トルコ反攻作戦3
大日本帝国陸軍第3方面軍は司令官岩松義雄大将の命令により、戦車師団の三式重戦車が先陣を切って突撃を敢行した。フランス共和国とオランダ王国の各陸軍は、何とか迎撃しようとしたがやはり性能差が大きかった。フランス共和国とオランダ王国はアメリカ合衆国と協同で、三式重戦車に対抗出来る新型を開発していたがそれは間に合わなかった。
そして悲劇は繰り返された。大日本帝国陸軍戦車師団の三式重戦車は、その能力を遺憾無く発揮した。その為にフランス共和国とオランダ王国の各陸軍は、次々と撃破されていった。何と言っても三式重戦車の武装と装甲が強力過ぎたのである。その三式重戦車の支援として三四式戦車が縦横無尽に駆け回り、支援砲撃や空爆も完璧な連携がとられていた。
これにより大日本帝国陸軍とトルコ陸軍の前進を食い止めれず、フランス共和国とオランダ王国の各陸軍部隊は総崩れとなった。それを大日本帝国陸軍第3方面軍司令官の岩松義雄大将は見逃さず、突撃を命令した結果敵部隊の中央突破による両翼部隊の包囲に成功したのである。
大日本帝国陸軍が中央部から突破し両翼部隊後方に回り込み、トルコ陸軍が前進を続け包囲網は狭められた。
これによりフランス共和国とオランダ王国の各陸軍は降伏を表明し、白旗を掲げた。こうしてトルコ侵攻を行っていたフランス共和国陸軍約13万人と、オランダ王国陸軍約8万人が捕虜となったのである。
『トルコ戦で捕虜となったフランス共和国とオランダ王国陸軍将兵に、私は第二次世界大戦終結後に取材を行った。捕虜達は戦闘終結後にトルコ国内に建設された捕虜収容所に連行され、第二次世界大戦終結まで収容されていた。
その為に第二次世界大戦終結後の帰国直前の捕虜達に取材を行ったが一言で言えば捕虜達は、捕虜になれた事に安堵していた、のである。大日本帝国陸軍の中央突破による両翼部隊の回り込み、トルコ陸軍の前進による包囲により、フランス共和国とオランダ王国の各陸軍は降伏を余儀なくされ捕虜となった。
そして第二次世界大戦終結まで捕虜として過ごす事になるが、大日本帝国からの軍事援助は食糧支援も含まれており、捕虜達はジュネーブ条約により丁重に扱われていた。その扱いにある種満足した為に、捕虜達は安堵していたのだ。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋




