オマーン防衛戦
フランス陸軍とオランダ陸軍の機甲師団に最初に襲い掛かったのは、大日本帝国海軍連合艦隊機動艦隊の艦載機であった。大日本帝国海軍は新型艦載機を開発し、今回の中東派遣に間に合わせたがその新型艦載機を搭載しているのは、第1機動艦隊の超弩級空母大和級3隻と正規空母長門級2隻であった。残りの第2〜4機動艦隊は従来通りの零戦・九九式艦上爆撃機・九七式艦上攻撃機を搭載していたのである。この事態は大日本帝国の生産体制の貧弱さが原因であり、大日本帝国政府は戦争遂行に致命的であるとして開戦前から対策を行ってきた。軍需庁を新設して各財閥を統制して生産を行わせ、各財閥も工作機械を同盟国である大英帝国やイタリア王国から輸入すると共に、各財閥傘下の工作機械企業にも新型工作機械の開発と生産を行わせていた。その成果もあり各財閥は主力工場がアメリカ合衆国程では無いが、嘗て無い規模の大規模工場へと変貌したのである。対策の成果は確実に表れており、生産量は拡大し数ヶ月も経たずに連合艦隊機動艦隊全空母の艦載機は更新が可能となる予定であった。
大日本帝国海軍連合艦隊機動艦隊の艦載機による空襲は、フランス陸軍とオランダ陸軍の予想を遥かに上回る規模で行われた。特に彗星艦上爆撃機と天山艦上攻撃機の破壊力は隔絶しており、単発レシプロ機が1トン爆弾を搭載している事にフランス陸軍とオランダ陸軍は衝撃を受けた。どう見ても250キロや500キロ・800キロ爆弾では真似できない被害を齎したからである。空襲を阻止しようとフランス陸軍航空隊の[Bf109]が空戦を仕掛けて来たが、零戦に呆気なく叩き落され陣風艦上戦闘機が出張る必要は無かった。フランスはドイツの技術者をスカウトしており、永世中立国となったドイツで暇を持て余した軍需企業各社から大量の技術者を引き抜いていた。技術者の母国たるドイツはフランスとオランダによるヨーロッパ制圧作戦により占領されたが、自分達に職を無くすような平和国家を目指したドイツ政府に嫌悪感を抱いていた為に、技術者達からは特に反感は無かった。
そしてその技術者の成果により陸軍は航空機や戦車に於いて、海軍は潜水艦に於いて高性能な代物を生み出したのである。だが今回は相手が悪かった。大日本帝国はワシントン海軍軍縮条約で戦艦保有を禁じられてから、航空主兵主義となり航空機開発に資金力と技術力を全力で投入していた。その成果が1942年に於いてエンジンが2000馬力も発揮する新型の排気タービン過給器を装備した三菱重工製[ハ43]エンジンを完成させるに至ったのである。
大日本帝国海軍連合艦隊機動艦隊の艦載機による空襲が一通り終わりを告げると、次は海軍陸軍の合同航空隊による空襲が加えられた。海軍航空隊は零戦に護衛された一式爆撃機が、陸軍航空隊は一式戦闘機隼に護衛された百式爆撃機呑龍がフランス陸軍とオランダ陸軍を空襲した。一式爆撃機と百式爆撃機呑龍はどちらも爆弾搭載量6トンを誇る重爆撃機であった。航続距離も5500キロを誇る立派な戦略爆撃機であったが、大日本帝国としては広大な太平洋での作戦運用の関係から航続距離と爆弾搭載量が増大しただけであった。その将校に一式爆撃機は4発レシプロ機でありながら、雷撃も可能な機動性を備えていたのである。
その為に贅沢な戦術爆撃機としての運用が行われたが、爆弾搭載量のおかげもありフランス陸軍とオランダ陸軍の部隊を次々と吹き飛ばした。あらかたの爆撃が終わると爆弾倉が空になった為に、海軍陸軍合同航空隊は引き上げていった。それに入れ替わるように海軍連合艦隊機動艦隊の艦載機が補給を終えて展開すると、その強大な航空支援の下に陸軍1個方面軍が反攻を開始したのであった。