カナダ侵攻
1942年3月18日に起きた2つ目の大きな衝撃は、アメリカ合衆国によるカナダ侵攻であった。カナダ侵攻は1942年3月14日に行われた米仏蘭三カ国首脳会談で、フランス大統領の嫌味的な発言にルーズベルト大統領が対抗して発言した事が理由になっていた。太平洋方面で海軍が動くに動けないという致し方ない理由ではあるが、それなら手持ち無沙汰な陸軍と航空隊を使ってカナダ侵攻をするば大英帝国の弱体化に繋がるとのフランス大統領の考えであった。ルーズベルト大統領は米仏蘭三カ国首脳会談が終わり帰国すると、早速軍首脳陣を集めてカナダ侵攻が可能か尋ねた。尋ねられた軍首脳陣である、マーシャル陸軍参謀総長とアーノルド陸軍航空軍司令官はカナダ侵攻なら何ら問題は無いと答えたのである。
マーシャル陸軍参謀総長は師団数に於いても既にアメリカ陸軍は100個師団を編成したのに対して、カナダ陸軍は未だに15個師団しか有していない為に戦いは圧倒的な差がつくと語った。アーノルド陸軍航空軍司令官も新型機の完成にはもう暫くは時間が必要であるが、航空隊の数ではカナダ陸軍航空隊を圧倒的に上回り制空権確保は簡単であると説明した。それを受けてルーズベルト大統領はカナダ侵攻に本格的な実行命令を出したのである。
『カナダは大英帝国カナダ自治領が当時の正式名称となる。そのカナダ自治領に対してアメリカ合衆国は南と西の国境を接する地点から、何の躊躇も無く侵攻を開始したのであった。アメリカ陸軍航空軍は主力爆撃機たるB-17を投入し、絨毯爆撃を敢行し国境線のカナダ陸軍を粉砕した。P-39とP-40も見事な活躍を見せ、カナダ陸軍航空隊のスピットファイア戦闘機を数で圧倒し制空権を確保した。陸軍もM3戦車を主力にした部隊を中心に派遣しており、カナダ陸軍を圧倒的に上回り侵攻の邪魔をさせなかった。あまりの戦力差にカナダ軍は後退しようとしたが、それを上回る速度でアメリカ陸軍航空軍が攻撃を仕掛けてくる為に次々と撃破されていったのである。カナダ陸軍の指揮官達は何とか体制を立て直すように努力したが、それはアメリカ合衆国の物量作戦により雲散霧消する事になった。そして遂にはアメリカ陸軍航空軍によるカナダ自治領首都オタワへの戦略爆撃が行われる事態になった。
それを阻止出来る航空兵力は既にカナダ自治領には残されておらず、アメリカ陸軍航空軍は悠々と飛行を続け戦略爆撃を行ったのである。その間にもアメリカ陸軍は侵攻を続けており、アメリカ合衆国による侵攻開始から僅か3時間でカナダ自治領首都オタワは陥落したのである。総督や首相以下カナダ自治領の首脳陣はオタワ陥落前に脱出したが、それでもカナダ自治領の首都が陥落した衝撃は大きかった。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