解説 陸軍兵備紹介2
『三四式戦車
全長8.15メートル
全幅3メートル
最大速度50キロ
武装
85ミリ砲1門
8ミリ機銃2門
最大装甲厚90ミリ
乗員5名
中東オマーン防衛戦での教訓により大日本帝国陸軍省が開発した新型中戦車である。設計の中心人物はロシア人のミハイルイリイチコーシュキン技術者であり、三四式戦車は新型戦車に関するアイデアをまとめ始めた1934年の年号にちなんで、コーシュキン技術者が命名したものであった。
主砲は今までの大日本帝国陸軍の戦車には無い長砲身の55口径85ミリ砲を搭載しており、攻撃力は九五式戦車に比べて格段に向上していた。
防御力については九五式戦車からは隔絶した発展を遂げていた。コーシュキン技術者は防御上有利となる避弾経始を考慮した傾斜装甲(砲塔のサイズと車体とのフォルム含む)を三四式戦車で採用したのである。装甲を垂直では無く傾斜させる事により、避弾経始を発揮させ敵弾を弾く事を第一にさせたのだ。更に装甲板に電気溶接を採用し、リベットの欠点を克服したのも大きかった。リベット留めの装甲板は破砕の問題につながったのである。これは敵弾が当たった時、その弾そのもので戦車や乗員を無力化できなかったとしても弾が当たった時の衝撃でリベットや、断裂した装甲板の破片が車内に飛散し乗員を殺傷してしまう現象でもあった。海軍の連続部分建造に於いて電気溶接技術が発展し、その為に大日本帝国そのものの電気溶接技術が向上した成果でもあった。
だが三四式戦車に欠点が無い訳では無かった。三四式戦車の防御力を発揮する傾斜装甲であるが、傾斜した装甲を用いるということは全体的な容積の減少に加え、デッドスペースが増えることで利用可能容積を減らすことになるのであった。前面の傾斜は前方にいる操縦手や機銃手に影響を与え、側面の傾斜は装備面での制限をもうける要因となった。これにより大小さまざまな運用上の影響を与えていたのである。これはコーシュキン技術者も痛感しており、その為に開発中の新型重戦車では車体自体を更に拡大して内部空間を確保する策が取られる事になっていた。
41式機関短銃マンドリン
全長855ミリ
重量3.7キロ
口径8ミリ
使用弾薬8✕22mm南部弾
装弾数71発
発射速度900〜1000発/分
有効射程150メートル
大日本帝国陸軍が開発した新型機関短銃であり、設計の中心人物はロシア人のゲオルギーシュパーギン技術者である。1941年に開発を開始した事により41式機関短銃と名付けていたが、小倉陸軍造兵廠での視察で41式機関短銃を初めて見た東條陸相が、「マンドリンみたいだな。」と呟いたようであり、そのマンドリンをシュパーギン技術者は気に入り、41式機関短銃はマンドリンの名称にしたいと応えた。東條陸相はそれに応じて新型機関短銃を[41式機関短銃マンドリン]とする事を決定したのである。
大日本帝国陸軍で戦前に正式採用されていた一〇〇式機関短銃とは威力・発射速度に於いて大幅に向上しており、東條陸相は41式機関短銃マンドリンを正式採用する事を決定し大量生産をする事を命令した。その為に第二次世界大戦を通して大日本帝国陸軍の主力機関短銃として、歩兵火器の中心を担う事になった。』
小森菜子著
『大日本帝国陸軍の歴史』より一部抜粋