カナダ陥落
1942年8月25日。ある種世界が(作者が)忘れていた侵攻が遂に終結し、カナダ全域がアメリカ合衆国に占領されたのである。
『アメリカ合衆国によるカナダ侵攻は3月から開始された。侵攻開始から僅か3時間で首都オタワを占領したアメリカ合衆国であったが、その後は急ぐこと無く片手間でカナダ侵攻を続けた。何せ兵力差は圧倒的であったのである。アメリカ合衆国は国内で大軍拡を行いながら、現状可能な軍事行動としてカナダ侵攻を行ったのだ。悲惨なのは侵攻を受ける事になったカナダである。陸軍戦力での兵力差は凄まじいものだった。アメリカ合衆国陸軍は猛烈なる物量作戦を展開した。自走砲・牽引砲による砲撃は圧倒的であり、配備部隊単位でライフリング磨耗による砲身交換が必要になる程であった。陸軍航空軍による空襲も激しくB-17 はカナダ全土を空襲した。総督や首相以下カナダ自治領の首脳陣はオタワ陥落前に脱出したが、その脱出先はあまり選択肢が無かった。何せどこに行った所でアメリカ合衆国陸軍航空軍による空襲は行われ、大西洋を渡り宗主国である大英帝国に脱出するのもアメリカ合衆国海軍大西洋艦隊とフランス海軍により不可能だった。そもそもとして大英帝国本土がフランス・オランダに侵攻されている為に、脱出先にさえ選択肢としてはあり得なかった。太平洋を横断しオーストラリアや大日本帝国に脱出しようにも、アメリカ合衆国はアラスカ州や西海岸からも侵攻を開始し太平洋沿岸部は既に占領されていた。その為にカナダは孤立無援で強大なるアメリカ合衆国と戦うハメになったが、あまりにも絶望的であった。
何とか首脳陣は防衛を行おうとしたがそれも芳しい成果を上げなかった。宗主国たる大英帝国も本土決戦状態であり、大日本帝国も遠く太平洋の彼方にいる為に援軍を派遣してもらえるのは一朝一夕では無いという事は、カナダ政府も重々承知であったが中々歯痒いものがあった。物理的な連絡手段が絶たれているのも大きく、もはやカナダに於いて組織だった抵抗を続けられる力は無かった。その為にカナダ自治領の首脳陣は独断ながらアメリカ合衆国への降伏を決定し、侵攻を続けるアメリカ合衆国陸軍に降伏を伝えた。それを受けて侵攻部隊を率いるパットン将軍は全軍に停戦を命令し、アメリカ合衆国本土にカナダ降伏を伝えたのである。それを受けてアメリカ合衆国ハル国務長官がカナダに向かい、1942年8月25日カナダは降伏文書に調印しカナダ全土がアメリカ合衆国に占領される事になったのである。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋
カナダで調印式を終えたハル国務長官から連絡を受けたルーズベルト大統領は、ホワイトハウスで喜んでいた。これでカナダはアメリカ合衆国の物になり、北米大陸のメキシコ以北がアメリカ合衆国という広大な国家になったのだ。喜ぶルーズベルト大統領は、軍首脳陣に対して大軍拡の進捗について尋ねた。海軍のクイーン作戦部長は大量の艦艇が起工され建造は順調だと語った。駆逐艦の建造予定であるフレッチャー級が188隻、アレンMサムナー級が70隻、ギアリング級が152隻の内で既にフレッチャー級が80隻竣工したと説明した。これはブロック工法と電機溶接を多用した結果であり、今回の海軍拡張計画での艦艇は全てブロック工法と電機溶接を多用するとクイーン作戦部長は断言した。驚愕すべき建造速度にルーズベルト大統領は逆に心配したが、クイーン作戦部長は自信満々だった。しかも輸送船舶確保の為に『リバティ船』と呼ばれる戦時標準船の大量建造も開始し、2000隻以上の大量建造を予定しているとクイーン作戦部長は力強く語った。軽巡洋艦・重巡洋艦・大型巡洋艦・正規空母・軽空母も大量に起工され、護衛空母はボーグ級を45隻、カサブランカ級を50隻、コメンスメントベイ級を35隻の内で既にボーグ級20隻が竣工したと語り、大日本帝国海軍連合艦隊に対抗出来る海軍は来年春には登場すると宣言した。艦載機もプラットアンドホイットニーが開発したR-2800ダブルワスプエンジンの大量生産が始まり、艦上戦闘機F6FヘルキャットとF4Uコルセアの2種類と艦上攻撃機TBFアヴェンジャー、艦上爆撃機SB2Cヘルダイヴァーの開発が終了し大量生産が始まったと説明した。しかも大日本帝国に備え更なる新型機開発も行っていると、クイーン作戦部長は自信満々に口にしたのであった。
そこまで聞き海軍については満足いく説明だと思ったルーズベルト大統領は、マーシャル参謀総長に陸軍について尋ねたのであった。
チート国家アメリカ合衆国が本気を出してきました。少しばかり史実の建造速度より上方修正しました。