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後編

 アルムが用意したお菓子を食べ尽くした女神ヤムヤは、その日からアルヤド家とスルナイ家から交互に食事が献上された。


 前菜に始まり、スープ、脂がたっぷりのった魚のグラタン、この時期にしか食べられない上質な肉に、焼きたてのパンにデザート。

 僕達でも滅多に味わえない南風のフルコースだ。


 ヤムヤは僕の部屋のクリスマスツリーの前に特別に設えられたテーブルでこれらを残さず食べたが、食べている間もどこか寂しげだった。

 また、少し虚ろな目をして溜息を吐いている事もしばしばあった。



 彼女は僕の部屋のクリスマスツリーをこよなく愛していた。

 オーナメントのジンジャークッキー達を指でなぞったり、つついたりしている姿がしばしば見られた。


「ヤムヤ、クリスマスツリー好きなの?」


 ヤムヤはコクコクと頷いた。

 どれだけ好きなのかは、判らなかったが、好きなのには間違いなさそうだ。

 それに、降臨した場所がクリスマスツリーの前だったのも、関係あるのかも知れない。




 母神に叱られて以来、ヤムヤは「ラック ラック」と言わなくなった。

 僕にとってはありがたいけれど、肝心の召喚者アルムはたった一度の「グッド ラック ラック」しか与えて貰っていない。

 その上、彼女の秘密の趣味を知ってからの僕とアルムは、お互いに避け合う間柄になっていた。

 そう思うとアルムが気の毒な気もするが、僕だって立派な被害者だ。

 何しろあれから数日、女神ヤムヤは僕の部屋に住んでいるのだから。



 最初は大人達の誰もが、客室に移るよう、ヤムヤに勧めた。

 だが、彼女はクリスマスツリーの前から頑として動かなかった。

 それどころか、彼女は睡眠も排泄も必要としなかった。

 彼女に必要なのは二つだけ。

 喜びと天界への帰還。



 僕もね、試してみたんだ。

 アルムの真似してチョコレートを買ってきて、ヤムヤにあげたんだ。

 そしたら女神は何をしたと思う?


