ユナイテッドステーツ再利用
1942年4月3日。海軍省に於いて山本総理兼海相が出席し、軍令部も交えての検討会議が開かれた。内容は1月のトラック島沖海戦に於いて鹵獲した、超弩級戦艦ユナイテッドステーツについてであった。トラック島沖海戦で大破した超弩級戦艦ユナイテッドステーツは大日本帝国海軍連合艦隊機動艦隊に拿捕され、遥々横須賀海軍工廠まで曳航されて来たのである。横須賀海軍工廠にてユナイテッドステーツはアメリカ合衆国の造船技術を精査する目的で徹底的に調査されたのである。
山本総理兼海相はまずはユナイテッドステーツの調査結果を聞く事にした。説明は海軍艦政本部本部長が行う事になり、立ち上がると説明を始めた。まずユナイテッドステーツに使用されていた鋼材は、大日本帝国と同等であり防御力に関してはある程度予想する事が可能になったと語った。しかし同等の鋼材である事は、彼我の粗鋼生産量が倍以上離れている点を考慮すると、アメリカ合衆国の艦艇に於ける量産速度は凄まじいものになるとも語ったのである。それは山本総理兼海相も同意見であり、アメリカ合衆国の工業力は恐ろしいものだと断言した。現在大日本帝国が行っている戦時標準船の増産も、アメリカ合衆国は苦も無く大量に行える筈だとしてアメリカ合衆国を甘く見ないように語った。
海軍艦政本部本部長はユナイテッドステーツに溶接が多量に行われている事から、大日本帝国と同じ様に連続部分建造が行われているのは確実だとも説明した。それにも山本総理兼海相は同意見だった。大日本帝国が行う事はアメリカ合衆国はより大規模に行う、そう考えた方が良いと語った。それには海軍省と軍令部の要員達も頷き、特に永野軍令部総長は大いに賛同していたのである。ユナイテッドステーツの調査から、アメリカ合衆国の造船技術が大日本帝国と同等だと判明したが、次なる問題はユナイテッドステーツの扱いだった。全長290メートル、最大幅48メートル、速力28ノット、満載排水量83000トンを誇る超弩級空母大和級より少し小さいが、巨艦なのは間違い無かった。武装はトラック島沖海戦での連合艦隊機動艦隊の空襲により46センチ砲塔しか残っておらず、艦橋構造物も破壊されていた。この巨艦をどうするかが問題だった。連合艦隊の数少ない戦艦派はユナイテッドステーツを修理して戦艦としての運用を求めたが、それは現実的理由から不可能であった。大日本帝国で46センチ主砲弾を製造するのが不可能だったからだ。この現実的理由により戦艦派の希望は打ち破られた。
それならスクラップにするという意見も出たが、戦時中の現在に沈没せずに航行可能な状態の軍艦をスクラップにするのは、もったいないという意見が出た。そこで出た結論を海軍艦政本部本部長が語ったが、ユナイテッドステーツの『重装甲空母』への改装であった。正規空母大鷹級までは飛行甲板に装甲化は行われていなかったが、超弩級空母大和級は飛行甲板に150ミリの装甲を張り巡らせていた。これにより800キロ爆弾の攻撃までなら、超弩級空母大和級は耐える事が可能になったのである。そして戦時艦船急速建造計画で建造する事になり現在建造中の超弩級空母大和級に迫る大きさの空母を3隻は、『超弩級空母大鳳級』として鋭意建造中であった。その超弩級空母大鳳級も飛行甲板に130ミリの装甲を張り巡らせた装甲空母となっていたが、海軍艦政本部本部長はユナイテッドステーツ級を超弩級戦艦譲りの200ミリの装甲を張り巡らせた『重装甲空母』に改装する事を提案したのだ。山本総理兼海相や永野軍令部総長は、その重装甲空母改装案に驚いたが意義はあると思った。
それは戦時艦船急速建造計画で正規空母大鷹級の戦時簡易量産型空母たる、『正規空母雲龍級』10隻が空母で初めて連続部分建造を採用し、飛行甲板も従来通り非装甲だからであった。それを考慮すると装甲空母は必要であり、船体はそのまま流用出来るユナイテッドステーツを重装甲空母に改装するのは、再利用としては最適解だと判断したのだ。山本総理兼海相はユナイテッドステーツの重装甲空母改装を無条件で認めると断言し、永野軍令部総長も重装甲空母改装に賛成した。これを受けて超弩級戦艦ユナイテッドステーツは、大日本帝国の手により重装甲空母へ改装される事になったのである。




