかく作ったのに捨てちゃうの?人形なんかに感謝するのが間違ってたんだよ。壊れたらもう話せないよ?悲しむことはないよ。人形は誰かの操り人形だからその選択に価値はない。ケイトはわたしを裏切ったけどイコはボクを裏切らなかったよ。よかったね。わたしの服も好きなんだって。アイツに教えられたことなんて嫌いだ。服なんて作らずにボクはボク一人の為に技術を作るんだ。イコはきっとボクに服を作って欲しかったんだよ。でも死んじゃったね。ボクのせいで壊された。

 散文的な思考に囚われたマユミのもとに男が歩み寄る。

「最悪の場合頭だけでも持ち帰りたいところでしたが。お戯れが過ぎました。時間切れのようです」

 男は義体だった。踵を返して路地裏へと向かってゆく。

 ゆるして、くれるの? 違う、こんな奴に乞うな。

「しかしながら。人質を無視する辺り、やはり親子なのでございますね」

 男は一言そう呟いた。

「また日を跨いでお迎えに上がります」

 最後の言葉はマユミには聞こえなかった。イコは壊された。

 唯一助けに来てくれた存在を見殺しにした事実がマユミにのしかかる。

イコは死んだ。このまま明日の清掃で廃棄所に送られる。イコはひとりだから、誰もゼンマイを巻いてくれず、誰も彼女を治してくれない。

 でも、ボクならば? 彼女にはもうボクしかいない。

 イコは首だけになっても少しの間言葉を話したのだ。エンタングルはまだ解けていないかもしれない。

 残されたゼンマイでマユミは這った。イコの体を拾い集め、切断されたゴムを結び、彼女の体を繋ぎ合わせた。

「ねえ、目を覚ましておくれよ」

 切断された神経繊維を探りできるだけ繋ぎ合わせる。少しでもイコだった部分を拾い集める。

 人型を取り戻したそれの胸のゼンマイを縋るように回した。マユミのゼンマイも切れかかっていた。ゼンマイでゼンマイを回すことなんて気にならなかった。

 人間は限りある時間を他者のゼンマイを巻いて生きていたのだから。

「服ならいくらでも作ってあげるからさ。あれきりだから下手だけど、これから上手くなるから」

 ゼンマイが切れて彼女の手が動きを止めた。

 そして、彼女の目が開いた。


2024/08/07

ぬいぐるみはともだち。

球体関節人形への憧れを添えて。

多分この世界の扇風機は山形のフィンでブンブンゴマのような構造をしている。

直流と交流のように弦力にも種類があるのだろう。

この作品は「バンダナコミック01」の応募作品です。


異能ロボを描いている途中に世界観がパッと思いついてしまったので勢いで。

記憶喪失の人形と着飾らせたがるオーナーの前日譚。運命の赤い糸。

糸が鍵になる世界観はもう少し色々考えてみたい。

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