 ――泣いたんだ。


 声もたてずに涙を一粒頬に滑らせて綺麗に泣いた。

 僕は不覚にもドキッとした。

 そしてヤムヤはチョコレートの包み紙を豪快に破いたかと思うと、今度は優雅に一口かじって呟いた。


「ヤミー……」


『ラック ラック』が彼女の口から出る事は無かった。



 僕は対ヤムヤの為にアルム達の両親に話を聞きに行ってみた。


「何故チョコレートでヤムヤ様が喜ばなかったか?」


「美味しい、とは言っていたんでしょう?」


「はい」


「じゃあ"寂しさが美味しさに勝った"んだと思うわ」


 と、結論付けたのはスルナイのアーナお母さん。


「はあ…。じゃあなんで女神を喜ばせると女神が帰れるんですか? これまでに呪われた人でもいたんですか?」


 僕の問いにアーナお母さんの従兄弟で、現・夫のヨシギお父さんが答えた。


「居たさ。僕の大叔父さんでね。女神を怒らせて呪われ、帰れなくしてしまった」


「その人はどうやって女神を帰したんですか?」


「それがね、どうも女神を抱いたらしいんだ」


「抱いた?」


「勿論ハグじゃない方だよ。下半身が奔放な人だったからね」


 ぼっ、と僕の顔に朱が上る。

 ヨシギお父さんは、はっはっはっと軽快に声を立てて笑った。


「イサ君にはまだ早いようだね」


「ヨシギさん、笑ってないでイサ君へのアドバイスをもっと真剣に考えてくださいな」


「悪かったよ、アーナ」


 チュッとヨシギ父さんがアーナ母さんの頬にキスをした。


「もう。――それよりイサ君、無理に喜ばせようとして、ヤムヤ様の純潔を奪ったりしないでね」


「しませんしません、僕には無理です!」


「君にはアルムかアリサを嫁がせようと思ってるんだ。その下のカリナとは歳が離れ過ぎているからね」


「はあ……はあっ!? アルムだけは嫌です!」


「イサ君、顔芸面白いね」


「即答する子も珍しいわね」


 アーナ母さんもほほほと笑った。


「アルムは手遅れだからなあ」


「手遅れですねえ」


 手遅れ……もしかして『あの趣味』の事だろうか。確かに15歳だというのにもう手遅れだ。



 結局、僕は大したアドバイスをもらう事が出来なかった。

 そうして数日後、クリスマスを迎える。



   ※



 僕達にとってクリスマスとは、お腹いっぱいになるまで席を立たないものだ。

 マスタードを塗ってから焼いた豚のハム、薫製ウナギ、ニシンの酢漬け、ジャガイモ添えのミートボール、ソーセージストロガノフに、冷たい牛乳を掛けたミルク粥。


 勿論、ミルク粥を平らげようなんて考える奴はいない。


 残ったミルク粥は砂糖とバニラと生クリームを入れると、とびっきりのデザートになるからだ。


 僕達も普段は見せないぐらいの食欲でご馳走に貪りつく。



 とはいえ僕は普段、食に執着心が無い所為か、あっという間にお腹がいっぱいになってしまった。

 席を立つ僕に母さんが声を掛ける。


「あら、イサ。早いのね」


「うん、もうお腹いっぱい。でもミルク粥のデザートは残しておいてね」


「実はもう別に作ってあるのよ。残りものじゃ失礼だから」


「え?」


「ヤムヤ様と一緒に頂きなさい。他の子達はミルク粥を食べ残すんじゃないわよ」


 えー、という弟妹達の声が響いた。

 悪いな、僕の食欲の無さを恨め。


 トレイを持って二階に上がると、ヤムヤが聞き慣れないメロディーで鼻歌を歌っているのが聞こえた。

 ご機嫌らしい女神に僕も気を良くして、ノックをして部屋に入る。


「ヤムヤ、デザートだよ」


 ひかりを束ねたような姿形のヤムヤが嬉しそうに顔を上げた。


「ヤミー?」


「ヤミーさ!」


 クリスマスツリーの下、2人並んでミルク粥のデザートを食べた。


「ン~~! ヤミ~~!」


 ヤムヤが歓声を上げる。僕も嬉しくなって饒舌になってしまう。


「感動ものだろ? 僕の母さんは料理が上手いからさ」


 普段、親の前で言わない本音もポロリと出てしまうというものだ。


「それで……ヤムヤ、帰れそう?」


 ヤムヤがきょとんとした表情を見せる。

 次の瞬間、驚くべき事が起きた。


「カエレナイ」


「えっ! 僕達の言葉しゃべれたの? っていうか、帰れないって、どうして!?」


「ワカラナイ。ハッピー……ヨロコビ、ハ、イサ、ノ、マミー、カラノ、……ギフト。イサ、カラ、ジャナイ」


 僕が喜ばせなければいけないという事か。


「それなら、チョ……トコレートの時、なんで……」


「ワカラナイ。マミー、マダ、アングリー」


「アングリー? えっと……外国語授業で習った……怒る、いや、怒ってる、かな?」


 ヤムヤは縦に首を振った。


 ああ、隣に座ってるとわかる。ヤムヤの華奢な首に、細い肩、そこに掛かる綺麗に巻かれた透き通るような水色の髪……。

 僕の胸がドキンと鳴った。

 ヤムヤはお世辞抜きで美人だ。


 彼女の前では、可愛いと思っていたアルムもアリサも霞んでしまう。

 どうしよう。

 僕、女神に恋する一歩手前です。


 こんなとんでもない女神に恋なんてしたら、一生苦労するに違いない。

 その時、扉がノックされて我に返った。


「イサ、ヤムヤ様にお会いしたいの」


