不機嫌な王子、エドワード
エドワードが予言の書を読み返している様子が、とても冷たい表情だったので、アリスはふと不安になる。
「エドワード、書の中に何か気になることがあるの? 書の中の氷の王子みたいよ?」
顔を上げたエドワードの表情は、やはり凍り付いている。
アリスの不安げな表情に気が付くと、エドワードは少し表情を緩めて、アリスの方に手を伸ばす。
「おいで」
声色はいつものエドワードだ。
アリスはいつもの定位置、彼の膝の上に座って、彼にピタリとくっついた。
「いつも言ってることだけど、ここには『アリスが近くにいなくて不機嫌な王子』しかいないんだよ」
エドワードは、アリスの身体をきゅっと寄せて、頭にキスを落とした。
「王子になって姫と共に育てられた剣士の子は、姫がワイトに行く前から寂しかった。姫の外遊が増えて、城を離れることが多くなってきたことが、寂しかった。でも、そこまでは、まだよかった」
(予言書が始まる前の話ね?)
(そう)
「姫は何らかの形で隣国の王子と出会い、協力するようになり、断り続けてきた婚約の打診を受けてしまった。剣士の子は心穏やかではなくなった」
「ユージェニー姫は、魔王領を救うことが使命だと思っていたから、協定を結んだだけだと思うわ」
「そうだね。剣士の子も分かっていたと思う。姫と隣国の王子は、協力関係にはあったが、ただ、それだけだったって。でも、寂しかったから、不機嫌だった」
「アンリは聖女が王太子妃にふさわしくなるまでの繋ぎが必要だったのよ。それに彼女の意思でアンリを好きになって欲しかった」
「わかるよ。私が君に自分の意思でロスシュリに戻ってほしかったのと同じだ」
(そうなの?)
(そうだよ)
「でも、予言書の王子はまだマシだよ。私のジェンは10才の時にいなくなっちゃったんだから」
(ジェンって呼び方、なつかしいわね。エド)
(あぁ、声に出して呼んだことがなかったことが少し悔やまれるよ)
「婚約を理由にワイト国に入った姫は、ワイト国から魔王領へ通い、神官と共に魔王を探した。剣士の子は、姫がロスシュリから一つ国を挟んだ先の魔王領に通うのは難しいと知っていたから、剣士の子が生家から買い取った剣士の子の私邸に姫を住まわせた」
「この家ね」
「姫も大人しくそこに住んだし、隣国の王子も『男』の家の主寝室に寝泊りすることを姫に許していたから、剣士の子としては、彼にとって最も大事な点において、隣国王子との暗黙の了解が成立していた」
「まぁ! なんだか生々しい言い方ね」
「事実だからね」
エドワードは、含みのある笑顔でアリスの頬をするりと撫でて、話を続ける。
「姫は魔王に出会い仲良くなる。嫉妬に狂った剣士の子は、全ての元凶の魔王領の守護神に挑み、『女神の涙』を手に入れた。そして、魔王領の守護神が瘴気の発生源を増やすことはなくなった」
「嫉妬、だったと思うの?」
エドワードは、真っ赤になったアリスにチュッと優しく口づけた。
「くくくっ。気になるの、そこなんだ? それまで静観していた剣士の子が急に方向転換して神に挑む理由なんて、他に何が考えられる?」
(ひゃ~。どうしましょう。エドワードが嫉妬なんて、嬉しいわ)
「姫が自分の使命に掲げちゃった『他人事』を成し終えたら、納得して帰ってくるだろうと思って我慢して待ってるのに、他の男と親密になるなんて、許せると思う? 相当腹が立っただろうね」
(ふふふ。うれしい~)
「さっさと原因を潰して、連れ戻さないと。と、剣士の子なら考えると思うよ」
エドワードは、先程と同じ、凍てつく表情だが、それでもアリスは、ニヨニヨしてしまう。
「『魔王領を救いたい』という思いが魔王と姫の絆を強めた」
「そうね。わたくしはノアを、ノアはわたくしを信頼しているわね」
「魔王は、猫に変身する際、魂の器を君になら預けられるほどに君を信頼している」
「あなたも一緒だったわ」
「でも、アリスがいなかったら、ノアは私に魂の器を預けたかな?」
「……」
「ほらね?」
「予言書のノアが黒猫として学園に現れた時も、わたくしがノアの魂の器を預かっていて、それを誤解したエドワードが怒って神に挑んだのかしら?」
「いや、剣士の子が嫉妬に狂った理由が、別邸に眠る間男だったのか、君たちが互いに加護を掛け合っているのを見たのか、それとも他の何かだったのかは、分からないよ」
「間男なんて! 全然違ったと思うわ」
「現実の私が猛烈に嫉妬したのは、ノアがアリスになら魂の器を預けるってことと、ノアとアリスがデコチューし合っているのを最初に見た時だって話」
アリスは、エドワードがこんなにハッキリ言葉に出して気持ちを伝えてくれるのが嬉しくてたまらない。
「予言の書の魔王は妖艶な大人の色気があったと記述されているし、ちゃんと紹介されていても嫉妬するのに、氷の王子が嫉妬に焦がされる理由はありすぎてわからない」
(エドワードったら、そんなに?)
(そんなに!)
