ヨーロッパ侵攻作戦
1944年5月4日。アメリカ合衆国首都ワシントンDC空襲の翌日に大日本帝国は、トルコ戦線とイタリア戦線そして東欧からの大規模な侵攻を開始した。フランス共和国とオランダ王国の占領したヨーロッパ全域には、大日本帝国陸海軍航空隊による空襲が間断なく続けられていた。
何せ大日本帝国海軍航空隊の重陸上攻撃機深山と陸軍航空隊の重爆撃機連山は、航続距離8800キロを誇る為にイタリア王国を拠点にした戦略爆撃は、フランス共和国とオランダ王国の占領するヨーロッパ全域を攻撃可能だった。これにより大日本帝国は陸海軍航空隊という、ある意味で空軍が2つあるのを利用し、連日連夜の千機爆撃という荒業を編み出したのだ。これにより陸軍航空隊と海軍航空隊を日替わりで出撃させ、爆撃機総数1000機以上という大編隊での戦略爆撃を毎日行っていた。
その為にヨーロッパ全域には毎日1000機以上の戦略爆撃機の大群が飛来し爆撃を行い、その結果工業地帯は壊滅状態となった。しかも爆撃は軍事基地にも行われ、日毎に迎撃態勢も低下しヨーロッパ全域の制空権は大日本帝国が握る事になったのである。
フランス共和国とオランダ王国は防衛を優先する戦略を採用していたが、連日連夜の戦略爆撃で状況は悪化していった。その間に大日本帝国はヨーロッパ侵攻の計画を行っていた。アメリカ合衆国は太平洋と大西洋という渡洋作戦が必要不可欠であり、更に戦略爆撃機富嶽によるアメリカ合衆国全土への戦略爆撃が始まったばかりであり、ヨーロッパ侵攻を優先した結果だった。
大日本帝国は選抜徴兵制により特に陸軍兵力を増強し、連合国各国にも大規模な軍事援助により戦力の増強に協力した。そしてシベリア解放作戦で展開していた大日本帝国陸軍第4方面軍合計12個師団、満州帝国陸軍20個師団、中華民国陸軍30個師団、の合計62個師団はシベリア鉄道を複々線工事を行うと同時に既存のシベリア鉄道に対して、補強工事を行い、西進と平定を続けた。
意外にも内戦の荒廃から民心は安定を望んでおり更に大日本帝国が、ロシア人技術者や科学者をスカウトしていた為に対日感情は悪く無い事もあり平定は順調であった。その為にフランス共和国とオランダ王国のヨーロッパ占領地域であるウクライナ国境まで進出する事に成功し、部隊の展開と装備弾薬の補給兵站線を構築しヨーロッパ侵攻に備えた。
その間にも戦略爆撃は続いておりそして、1944年5月4日の一斉侵攻の日を迎えたのである。




