北伊奪還作戦2
ポー平原に侵攻した連合軍はその先頭はポー平原戦車戦時と同じく大日本帝国陸軍第1第2方面軍の、戦車師団三式重戦車が務めた。その性能は前回のポー平原戦車戦で証明済みであり、大日本帝国陸軍第1第2方面軍の司令官である、石原莞爾大将と阿南惟幾大将は自信満々であった。更に大日本帝国陸軍第1方面軍石原司令部には、大日本帝国陸軍参謀総長杉山元大将の命令により参謀本部幕僚附(作戦課)参謀の瀬島龍三大佐と、参謀本部作戦課課長である服部卓四郎少将が視察に訪れていた。
これは杉山参謀総長が、現場を知らずして参謀本部勤務は務まらないとの判断からであった。これにより参謀本部からの客人を抱え込む事になった大日本帝国陸軍第1方面軍だが、石原大将は阿南大将の第2方面軍と共にポー平原侵攻の先頭を務めた。イタリア王国に展開する事になった救援の連合軍は、大英帝国陸軍が10個師団、中華民国陸軍が30個師団、満州帝国陸軍が20個師団、タイ王国陸軍が10個師団でありその全てが大日本帝国の軍事援助を受けており、装備は大日本帝国製兵器に統一されていた。
そして指揮系統は大日本帝国陸軍の第1方面軍司令官石原莞爾大将を総司令官とする、『連合軍イタリア王国救援総軍』として一本化される事になり中華民国陸軍・満州帝国陸軍・タイ王国陸軍は、大日本帝国陸軍の指揮下に入る事になった。イタリア王国にとってはこれ以上無い援軍となり、今回の逆侵攻である北伊奪還作戦が可能になったのである。イタリア王国も陸軍の増強を進めており、更には大日本帝国の大規模な軍事援助により戦力は着実に増えていた。
その中で目を引く新装備は『43式自走式多連装ロケット砲カチューシャ』であった。大日本帝国が大量生産している軍用トラックの6輪車輌だが、荷台に柵状の構造物があった。軍用トラックの荷台にある柵状の構造物が斜めに持ち上がり射角を確保すると、凄まじい連射速度で噴進弾を発射するものだった。横に8本並ぶ発射機が上下2段ある為に、合計16発を一気に発射する事が可能であった。その噴進弾は発射されると数秒後には着弾し、凄まじい爆炎を上げフランス共和国軍とオランダ王国軍を恐怖に叩き落とした。
ただでさえ43式弾道弾による破壊力に圧倒されており、そこに三式重戦車を先頭にし侵攻してくる部隊の頭上からおびただしい数の噴煙により噴進弾が降り注いで来たのである。恐ろしい数の暴力に、フランス共和国軍とオランダ王国軍の防衛線は総崩れとなった。




