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援助提起

1942年5月7日。大日本帝国政府から、大英帝国政府・イタリア王国政府に大規模な軍事援助が提起された。その内容に大英帝国政府とイタリア王国政府は驚愕した。単に航空機を購入したいと要請したら、航空機のみならず戦車や機関短銃・戦標船・駆逐艦汎ゆる軍事援助を大日本帝国は行うとの事であった。だが大日本帝国政府はそれにはある条件があるとして一部は低金利の後払いで代金を支払い、更には対価として大英帝国政府には中東での油田開発・各地の植民地の施設港湾の使用と各種サービス・東南アジア植民地の独立による大東亜共栄圏成立の承認・工作機械との等価交換、イタリア王国政府にも植民地の施設港湾の使用と各種サービスを求めるものであった。その内容を受けて大英帝国政府とイタリア王国政府は、それぞれ緊急対策会議を開いた。イタリア王国政府はムッソリーニ統領がその条件を受け入れると宣言し、閣僚達も反対する事無く受け入れ政府方針として閣議決定する事になった。そしてそれはイタリア王国国王にも報告され、正式にイタリア王国政府としての国家方針としてイタリア王国議会に、受け入れる旨が通達され正式に議論される事になった。

それに対して大英帝国政府は少しばかり混乱するものになった。何しろ対価が多過ぎた。一部の閣僚は明確に反対を表明し、一部の閣僚はその要求を受け入れても良いのではないかと語った。多過ぎる対価であったが、それ相応の大規模な軍事援助を大日本帝国は表明していたからである。その対価は各地の植民地の施設港湾の使用と各種サービス・工作機械との等価交換、の2点は全閣僚が一致して受け入れる対価であった。各地の植民地の施設港湾の使用と各種サービスは大日本帝国との距離を考えたら、妥当な要求であったからだ。何せ東洋と西洋の端にお互いの国は位置しているからだ。工作機械の大日本帝国への提供も当然だと判断された。大日本帝国が工作機械を国産化しようとしているのは、大英帝国も承知しており大日本帝国の技術力からそれは近い将来達成されると思われていた。それなら今のうちに工作機械を提供し恩を売るのも意味があると判断してのものであった。

中東での油田開発に関しては大多数の閣僚は認める事に賛成であった。大日本帝国は大規模な軍を中東に派遣しており、アラビア半島打通作戦により猛烈な勢いでフランス・オランダ陸軍を蹴散らしていた。その中でサウジアラビアの解放のみならず、大英帝国の保護国を次々と解放していた。その保護国とは『ペルシア湾岸保護国』であった。ペルシア湾岸保護国は大英帝国のペルシャ湾沿岸一帯の保護国の事であり、大日本帝国陸軍が派遣されたオマーンもこのペルシア湾岸保護国に含まれている。そのペルシア湾岸保護国はクウェート・カタール・休戦オマーン、そしてマスカットオマーンである通称オマーンであった。休戦オマーンはアブダビ首長国・アジュマーン首長国・ドバイ首長国・フジャイラ首長国・ラアスアル=ハイマ首長国・シャールジャ首長国・カルバ・ウンムアル=カイワイン首長国で構成されている。

これらペルシア湾岸保護国を大日本帝国陸軍第1方面軍が解放しているという戦果がある以上は、大英帝国としても中東の油田開発という対価は出さざるを得なかった。

だが最後の東南アジア植民地の独立による大東亜共栄圏成立の承認に関しては、ほぼ全ての閣僚が反対した。何せ植民地の独立は即ち、大英帝国の終焉を意味したからだ。だがチャーチル首相とイーデン外務大臣はその要求にも応じるつもりだった。(作者注:本編『大英帝国の歓喜』にてチャーチル首相とイーデン外務大臣は、東南アジア植民地独立、オーストラリアとニュージーランドも含め容認する事になっています。)それはチャーチル首相が直々に表明した。その言葉に閣僚達は驚いた。帝国主義者だと思われていたチャーチル首相の植民地独立容認が信じられなかったからである。だがチャーチル首相は植民地独立が大英帝国の終焉では無く、新たな国家形態の始まりだと語ったのである。大日本帝国の目指す大東亜共栄圏は独立国による東南アジア一帯の連合体であり、搾取隷属の植民地では無く独立国の共同体であった。それをチャーチル首相は大英帝国の新たな国家形態に取り入れ、残る植民地も独立させ『イギリス連邦:コモンウェルス』として生まれ変わる時ではないかと語った。植民地から独立した各独立国はイギリス国王を戴く同君連合として、それ以外の政治や経済活動は自由にする、というチャーチル首相の構想であった。そしてチャーチル首相は大日本帝国が朝鮮半島と台湾を植民地では無く、併合した事実を語った。インフラ整備は当然として産業育成を行い、極めつけは帝国大学を本土の一部地方より先に設立した事であった。

それを聞いた閣僚達は驚いた。まさか大学まで設立しているとは思わなかったからである。そう考えるとチャーチル首相の構想は、大英帝国の将来像としては最適解であった。ここまで説明をチャーチル首相が行った事により、閣僚達は賛成の意思を示しチャーチル首相は大英帝国の方針として大日本帝国への対価の要求を全て閣議決定した。イギリス国王にもその報告は行われ、大英帝国議会に受け入れる旨が通達され議論が始まり、大英帝国とイタリア王国の議会に於いて、要求を受け入れるかどうかが決定される事になったのである。

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