緊急閣議13
1944年5月7日、大日本帝国帝都東京首相官邸では緊急閣議が開催されていた。5月1日の御前会議でアメリカ合衆国に対する無差別戦略爆撃が決定されてから、戦略爆撃機富嶽は連日連夜の長距離戦略爆撃を敢行していた。それを可能とする為にハワイ諸島には陸海軍航空隊が、ほぼ戦略爆撃機富嶽運用専門集団になっていた。
陸海軍航空隊の重爆撃機連山と重陸上攻撃機深山はヨーロッパ方面の各航空隊に配置転換し、乗員達は全員が戦略爆撃機富嶽への機種転換を行った。戦略爆撃機富嶽は海軍が主導して中島飛行機と開発した物であったが、配備先を陸海軍航空隊共通化にする事で運用効率向上を図ったのである。またこれが戦後の陸海軍航空隊統合による『大日本帝国空軍』創設の契機となった。
そして開催された緊急閣議は遂に始まったヨーロッパ侵攻作戦を受けて、アメリカ合衆国上陸作戦を何時開始するかを決定するものだった。全土への無差別戦略爆撃が始まったばかりであり、上陸作戦とは性急だとの意見もあったが作戦規模を考えると先に日程を決定する必要があった。
まずは東條陸相がアメリカ合衆国全土への戦略爆撃の成果について説明を始めた。外堀から埋める事にしアメリカ合衆国全土への戦略爆撃は、まずは重爆撃機連山と重陸上攻撃機深山では不可能だった中部に対して開始したのである。これにより西海岸や東海岸から疎開していた企業群の工場に対して、全面的な戦略爆撃が開始され各地の工業地帯は日替わりで壊滅状態になる事になった。その為に無差別戦略爆撃による大都市部への空襲は、来月から開始される予定だった。
そんな中で東條陸相はアメリカ合衆国中部のニューメキシコ州のとある田舎町に、工場か研究施設かは不明ながら大規模な施設があった為に爆撃を行ったと語った。周辺はただの荒野でありわざわざそんな所に設営されており、今迄は全く考慮されてなかったがアメリカ合衆国全土を戦略爆撃するに辺り戦略爆撃機富嶽により偵察を行った結果、判明したと東條陸相は説明した。
この事からアメリカ合衆国は他にどのような施設を建設しているか分からない為に、戦略爆撃を行いつつも戦略爆撃機富嶽による偵察を同時進行で行うと語った。それを聞いた山本総理兼海相や他の閣僚達は、淡々と頷いただけだった。
だがこの何気無い爆撃が、アメリカ合衆国の切り札を奪ったのである。
『この時の緊急閣議では単純に処理された爆撃であったが、その場所は皆さんご存知のロスアラモス研究所だったのだ。これによりアメリカ合衆国はマンハッタンプロジェクトに関わっていた中心人物である、技術者・研究者が全滅する事になった。
これによりアメリカ合衆国は核開発を継続するのが不可能になり、ただただ膨大な費用を消費しただけになったのである。大日本帝国がこの事を知ったのは戦争終結後であり、占領統治の開始によるアメリカ合衆国公文書の接収した時であったのだ。
これを知った時の大日本帝国の驚きようは、今でも記録に残る程だ。山本総理兼海相は偶然ながらアメリカ合衆国の核開発を中断させる事に繋がったと、記者会見で発表すると新聞やラジオは[神風が吹いた]として、奇跡的な爆撃の経緯を報道した。
偶然が積み重なった結果であるが、歴史とは意外な一面を見せるという証でもあった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




