第二話 - 飢餓の怪異
「ひどい!!」
僕を糾弾する少女の大きな目は、涙で潤んでいた。
「髪の毛切るとかひどいよ、キミ! 確かにちょっと呪われてるかもしれないけど、あたしはニンゲンだもん!!」
文句を言いつつも、彼女に反撃の意思はないらしい。それでも、僕は警戒を解かなかった。少女の髪の毛はすでに普通の毛に戻っているが、いつまた蛇の姿になるかわからないのだ。
僕は少女を視界に収めたまま、すばやくあたりを見回した。誰か応援に来てくれそうな人はいないかと。しかしいない。先ほどまで少女を追いかけていた村の男たちは、すでに走り疲れてしまったらしく、道の真ん中で膝をついていた。この村の人間はみんなそうなのだ。疲れやすく、常に空腹と戦っている。
僕もそう。今は死と隣り合わせの極限状態だから立っているが、本当ならば地べたに座り込んでぼんやりしていたい。この少女と出会う直前までしていたように。
「おなかすいてるんでしょ?」
少女が明るい声で問いかけてくる。
「黙れ」
僕は腹に力を込めてできる限り威圧的な声を出した。
「この村はここ数年豊作続き。それなのに、村の人たちは食べても食べても満たされず、常に空腹と戦い続けてる」
それでも彼女は話し続ける。説明するように、確認するように話した内容は、まさにこの村が直面している状況そのものだった。ここの土地には何を植えてもよく育つ。稲も野菜もくだものも。まったく世話をしなくても早く成長し、大きな葉や実をつける。その一方で、村の人間は空腹だった。食べても食べても腹が膨れない奇病として町の医者を呼んだこともあったが、いまだ解決に至っていない。
「まさか、この病は君のせいなのか?」
「違う違う違う! なんでそうなるの!?」
少女は両手をぶんぶん振って否定した。しかし、そうでなければなんだというのだ。どう見てもこの村の者ではない、見慣れない顔。なぜかこの村の状況に詳しいこと。乱世が終わったとはいえ、あたりは若い女性が一人旅できるほど安全ではないはずだ。そしてあの髪の毛。何をどう判断しても、彼女は危険だ。
「あたしは時の大将軍『凄居偉蔵』の命を受けて『怪異』の調査をしてる、ただのニンゲンの女の子だもんね!」
警戒を解かない僕の目の前で、少女は荷物から木の板を取り出して見せた。旅の許可証である通行手形だ。そこには、はっきりと三つ葉葵の紋が彫り込まれている。狭い村で育った僕でも知っている。それはこの日ノ本の国を統治する将軍家と、その親類のみが使用を許可された特別な模様だ。
「頭がたかーいってやつ? なんなら、紙の命令書もあるから見せようか? キミ、文字読める?」
僕の目が丸くなるのを見て、少女は得意げに口の端を釣り上げた。
「将軍の名前は『すごいえらぞう』じゃなかったと思うけど……」
そうツッコミを入れてみたものの、彼女の持つ手形は本物らしかった。
「そうだっけ? 確かに松平なんちゃらとか言ってたような……」
それも将軍家の名字ではないが、彼女にとって大きな問題ではないのだろう。ブツブツ呟いて当代の将軍を思い出そうとする少女を見ながら、僕はよろよろとその場に座り込んだ。まだ彼女が本来の持ち主から通行手形を奪った線も残っているが、彼女の間の抜けた様子にすっかり緊張が解けてしまった。少なくとも彼女からは一貫して敵意を感じない。今すぐ何かしらの危害を加えられることはないだろう。
「大丈夫?」
僕より一拍遅れて、少女も膝をついた。その手に食料を差し出して。この村の農作物ではない干し肉だ。いつ腹の虫が鳴ってもおかしくない空腹感に、僕は小さく手を伸ばした。その手に少女はしっかりと干し肉を握らせてくれた。毒見するように少しかじると、食べ物が自分の血肉になっていく満足感が口の中を満たす。
「おいしいでしょ」
得意げな少女の笑顔を横目に見ながら二口目。
「ちょっと待っててね」
と立ち上がって駆け出す彼女を無視して三口目。僕は農道の真ん中で力尽きている男連中に食料を配りに走る少女の背中を見ながら、残りの干し肉をじっくり味わった。この村の作物と違い、しっかりと腹にたまる感覚がある。
「んで。キミ、名前は?」
しばらくして戻ってきた少女は、再び僕の前に座り込んだ。あいかわらずの能天気な様子を纏って。
「……六郎」
僕は正直に名乗った。
「ロクロー? じゃあ、イチローとジローとサブローとシローとゴローもいるの?」
冗談で聞いているのか、本気で気になるのか。いちいち彼女の言動の意味を考えると疲れそうなので、僕は再び正直に答えることにした。
「次郎は隣村に婿入りして、三郎と五郎は作物を売りに近くの宿場へ。四郎は病で……。一郎はそこに」
僕は野菜をほおばる男連中の中の一人を指さした。
「まさか本当に六人兄弟だったとは……」
少女は驚きに目を丸くしている。
「で、君は?」
僕だけ名乗るのは不公平だ。
「あたしは鈴奈。『スズちゃん』とか、『お鈴』とかかわいく呼んでね」
「……スズ」
これ以上彼女の調子に乗せられたくなくて、僕はあえてそっけなく呼んだ。
「それも良し」
しかし、スズはまったく機嫌を損ねた様子もなく、にっこり笑っている。