「よ、妖艶な魔王なんて…… だったとしても、わたくしの目にはそんな風には移っていなかったと思うわ。わたくしが最初に出会ったときは、黒い瘴気をモヤモヤまとう禍々しい魂だったのよ?」
「私はアリスの好みを知らないからね。不安になっただろうね」
(あなたよ…… わたくしの好みはあなたよ)
エドワードはほんの少し口元を綻ばせた。
「それに、デコチューは、ヴィヴィアン発案の家族の挨拶で、あれはお互いに加護を掛け合っているだけよ?」
エドワードは、ジト目になって、アリスを追いつめる。
「そう『掛け合ってる』んだ。私が最初に見た時は、ノアが君に加護をかけただけだったけど、後に君もノアに加護をかけると分かった時の悔しさは別物だったよ。君たちは、アンリには加護をかけない。だけど、お互いには加護をかけ合うんだ」
アリスは、呆れ顔をエドワードに向ける。
「誰が『テイム』持ちを強化するなんて自殺行為をするのよ!」
(分かってて、言ってるでしょ?)
(分かってても、嫉妬心はなくならないもんなんだよ?)
エドワードは、アリスを喜ばせるのがとても上手い。
「そして、私は君に祝福をかけてもらったことがない。ノアは特別だって、思うだろう?」
「あなたには、既に自前の戦神の加護がかかっているじゃない?」
(重ね掛けしても、意味はないけど、貴方が望むならいくらでも『戦神のご加護を!』)
アリスは、慌ててエドワードに額にキスをして、戦神の加護を掛けた。
エドワードは、まだ拗ねている。
「予言の書では、魔王ノアが聖女側について姫と戦う時であっても、魔王に身体強化がかかっていたし、剣士の姫には瘴気吸収時体力自動回復がかかっていた。それに魔王城のノアの配下たちは全員『戦神の祝福』で身体強化で守られていたよね? 君たちが敵になったフリをしていただけで、本当は裏でつながっていたことは明白だ」
アリスは、目が点になった。
「え? 多分そうよ。予言書でもノアはアイザックとローレンの助力が必要だと思ったのでしょうね? だからノアは聖女側で、わたくしとアンソニーは魔王側。予言の書を読み解いて、『魔王ごっこ』で練習したわ」
「魔王ごっこ? 君たちそんな遊びをしてたの?」
「ええ。予言の書の脳筋神殿騎士ウィリアムっていたでしょ? あの方にも協力してもらって、聖女に瘴気を祓わせるのに最も効率が良い方法をシミュレーションしてたの。エドワードもやってみる?」
アリスの答えがあまりにも堂々としすぎて、エドワードは言葉を失った。
「悪魔神官戦なんて、アンソニーが使えもしない「デス」を掛けたフリして、ノアが死んだふりしている間に瘴気を体に集めて、聖女に大量の瘴気を一括で払わせるっていう、間抜けな茶番だけど、楽しいわよ?」
「……」
「今だったら、そうね。ノアが「ダークマター」で封入した瘴気の塊をポイポイと魔王役のわたくしに投げて、わたくしが剣でそれを壊しながら跳ね返すと聖女の仲間が「瘴気やられ」になるから、聖女は延々と瘴気を払い続けるしかない、とか? 魔王役はエドワードでもいいわよ?」
「剣士の子は、何も知らなかったから、そんなにあっけらかんとしていなかったと思うよ」
エドワードは、尚も機嫌が悪い。
なるほど、氷の王子じゃなくて、機嫌の悪い王子かもしれないと感じ始めたアリスだった。
「あぁぁん、予言の書のわたくしたちは、アンリの茶番に付き合ったがためにエドワードに誤解されちゃったのね?」
エドワードは、苦痛に満ちた表情でアリスを更に引き寄せてぎゅっと抱きしめた後、顔をアリスの首元にうずめて、ぽそりとこぼした。
「剣士の子から見れば、姫は、最後には魔王城に入り、魔王の妻かのように魔の者たちを守ったんだ」
「あぁ、なんてこと……」
(予言書でもこういう意味であなたを裏切ったことなんてないわ)
アリスは、エドワードの首の後ろに腕を回し、いたわるように深く口づけた。
それは、初めてのアリスからの大人のキスだった。
「剣士の子は、それに怒って、聖女が倒れるまで瘴気を払わせた後、女神の涙を使って自分ごと姫を魔王城に閉じ込め、姫を独り占めにするだろうね」
(予言書でもこういう意味で君に裏切られたことなんてないんだね?)
エドワードは、再び大人のキスを存分に堪能したあと、ようやく笑った。
「剣士の子は、姫を永遠に閉じ込めておくことはないと思う。今みたいに誤解が解けた後は、しばらく蜜月を満喫しながら、魔王城でワイト王を牽制するだけさ」
(戦神の愛し子たちが2人して守っている城なんて、攻める気にもならないだろう?)
「ふふふ。わたくしたちがイチャイチャしながら魔王城を守っている間に、魔の者たちのことは心配しなくて良くなったノアがアイザックに協力して、今と似たような解決法を見つけたかしら?」
(アツアツのわたくしたちと一緒に魔王城に閉じ込められた悪魔神官アンソニーは、ちょっと気の毒ね)
二人は顔を見合わせて笑った後、ひとしきり大人のキスの練習にいそしんだのでした。




