対策会議9
戦略爆撃機富嶽が去ったホワイトハウスでは、ルーズベルト大統領が対策会議を開いていた。未だに消防車や救急車が走り回っており、陸軍も救助活動に協力していた。だがそれは表現上だけのものであり、実際は戦略爆撃機富嶽による爆撃で建物どころか道路も破壊し尽くされていた。その為に救助活動は遅々として進まず、火災も延焼し続けていた。
ホワイトハウス周辺は瓦礫の山で延焼の心配は無かったが、それが為にホワイトハウスは陸の孤島となっていた。側近達は戦略爆撃機富嶽の接近によりルーズベルト大統領を避難させようとしたが、その避難をルーズベルト大統領は頑なに拒否した。国民に示しが付かない、というのがルーズベルト大統領の意見であり大日本帝国はホワイトハウスを狙わない、という自信もルーズベルト大統領は感じていた。
その為に側近達は副大統領を避難させる事で、政府存続を図ったが結果としてはルーズベルト大統領の判断は正しかった。そして次席幹部を避難させルーズベルト大統領と心中する覚悟だった、海軍クイーン作戦部長・陸軍マーシャル参謀総長・陸軍航空軍アーノルド司令官・ハル国務長官は、ホワイトハウスに残っておりルーズベルト大統領は即座に対策会議を開いたのである。
『対策会議は始まったがルーズベルト大統領達にすれば、何を対策するかという事であった。飛来した戦略爆撃機富嶽は6発の超巨大戦略爆撃機であり、アメリカ合衆国が開発していたB-29を遥かに上回る機体だった。それが空を埋め尽くして大挙して飛来し、爆発跡から判断するに1トン爆弾を大量に投下していったのだ。
しかもアメリカ合衆国が想定し得なかった、掃射機まで大日本帝国は開発し迎撃機は全機撃墜され、地上の車輌や人員は文字通りの弾丸の雨に破壊殺戮されたのだ。これまで西海岸は連日連夜戦略爆撃を受けており、東海岸は空母艦載機による空襲を受けるだけだった。
だが今日の戦略爆撃はアメリカ合衆国全土が、その対象になったという証明でもあった。こうなるとアメリカ合衆国中部に空襲を避ける為に疎開した人々や、企業も今後は戦略爆撃からは逃れられないという事になったのだ。それがルーズベルト大統領や海軍クイーン作戦部長・陸軍マーシャル参謀総長・陸軍航空軍アーノルド司令官・ハル国務長官は理解していたのだ。
その為にこの対策会議は開催されたが、誰も発言しないままに終了した。それは戦後開示された資料や関係者への取材で明らかになっており、アメリカ合衆国の敗戦が明白になった瞬間でもあった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




