解説 海軍航空機紹介3
『ジェット戦闘機烈風
全長14メートル
全幅16メートル
速度855キロ
武装
30ミリ機関砲4門
13ミリ機銃6門
50キロ噴進弾14発
航続距離1850キロ
実用上昇限度12000メートル
乗員1名
世界初のジェット機であり、世界初のジェット艦載機という一気に2つの名誉ある称号を得た、大日本帝国海軍のジェット戦闘機である。開発は海軍航空本部が中心となり、搭載するジェットエンジンは石川島播磨重工業製ターボジェットエンジンの[ネ25]となった。
烈風の開発においてはその設計に於いて様々な案が検討され、8基の小径エンジン(直径241mmのもの)を使用する案や同じく6基の小型エンジンを使用する案も検討された。これは開発当初は充分な推力を持ったジェットエンジンが開発されていなかったためで、1941年10月に石川島播磨重工業により開発されたネ25の推力が充分なものであることが実証され、これにより最終的に2基のエンジンを翼付け根の胴体側面に装備する双発機案が採用された。
機体は葉巻型の胴体に低翼配置・直線翼の主翼を持つ、黎明期のジェット戦闘機としては基本的なものである。上記のようにエンジンは石川島播磨重工業が開発したターボジェットエンジンを2基、主翼付け根に装備している。武装は機首に30ミリ機関砲4門、両翼に13ミリ機銃6門と50キロ噴進弾14発を搭載している。
だが烈風は世界初のジェット戦闘機という名誉を受けたが、ジェットエンジンという当時としては新開発である未知の技術であり黎明期の機体としては避けて通れない問題を抱えていた。それはエンジン寿命が圧倒的に短いという点である。エンジン寿命は試作機数機の平均で最大70時間、実際の戦闘を想定した運用では平均25~30時間だと海軍航空本部では結論付けていた。エンジン寿命が短いのは機械的構造として完成形にあるレシプロエンジンと違い、新開発の未知のジェットエンジンである為に離陸時に大きな推力を得るためにスロットルレバーを開き、燃料を過大燃焼させても機体を劇的に加速させることは叶わず、その状態ではエンジン燃焼室が熱で溶け大きく損傷する事態が頻繁したからである。空母艦載機である為に発艦は蒸気カタパルトから行う為に発艦自体は実際は問題無いと判断されたが、その後の加速が急激に行えなかったのだ。
更にはレシプロ機と比較し燃費が劣悪だったのである。機体内前部の主燃料タンクと後部補助燃料タンクに加えて増槽を2個搭載出来たが、実戦を想定した模擬空戦では僅か30分でも全ての燃料タンクを活用する必要に迫られたのである。その為に海軍航空本部は、ジェット戦闘機烈風は艦隊直掩専用機として運用するべきだとし、実際にジェット戦闘機烈風が正式採用されると海軍連合艦隊機動艦隊の空母では艦隊直掩専用として運用された。
だが石川島播磨重工業もターボジェットエンジンの改良は行っており、次々と改良型を投入し戦争末期にはエンジン寿命は劇的に改善される事になった。その為に石川島播磨重工業は現在に至るも、軍用機エンジンのみならず民間機エンジンの専門企業になる事になったのである。』
小森菜子著
『連合艦隊の歴史』より一部抜粋
史実では石川島播磨重工業への商号変更は1960年(昭和35年)12月1日、石川島重工業株式会社が株式会社播磨造船所を合併した事により行われました。しかしこの小説の世界線では1938年に、石川島重工業株式会社が株式会社播磨造船所を合併した事にしました。それは1937年の山本五十六内閣成立に於ける、大日本帝国の重厚長大産業育成の一環という理由にしてます。




