合同会議
オマーン防衛戦から3日が経過した1942年3月5日。大日本帝国帝都東京首相官邸では、『陸海軍合同戦闘評価会議』が開かれていた。これまでの戦闘でも『フィリピン攻略戦』や『オランダ領インドネシア攻略戦』等陸海軍合同作戦は行われていたが、戦闘後の評価検討は陸軍省と海軍省でそれぞれ開催されていた。しかし戦争を進める上で陸海軍合同作戦は続く事が予想され、それぞれ別個に行うより評価検討も合同で行う方が利点があるとして山本五十六総理大臣兼海軍大臣が提案。それに東條英機陸軍大臣が賛同した為に今回初めて、陸海軍合同戦闘評価会議が開催される事になった。更に山本五十六総理大臣兼海軍大臣と東條英機陸軍大臣は、軍令部と参謀本部の上位に位置する陸海軍を両軍共に統括する『陸海軍共同作戦の最高指導部』創設を目指していた。
陸海軍合同戦闘評価会議は山本総理兼海相の挨拶から始まった。山本総理兼海相は陸軍と海軍が今回のオマーン防衛戦で、協力し連携してフランス・オランダ合同軍を見事に撃退した事を称賛した。陸軍第1方面軍の戦車師団が大打撃を受けた事が今後の課題だとしたが、概ね戦闘そのものは勝利と言っても過言では無いと断言した。
山本総理兼海相の挨拶が終わると次は各軍からオマーン防衛戦の説明が行われる事になった。まずは海軍から行われる事になり、それは小澤治三郎連合艦隊司令長官が直接行う事になった。小澤司令長官は今回のオマーン防衛戦での連合艦隊機動艦隊空母航空隊の威力について説明した。未だ生産量が間に合っていない為に空母航空隊の数では主力となる零戦だが、これはフランス陸軍航空隊のBf-109相手には圧倒的な優位性がある事が証明された。
零戦でも難無く撃墜出来る事から、新型機である陣風艦上戦闘機もその能力は高いと判断出来ると語ったのである。九九式艦上爆撃機と九七式艦上攻撃機もフランス陸軍のIV号戦車を徹底的に破壊し、彗星艦上爆撃機と天山艦上攻撃機の攻撃能力が更にトドメとなったのである。小澤司令長官はこの能力の高さから国内軍需企業に対して、陣風・彗星・天山の早期の増産を要請し空母航空隊の全面更新を加速させる事を言い切った。
海軍の次は陸軍となり東條陸軍大臣が直々に説明を行う事になった。説明の冒頭東條陸相は装備が圧倒的に遅れていた事に衝撃を受けたと語った。陸軍の兵器でオマーン防衛戦で役に立ったのは一式戦闘機隼と百式爆撃機呑龍だけであったと断言したのである。九五式戦車はフランス陸軍のIV号戦車に全く勝負にならず、速度を活かして後方に回り込んで砲撃を加えてようやく撃破出来る有り様であった。歩兵火器も差は激しく、陸軍の主力小銃である三八式歩兵銃はボルトアクション式の為に連射が出来ず、軽機関銃や車載機銃に於いて連射が可能となっていたが、フランス・オランダ合同陸軍は歩兵火器でさえも連射していたと語った。
この時フランス・オランダ合同陸軍が装備していたのはフランスがドイツ人技術者をスカウトして開発した『StG44』と『MP40』、そしてアメリカ合衆国からのレンドリースによる装備である『M1トンプソン』であったのである。この装備の差は大きく東條陸相は戦車・銃火器全てに於いて抜本的な更新を行うと断言した。
両軍それぞれの説明が終わると、次は詳細な戦闘評価について話し合われる事になった。