20.姫巫女の血
「なに、これ……」
光の正体――それは、祖母からもらった勾玉のお守りだった。
普段は着物の中に隠しているのだけど、こんなに光っているのは初めてだ。
そして、まるで共鳴するかのように銀夜の刀に埋められた白い宝玉も、光を発した。
「おまえはまた、俺を拒むのか……!?」
「え……?」
それを見た途端、男は顔色を変え、とても悔しそうに叫んだ。
けれど、どうやらそれ以上私に近づくことができない様子。
なにがなんだかわからないけど、もしかしておばあちゃんのお守りが効いているの?
それにしても、〝また〟とは、一体どういうことだろう?
さっきも、まるで私のことを知っているような口ぶりだったけど……もしかして、姫巫女様と何か関係があるの……?
「銀夜! 椛さん!!」
「……玲生さん!」
互いに一歩も動くことができずにいたそのとき、玲生さんが私たちの名前を呼んだ。
玲生さん、黄太君……帰ってきたのね。
でも、お守りもない、普通の人間である玲生さんがこの場にいるのは危険すぎる……!
黄太君だって、妖狐とはいえまだ幼いし――。
そう思ったけれど。
「ここに何をしに来た」
「……」
血を流している銀夜を横目で確認すると、玲生さんは男を鋭く睨んだ。
そして、玲生さんからこれまでに感じたことのない、ものすごい力が溢れ出るのを感じた。
……これは、まさか妖力……?
銀夜から感じるものに近いその感覚に、直感でそう思った直後。
玲生さんの身体がうっすらと黄色い光に包まれ、彼の頭から銀夜と同じような動物の耳が生え、しっぽが現れた。
これは、銀夜と同じというより、黄太君のものと同じだ。
……それじゃあ、玲生さんも人間ではなく、妖狐のあやかしだったの?
「ふっ……俺と本気でやる気か?」
「おまえが引かないというのならな」
緊張感が一層辺りを包んだ。
一瞬も気が抜けない。
あの男も尋常ではない力を持っているけれど、玲生さんも強い――。
なぜか私にはそれがわかった。
説明するのは難しい、感覚的なものだけど、あやかしの妖力の大きさが、私には見えた。
「……」
「……」
「ふん、まさか未だにその胸くそ悪い石があったとはな。それに今はまだ、おまえとやるのは面倒だ。犬ころ一匹ならよかったのだが、今日のところは引き上げてやろう」
男は、ふぅと溜め息をつくと、塀の上に軽く飛んだ。
「またな、椛」
「……!」
緊張が一瞬解けたようにも感じたけれど、続いた男の言葉に私の身体はぞくりと震え上がる。
「……っ」
「銀夜! 椛さんも、怪我は?」
「私は大丈夫です……それより銀夜が」
「今薬箱を持ってくる」
「お、おれも……!」
「お願いします!」
男が姿を消すと、銀夜は力が抜けたようにその場に膝をついた。
それと同時に、宝玉の光も勾玉の光も消えてしまう。
薬箱を取りに屋敷の中に入っていく玲生さんと黄太君を見送る。
玲生さんの耳としっぽも既に消えて、いつも通りの姿に戻っていた。
「銀夜、しっかりして!」
「くそ、血が止まらない……」
私はすぐに銀夜に駆け寄り、彼の左肩を強く押さえた。
銀夜の肩からドクドク脈打ちながら血が溢れ出て、止まらない。
「銀夜……ごめんなさい、私のせいで……っ」
あの男は、姫巫女の血を継いでいる私を狙ってきた。
そのせいで銀夜は襲われた。
銀夜は私を守るために、傷ついた。
「……そんな顔をするな。椛が無事でよかった」
泣いてしまいそうな私に、銀夜は辛そうに歪んだ瞳を向けながら微笑み、そっと手を伸ばしてきた。
「いや……、怪我をしているな。椛も」
「こんなの平気! それより、銀夜が――」
銀夜が私の首の傷に、そっと指を添えた。
私の力で、銀夜を治すことはできないの?
私は自分しか治したことがない。他人を治す方法はわからない。
「そうだわ、私の血をひと舐めしただけで、ものすごい力が溢れてきたって、前に言ってたよね!?」
「……」
そういえば、銀夜は先ほどから私の首元をじっと見つめたまま、目を逸らさない。
さすがに肉を喰べてもいいとは言えないけど、私の傷から銀夜の妖力を分けてもらったときのように、銀夜が私の血を舐めれば……!
「銀夜、少しでも力になるなら、私の血を――」
そこまで言ってすぐだった。
我慢できないとでも言うように、銀夜は右手だけで私を抱きしめ、首元に顔を埋めてきた。
直後、銀夜のあたたかい舌がそこを這う。
「……っ」
ピリッとした痛みと、ぞくりとした感覚が身体を伝っていく。
なんだか、この間よりも――。
怪我をした場所のせいだろうか?
それとも銀夜が大怪我をしているから、余裕がないのかもしれない。
最初に犬の姿で膝をべろりと舐められたときとも違うし、先日手のひらに口づけるようにそっと舐められたときとも違う。
まるで飼い犬が甘えるときのように執拗に迫られているけれど、今の銀夜は人の姿。
怪我をしているせいなのはわかっているけれど、苦しそうに荒く息をする彼の熱い吐息と舌の感触に、どうしても身をよじらせてしまう。
「……もみ、じ」
「……っ」
そして、まるでキスをするかのように傷口をちゅっと軽く吸われ、ちくりとした感触を受けて身を震わせた直後。
顔を上げた銀夜は充血した瞳で私を見つめた。
「……出血が、止まった?」
それと同時に彼の肩に目をやり、血が止まっていることに安心した私だけど。
「駄目だ、椛……、止められない」
「……え?」
苦しそうに息を吐いてそう呟いた銀夜は、体勢を変えて私を組み敷いた。
「銀夜……?」
瞳と頰を赤らめ、熱い吐息を吐きながら、私を見下ろす銀夜。
……一体、どうしてしまったの?
「銀夜、退いて? 家に入って、ちゃんと手当てしなきゃ……」
「椛――」
私を組み敷いたまま、大きく息を吐いたかと思ったら、銀夜は拳を握ってダン――っと強く地面に叩きつけた。
「銀夜……!」
「すまない。これ以上、俺に近づくな」
「え?」
なにかと葛藤するようにそう言ってよろよろと私の上から退けると、銀夜は頭を押さえるように額に手を当てた。
「銀夜、大丈夫か!?」
「玲生……、もう大丈夫だ」
「おい、銀夜!?」
薬箱を持ってきた黄太君と、肩を貸そうとした玲生さんのことも軽くあしらい、銀夜はおぼつかない足取りで一人、屋敷の中へと入っていった。
でも、まだ手当てが必要なはず。
「私、銀夜の手当てをしてきます……!」
「いや、手当ては黄太に任せよう。椛さんは、今は銀夜に近づかないほうがいい」
「でも……!」
「今行けばどうなるかくらい、わかるでしょう?」
「……」
言われて、はっとした。
銀夜が興奮していたのは、私にでもわかる。
〝おまえの血をひと舐めしただけでも、ものすごい力が溢れてきた。その肉を喰らえばどうなるかくらい、やってみなくてもわかる〟
以前、銀夜に言われた言葉。
あやかしにとって、姫巫女の血を引く者の存在がどういうものなのかは、なんとなくわかる。
玲生さんもあやかしだから、きっとわかるんだ。
銀夜は私を喰べようとしたわけではないかもしれないけど、でも――。
銀夜が「俺に近づくな」と言ったのは、我慢してくれたということ。
それなのに今私が行ったら、銀夜の気持ちを踏みにじってしまうことになるかもしれないんだ……。