アルプス山脈攻防戦
1942年11月5日。大英帝国を占領したフランスとオランダは、イタリア王国侵攻を本格的に開始した。
『フランスとオランダによる侵攻は、イタリア王国としても予想はしていた。何せ大英帝国が陥落したとなっては、残るヨーロッパでの連合国は自分達だけであり攻められるのは火を見るより明らかだった。その為にイタリア王国としても万全の態勢で待ち構えていたのである。イタリア王国は北部国境にあるアルプス山脈にイタリア王国陸軍の山岳師団とイタリア王国空軍を集中配備し、山岳師団には41式機関短銃マンドリンが配備され、空軍は陣風艦上戦闘機を装備し戦力は大幅に向上していた。そしてポー平原に展開する機甲師団も大日本帝国からの三四式戦車を配備し、万が一アルプス山脈突破を許しても万全の態勢を整えていたのである。しかも1942年10月1日に大日本帝国帝都東京帝国ホテルにて開催された日英伊中四カ国首脳会談で、大日本帝国は更に大規模な軍事援助を約束しそれらが続々と海路大日本帝国の戦時標準船により船毎提供されていた。そして更に大日本帝国海軍航空隊の第10・第11航空艦隊と大日本帝国陸軍航空隊の第3・第4飛行師団が、大英帝国脱出作戦以後もイタリア王国支援として展開し続けたのである。大日本帝国海軍航空隊の航空艦隊と大日本帝国陸軍航空隊の飛行師団は、2個航空隊を有する部隊になっている。1個航空隊は400機編成である為に、大日本帝国海軍陸軍の航空隊は3200機にも及ぶ大規模な数を誇ったのである。イタリア王国にとっては頼もしい限りの援軍であった。何せイタリア王国空軍の保有機数に匹敵する規模を誇っていたからだ。
装備する機体も強力であり、海軍航空隊は局地戦闘機紫電とジェット戦闘機烈風・重陸上攻撃機深山・各種支援機となり、陸軍航空隊は二式戦闘機鍾馗とジェット戦闘機火龍・重爆撃機連山・各種支援機がそれぞれ配備されていた。練度も非常に高くイタリア王国空軍にとっては、作戦遂行に必要不可欠となっていたのである。その真価は発揮され1942年11月5日に開始された、フランス・オランダ軍による合同侵攻作戦の阻止に活躍する事になった。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋
イタリア王国空軍はMC.202フォルゴーレ戦闘機とZ.1018レオーネ爆撃機を国産機として生産し配備していたが、大日本帝国からの軍事援助により局地戦闘機紫電・二式戦闘機鍾馗・重爆撃機連山が配備されていた。それによりイタリア王国空軍の能力も大きく向上していたが、問題はその規模であった。イタリア王国ムッソリーニ統領は空中艦隊構想を実現すべく航空戦力を大幅増強したが、ムッソリーニ統領の努力に反してパイロット養成が進んでいなかった。その為に1942年11月5日に開始された、フランス・オランダ軍による合同侵攻作戦の阻止には、大日本帝国海軍陸軍の協力が不可欠だった。
フランス・オランダ軍による合同侵攻作戦は、航空戦力による凄まじい空襲から始まった。フランス陸軍航空隊の投入した新型機であるMe262ジェット戦闘機とFw190戦闘機を、オランダ陸軍航空隊も装備し大挙してイタリア王国に侵入してきた。更にDo317重爆撃機とJu488重爆撃機を実用化し、イタリア王国爆撃に投入してきたのである。大挙飛来してきたフランス・オランダ陸軍航空隊の機体は、大日本帝国の提供したレーダーサイトに捕捉された。その夥しい数にイタリア王国は空軍のみならず、大日本帝国海軍陸軍航空隊への支援要請を出したのである。