 アルムだ。


「いいよ、入って」


 久し振りに会うアルムは、目がすっと澄み切っていた。


「ヤムヤ様、クリスマスプレゼントです」


 アルムは両手のひらに収まる小箱を持ってきてヤムヤに差し出した。


「ヤミー?」


「ヤミーではありません」


 ヤムヤが箱を開けると、中から蝶を模した金の髪飾りが出てきた。


「コレ、ヤムヤ、ニ?」


「はい」


 ヤムヤは、ぱあっと笑って金の蝶を髪に挿した。


「ベリーグッド ラック ラック」


 アルムはその言葉を聞くと、泣き出した。


「何があったんだよ、アルム……」


「ごめんなさい、イサ! 私、あんな絵描くべきじゃなかった! あの絵は処分したわ。許してくれる? 私、あなたとの友情を失いたくない!」


 ふざけるな、と言いそうになった口が別の言葉を紡ぐ。


「もういい。許すよ、アルム」


「イサ……ありがとう……」


 ポロポロと涙を流しながらアルムは言った。


「さあ、行こう? そろそろプレゼント交換だ」


 僕はアルムの手を取って立ち上がらせると、部屋を出た。

 ヤムヤの視線が僕の背を射た。

 僕はヤムヤへのクリスマスプレゼントを用意してなかった事を悔いた。


   ※


 クリスマスも終わり、新年を迎えた。


「今年はイサの部屋からやるぞ」


 父さんがクリスマスツリーを動かしながら言った。

 ヤムヤはベッドの影で縮こまっている。

 僕と弟妹達はツリーのオーナメントを一つ一つ外した。

 ジンジャークッキー、キャンディ、ベル。

 それらを外し終わると僕達はただのもみの木となったツリーを囲んでダンスを踊った。

 伴奏は母さんのヴァイオリン。


 汗をかくまで踊った僕達は窓を開け、父さんがもみの木を窓から投げ捨てた。


 その途端、ヤムヤが声にならない悲鳴を上げた。



「――――――!!」



「ヤムヤ!」


 僕はハッとなって、ヤムヤの側に近寄った。

 ヤムヤはベッドの側で震えて泣いていた。



 僕達にとってクリスマスを終えたツリーは窓から投げ捨てるのは当たり前の風習。



 だけど、ヤムヤにはあのツリーは大事な意味を持ってたんだ……!



 僕は財布を引き出しから取り出すと、父さんに向かって言った。


「父さん、他のツリーを片付けてて。ヤムヤは僕が天界に帰してみせる」


「あ、ああ……」


 僕は部屋から出た。


   ※


 僕は街の雑貨店を探して歩いた。


「クリスマスツリー? もう無いよ。大体ツリーなんてその辺に落ちてるもみの木を再利用すればいいじゃないか」


 ある雑貨店の店主はそう言った。

 他の雑貨店も同じような反応だった。

 僕は何軒目かの雑貨店に入る。たいして期待していなかった。

 しかしそこに売っている物を見た瞬間、僕は運命に似たものを感じた。


「これ、ください!」


 僕は財布の中身を惜しまなかった。


   ※


「ヤムヤ!」


 シン……とした部屋の隅、ベッドの影でヤムヤはまだ泣いていた。


「ヤムヤ、これあげるよ」


 水色の頭がふと上がる。

 僕の抱えたラッピングされた箱に目を止めた女神は、のろのろと受け取った。


「……ヤミー?」


「いいや。でもヤムヤが喜ぶものだよ」


「リアリー?」


 ヤムヤが豪快にラッピングを破いた。

 僕は苦笑する。



「!!」



 ヤムヤの顔色が変わった。

 それは明らかに喜色。


 僕がヤムヤに贈ったものは、クリスマスツリーを模した硝子製のアクセサリースタンドだった。


「もう一つあるんだ」


 僕はお小遣いをはたいて買った、ミニチュアオーナメントを差し出した。

 隣の国の品で、半額だったが、痛い出費だった。

 でも、これでヤムヤの笑顔が見れるなら構わない。


 ヤムヤはアクセサリースタンドにオーナメントを一つ一つ吊していった。

 僕も手伝う。


 やがて出来上がったのは、胸に抱えられる程の大きさの硝子のクリスマスツリー。


 ヤムヤが心の底から幸せそうな笑みを浮かべる。

 女神は僕に抱きつき、そして言った。



「ハニー ラック ラック!」



 僕の身体から黒い霧が抜け出し、代わりに蜂蜜色の霧が吸い込まれた。

 そうか、僕がヤムヤを喜ばせなくちゃならなかったのは『祝福』を頂くためなのか。


「イサ、アイラブユー」


「僕もヤムヤの事が好きだよ」



 僕達は触れるだけのキスを交わした。


 ヤムヤの頭上から金色のひかりが降ってくる。


「イサ、マタネ」


 女神は僕の腕の中から抜け出すと、硝子のクリスマスツリーを胸に抱いた。


 ヤムヤがふわりと宙に浮く。


 ひかりが、ひかりが溶けていく。


 僕の頬を、涙が伝った。

 でも永遠のお別れじゃない。

 二年後にはアリサが15歳になる。


 また、会える。


 僕の部屋の居候女神、またね。

物語の舞台は北欧をイメージしています。

なので、本来はクリスマスではなく「ユール」なのですが、わかりやすいようにクリスマスと表記しています。

お読みいただきありがとうございました!

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