大戦略
1944年5月1日、大日本帝国帝都東京皇居。山本総理兼海相以下閣僚全員と陸海軍首脳陣全員と、天皇陛下の御臨席を賜り御前会議が開催された。この御前会議こそが、大日本帝国の第二次世界大戦における大戦略を確定させるものにした。
『1943年9月15日の緊急閣議で大日本帝国は、謂わばアメリカ合衆国とヨーロッパ側(フランス共和国・オランダ王国)の分断と止まらない出血を強いる事にした。これにより大日本帝国は通商破壊戦と空襲を絶えず行う事になり、アメリカ合衆国とフランス共和国・オランダ王国は守りに徹するのに精一杯だった。
それによりアメリカ合衆国とフランス共和国・オランダ王国は兵器開発に著しい遅延を来すことになったのだ。何せ大日本帝国海軍航空隊の重陸上攻撃機深山と陸軍航空隊の重爆撃機連山は、航続距離8800キロを誇る為にイタリア王国を拠点にした戦略爆撃は、フランス共和国とオランダ王国の占領するヨーロッパ全域を攻撃可能だった。これにより大日本帝国は陸海軍航空隊という、ある意味で空軍が2つあるのを利用し、連日連夜の[千機爆撃]という荒業を編み出したのだ。これにより陸軍航空隊と海軍航空隊を日替わりで出撃させ、爆撃機総数1000機以上という大編隊での戦略爆撃を毎日敢行したのである。
それに対してアメリカ合衆国は拠点がハワイ諸島である為に西海岸沿岸部しか戦略爆撃を行えなかったが、その代わりに海軍連合艦隊機動艦隊を用いた柔軟な空襲作戦が敢行された。これは西海岸のみならず東海岸も対象であり、アメリカ合衆国は通商破壊戦と両海岸沿岸部への空襲により各種工業地帯を内陸部に疎開させた。
だがそのアメリカ合衆国専用戦略爆撃機とも呼べる新型戦略爆撃機を、大日本帝国は1943年11月30日に実用化したのである。開発主体は中島飛行機であり、エンジンは石川島播磨重工業が担当したその新型戦略爆撃機は[富嶽]と命名された。全長50メートル、全幅75メートル、爆弾搭載量25トン、航続距離は25000キロ、6発エンジンという常軌を逸する超巨大戦略爆撃機であった。まさに大日本帝国航空産業の集大成とも呼べる戦略爆撃機だった。
搭載するエンジンは富嶽専用に設計された物であり、石川島播磨重工業製排気タービン過給器エンジンのハ58を搭載していた。大馬力3520馬力を誇るハ58は、レシプロエンジンの究極的存在であるといわれたハ45を更に凌駕する馬力を誇っていた。この超巨大戦略爆撃機こそが大日本帝国の切り札であり、これを用いてアメリカ合衆国への本格的な戦略爆撃を開始するのであった。
あまりの巨大さ故に中島飛行機だけでは大量生産は不可能であり、他の航空機メーカーと協同での大量生産体制が構築された。生産開始当初は様々な要因が重なり、月産8機という絶望的な数字であったが、軍需庁主導の徹底的な分業生産体制と、作業の効率化・24時間3交代制での連続操業により1944年3月には月産150機が可能となったのである。
それによりハワイ諸島での戦略爆撃機富嶽の展開は順調に進み、1944年5月1日の御前会議開催時点では500機を超える機数が展開していたのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




