バトルオブブリテン3
大英帝国本土ではバトルオブブリテンが佳境に差し掛かっていた。
『1942年3月18日に大英帝国本土に到着した大日本帝国海軍航空隊第11航空艦隊は、整備を行うと早々に邀撃を開始した。大英帝国チャーチル首相直々の出迎えを受けた時に、大日本帝国海軍航空隊は邀撃任務を専門に行って欲しい、との要請があったのである。海軍航空隊の装備する零戦はこの当時ではヨーロッパの空に於いて無敵を誇った。到着翌日の1942年3月19日に行われたフランス陸軍航空隊による空襲を、僅か30分で全滅させるという偉業を成し遂げたのである。しかもその[全滅]は軍事用語としての全滅では無く、文字通りにただの1機も逃さず全て叩き落としたのであった。あまりに高性能過ぎる機体に、観戦武官として派遣されていた王立空軍の士官達は、驚愕の表情を浮かべていた。機体性能が高過ぎる為に、開発中の機体は全てキャンセルして大日本帝国から零戦を購入するべきだ、との意見を観戦武官達は報告書に纏めて提出したのである。
それは王立空軍上層部も同意見であり、空軍省に対して零戦導入を本格的に要請した。そして空軍省の幹部が1942年3月25日に大日本帝国海軍航空隊第11航空艦隊を視察し、第11航空艦隊司令官である塚原二四三大将と、参謀長である大西瀧治郎中将と面会した。この時に大英帝国空軍省幹部は零戦導入が可能か塚原司令官に尋ねたが、塚原司令官は既に大日本帝国本国では零戦の生産は終了していると語ったのである。
それを聞いた大英帝国空軍省幹部は驚いた。これ程の高性能を誇る機体が既に生産終了だと言うのである。大英帝国空軍省幹部は何故生産終了なのか尋ねた。すると塚原司令官は零戦に代わる新型機が開発され、既に量産体制に入り大日本帝国海軍は機体更新中であると応えたのだ。その説明に大英帝国空軍省幹部は更に驚いた。零戦でさえ自分達の保有する機体より2世代は強力と考えていたが、大日本帝国は更に新型機を開発し生産中なのである。技術格差は思ったよりも深刻であった。塚原司令官は更に数日以内に大日本帝国本土から、別の海軍航空隊の要員が新型機を移送して来るので、到着次第お披露目すると説明してくれたのである。そして新型機を見に来る為に一旦は帰った大英帝国空軍省幹部は、数日後の1942年3月29日に再び視察に訪れていた。
大英帝国空軍省幹部の前には零戦を一回り大きくした機体が待ち構えていたのである。大日本帝国海軍が開発した陣風艦上戦闘機が大英帝国本土に到着したのだ。陣風艦上戦闘機と零戦の模擬空戦が行われたが、全く相手にならず陣風艦上戦闘機の圧倒的勝利であった。格闘性能は機体の大型化と重量増加により、零戦に比べると陣風艦上戦闘機は多少は低下したがそれでも世界一を誇っていた。零戦が異常なまでの格闘性能であった為に、陣風艦上戦闘機でも他国の追随を許さない能力となったのである。大英帝国空軍省幹部はその格闘性能のみならず、速度に驚いた。塚原司令官が最大速度は700キロだと説明すると、大英帝国空軍省幹部は唖然としていた。
機上レーダー及び自動消火装置を完備し、 エンジンは2000馬力を発揮する新型の排気タービン過給器を装備した三菱重工製[ハ43]エンジンを装備し、二重反転プロペラを装備した世界最強のレシプロ重戦闘機であり、当時として考えられる汎ゆる性能を凌駕する機体だった。塚原司令官はこの陣風艦上戦闘機が量産されており、海軍連合艦隊機動艦隊と海軍航空隊の戦闘機は全て、零戦から更新されると説明したのである。驚く大英帝国空軍省幹部が更に詳しく陣風艦上戦闘機を見学したいと申し出たが、そのタイミングでフランス陸軍航空隊による大編隊が大英帝国の防空レーダーにより探知された。これを受けて見学は中止され直ちに出撃が行われ、大英帝国空軍省幹部は地上から実際の空戦を見学する事になったのである。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