新たな展開
1942年3月13日。大日本帝国帝都東京首相官邸では山本総理兼海相が閣議を招集していた。内容は大英帝国政府からの要請で、中東に派遣している海軍航空隊を大英帝国本土にまで援軍として進出させて欲しい、という内容であった。大英帝国本土で行われている航空撃滅戦『バトルオブブリテン』は大日本帝国にも伝わっており、壮絶な空戦が行われているのも知っていた。大日本帝国はワシントン海軍軍縮条約で戦艦保有を禁止されてから、海軍は航空主兵主義となった為に本土防空体制は現時点では世界最高水準にあった。大日本帝国全土、本土のみならず朝鮮半島や台湾島・南洋地域・南樺太も含めて対空レーダー網を整備し、陸軍と海軍の航空隊基地も整備されていた。特に硫黄島・マリアナ諸島・千島列島は『要塞島』と言われる程に、朝鮮半島・台湾島・南樺太は軍事区画に指定された一部地域が、徹底的な要塞化がなされ陸軍と海軍の航空隊基地も整備されていた。これにより北からの攻撃は南樺太・千島列島の要塞が、南からの攻撃は硫黄島・マリアナ諸島の要塞が、西からの攻撃は台湾島・朝鮮半島の要塞が、それぞれ防衛線の役目を担う事になっていた。唯一要塞の無い東は太平洋が広がっており、海軍連合艦隊が活躍すると共に東北地方沿岸が要塞化されていた。
山本総理兼海相は単刀直入に、大英帝国政府の要請を受け入れるかどうかを閣僚達に尋ねた。東郷茂徳外務大臣は大英帝国政府の要請は今後の外交関係を考慮し、是が非でも受け入れるべきだと力説した。
賀屋興宣大蔵大臣は第三次追加予算において210億円もの巨額の費用が計上され、それは来年度予算である1942年度予算に於ける一般会計予算202億円と同規模の軍事費を計上しており、今更大英帝国本土まで進出する事の資金面での負担は考慮する必要は無いと断言した。だが賀屋大蔵大臣は、中東オマーンへの派遣に次いで大英帝国本土への海軍航空隊派遣となれば、最終的には海軍連合艦隊や陸軍部隊までヨーロッパへの派遣要請が出るのでは無いかと懸念を示した。
商工大臣として戦時中の物資動員計画全てを担当する岸信介は、実利的な面から大英帝国の要請に応え海軍航空隊を派遣する事は同盟国としての当然の措置であると同時に、中東での油田や南方地域の植民地を独立させる等の我々の要求も通り易くなると語った。
東條英機陸相は純粋に軍事的理由から大英帝国本土派遣に賛成した。現状ではアメリカ合衆国の活動は海軍の活躍により停滞しており、大英帝国まで遠征しても影響は限りなく低いと東條陸相は語った。アメリカ合衆国はトラック島沖海戦の敗北により軍備拡張を行っており、それが現在の活動が停滞している理由であった。東條陸相はそのアメリカ合衆国が停滞している間に、大英帝国支援の為に海軍航空隊を派遣するのは絶好の機会であるとした。仮にアメリカ合衆国が現存戦力で太平洋で活動したとしても、海軍連合艦隊の第5機動艦隊に配備されている正規空母大鷹級の大鷹・沖鷹・神鷹・隼鷹・龍鷹・千鷹が6隻も存在し、更には大日本帝国本土や各要塞に展開する海軍陸軍の各航空隊が存在し、防衛のみなら万全であるとも語った。その為に海軍航空隊の大英帝国派遣は同盟国への義理を果たすと共に、大日本帝国の国防戦略・資源戦略・国家方針にも合致するとして賛成したのである。
他の閣僚も一様に賛成しており特段の反対は無く、唯一賀屋大蔵大臣の将来的な海軍連合艦隊や陸軍のヨーロッパ派遣の懸念点はあったが、山本総理兼海相は海軍としても現状は戦力に余裕があるとして、海軍航空隊の大英帝国派遣を正式に決定する事になったのである。