新型機関短銃視察
1942年3月26日。中華民国特使による参戦表明を受けて旧式兵器譲渡を決定した翌日。東條陸相は新型機関短銃視察の為に、福岡県小倉市にある『小倉陸軍造兵廠』を訪れていた。東西に最大735メートル、南北に最大1325メートル、敷地約176,000坪もの規模を誇る工廠であり、銃火器・砲弾等を製造している場所であった。その小倉陸軍造兵廠から新型機関短銃視察を行ってほしいと連絡があり、東條陸相は陸軍兵器行政本部本部長を従えて小倉へと飛び立ったのである。
小倉陸軍造兵廠廠長の案内により連れて来られた一角は、射撃試験場になっており軍人や技術者が待っていた。その中でも目を引くロシア人の技術者がおり、東條陸相は小倉陸軍造兵廠廠長に紹介を受けた。そのロシア人技術者はゲオルギーシュパーギン技術者であり、今回の視察目的である新型機関短銃の『41式機関短銃』を開発した人物であった。
『新型機関短銃である41式機関短銃は、シュパーギン技術者が1941年に開発を開始した機関短銃であった。当初はシュパーギン技術者が個人的に開発していたが、小倉陸軍造兵廠廠長がその性能に感銘を受けて正式に開発を依頼し陸軍検討会議で新型機関短銃開発を加速させる事になり、シュパーギン技術者の開発する新型機関短銃が一番早くに開発されていた事もあり、今回の視察に繋がったのである。
東條陸相にシュパーギン技術者は直々に41式機関短銃を紹介した。41式機関短銃を初めて見た東條陸相は、「マンドリンみたいだな。」と呟いたようである。そのマンドリンをシュパーギン技術者は気に入り、41式機関短銃はマンドリンの名称にしたいと応えた。東條陸相はそれに応じて新型機関短銃を[41式機関短銃マンドリン]とする事を決定したのである。
シュパーギン技術者が自ら射撃してみせた41式機関短銃マンドリンは驚くべき発射速度を発揮した。あまりの発射速度に東條陸相は驚いた。シュパーギン技術者は41式機関短銃マンドリンは発射速度が1分間に900〜1000発であり、有効射程は150メートルであると説明した。現在大量生産を行っている一〇〇式機関短銃は発射速度が1分間に450発であった。有効射程は一〇〇式機関短銃は41式機関短銃と同じだが、発射速度は隔絶していた。そして最大の利点が弾倉にあった。41式機関短銃マンドリンはドラム形弾倉を使用し71発も装填する事が出来た。一〇〇式機関短銃は湾曲箱形弾倉を使用して30発しか装填出来なかった為に、倍以上の差があった。使用弾倉は一〇〇式機関短銃と同じ8ミリ南部弾を使用していた。威力も発射速度により非常に高く、命中精度も良好だった。高性能に感銘を受けた東條陸相は、即座に41式機関短銃マンドリンの制式採用を決定し、一〇〇式機関短銃を置き換える事にする事にしたのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より抜粋