通商破壊戦2
1942年6月10日。山本総理兼海相の決断もあり、大日本帝国は大規模なアメリカ合衆国海軍潜水艦殲滅作戦を開始した。
『戦後開示された資料によると、アメリカ合衆国が通商破壊戦に全力を投入する事を決定したのは、1942年5月21日に行われたホワイトハウスでの対策会議に於いてであった。その資料によれば対策会議開催時点でアメリカ合衆国海軍は、増強計画による建造艦艇の起工を行い凄まじい速度で建造を開始している最中であった。何とか巡洋戦艦エセックス級1番艦と2番艦が空母への改装工事を終え就役し、更に太平洋艦隊と大西洋艦隊の現有艦艇の対空兵器増設の緊急改装工事が終わった事により、大量の艦艇が起工され建造はかつてない規模で類を見ない体制で行われていたのである。だがアメリカ合衆国の工業力をもってしてもその艦艇が就役するのは、軽巡洋艦や駆逐艦・潜水艦で1942年末、重巡洋艦や空母に至っては1943年前半であった。
しかも大日本帝国がアラビア半島や大英帝国本土に投入した新型機陣風艦上戦闘機の圧倒的な性能に驚き、アメリカ合衆国は海軍の艦上戦闘機F4Fワイルドキャットと陸軍航空軍の戦闘機P-38ライトニングをそれぞれ開発中止にした。これによりせっかくエセックス級を空母に改装したのに、搭載する航空機が用意出来なかった。アメリカ合衆国は何としても大日本帝国の新型機に対抗するべく、海軍は次々期戦闘機として開発していた艦上戦闘機F6FヘルキャットとF4Uコルセア、陸軍航空軍は次々期戦闘機として開発していた戦闘機P-51ムスタングとP-63キングコブラを早期実用化する事にしたのである。
そのように艦艇建造に於いても、航空機開発に於いても道半ばでありアメリカ合衆国は軍事行動を行いたくても、行えないというどうしようもない状態であったのだ。その状態にルーズベルト大統領が通商破壊戦を閃き、海軍のクイーン作戦部長に潜水艦部隊は行動可能か尋ねたのである。アメリカ合衆国は拡張計画に於いて潜水艦ガトー級を330隻建造する事にしていた。開戦前から保有していた潜水艦としては合計140隻存在していた。そしてその140隻の潜水艦はフランス海軍が潜水艦を大量に保有していた事から、全て太平洋艦隊に配備されていたのである。
ルーズベルト大統領に尋ねられたクイーン作戦部長は、行動可能であると答えた。そしてルーズベルト大統領は時間稼ぎとしての通商破壊戦をクイーン作戦部長に提案し、それをクイーン作戦部長がやる価値があると判断しアメリカ合衆国海軍は通商破壊戦に全力を投入する事になったのである。そしてその命令はハワイ太平洋艦隊司令部に通達され、太平洋艦隊は全潜水艦を通商破壊戦の為に送り出したのである。これまでも数隻単位による小規模な輸送船団への攻撃は行っていたが、大日本帝国海上保安庁の活躍により攻撃は失敗したり返り討ちにあい撃沈されていた。
しかしルーズベルト大統領直々の命令により通商破壊戦に全力を投入する事になり、太平洋艦隊の残存する潜水艦は大挙して出撃したが大日本帝国海上保安庁は船団護衛の専門部隊であるだけに被害は拡大した。しかしアメリカ合衆国も現状では通商破壊戦しかまともな軍事行動を行う手段が無かった為に、被害を顧みずに継続したが1942年6月に入り7日の段階で、海上保安庁が撃沈した数は20隻を超えたのだ。先月までは月平均5隻であった為に、既に4倍も撃沈数が急増していた。これにより海上保安庁は異常な事態が発生しているとして、海軍省に知らせ海軍省は山本総理兼海相に事の次第を説明したのである。それを聞いた山本総理兼海相はアメリカ合衆国による通商破壊戦が行われているとして、国家危急の内容と判断し政府一丸となって対策を行う必要があるとの事で、対策会議を開催する事にしたのであった。その結果として大日本帝国は通商破壊戦への対抗である対潜戦に、海軍連合艦隊機動艦隊も投入する事を決定したのである。連合艦隊の大半がアラビア半島近海に派遣されている為に投入するのは海軍連合艦隊の第5機動艦隊であり、第5機動艦隊は正規空母大鷹級の大鷹・沖鷹・神鷹・隼鷹・龍鷹・千鷹6隻を主力にしていた。更には大日本帝国本土や各要塞に展開する海軍の各航空隊が装備する対潜哨戒機も、通商破壊戦に投入する事になり大日本帝国の総力を挙げた対潜戦が開始される事になったのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より抜粋