ぼくの すきなもの
服を脱ぐ。できるだけ、脱げるだけ。全裸でも構わないが、おすすめはしない。公衆の目に触れるだろうから。僕のおすすめはパンツ一丁だ。できるだけ脱いだら、軽く柔軟をする。それが終わったらタオルとキャップとゴーグルを片手に持ち込み、目的地へ向かう。
枠の中の青、枠の外には少し寂れた白。吹く風は強い時もあれば、弱い時もある。今日は弱いみたいだ。いつものように一番右側のテーブルに向かう。タオルを置き、キャップをかぶり、ゴーグルを付けたら準備完了。
そのまま目の前の縁から入るのもいいが、今日はオーソドックスにスロープから行こう。スロープの浅瀬は本当に浅い。水たまりのような浅さから、だんだん指、足首、すね、膝と冷やされていき、最後にはへそ辺りまで浸食される。スロープの最後には限りある大海が待っている。ゴーグルを目に押し当て、大海を拓く。
音は何倍も遠く聞こえ、体は何倍も重くなり動きが鈍くなる。これがいい。音はいらない。体もじきに軽くなる。目を開けば、視界には青が限りなく広がる。感嘆のため息は、シャボン玉のように丸く、空を目指して飛んでいく。それとは逆に、僕は底を目指す。底は案外近い。長方形の手で掌に余裕で収まりそうな小ささのタイルがびっしりと敷き詰められている。そこに手を付ける。ぐるりと体を回し、タイルを足下に置く。そしてもう一度息を吐く。それは先程と同じように上へ上へと昇っていく。逃がすまいと足に力を入れ、手を伸ばし、高く飛んだ。
ここの空はとてつもなく近い。何せ、僕の肩でその空は終わっている。底もまだ足下にその存在を主張している。なんと小さな世界。しかし、ここが自分の帰る場所。お気づきだろう、ここはプール。なんてことない、普通の市民プールだ。
帰る場所とは思い切ったなと感じるだろう。でも、僕にとってはその表現が一番近い。物心つく前から親しんできたこのプールは、期間限定の実家と言っても過言ではないのだ。底に潜り低い空を見上げれば、慣れ親しんだ世界。音が遠く、動きも遅く、たまに吹く風は誰かがいた証拠で、雲のように空に描かれるのは浮き輪か彷徨うビーチボールか。たった数分、いやもしかすると数十秒の世界が僕にとって安心できる場所なのだ。
誰もいない、誰も見ていないような錯覚に陥る。僕だけが見ている世界なのだと。誰かの掌のように温かくはないが、次第に自身の一部のように肌になじむ水。そこにいるだけで包まれているような幸福感と安心感が骨の髄まで染みわたる。これが好きなのだ。ここにずっといたいのだ。執着にも似たそれは脳髄までしびれさせ、やがて息をすることも忘れてしまう。
ふと気がつくとそこは水の縁。もちろん息は吸えるし、五体満足。プールというものは案外つれないオヒトらしい。心底惚れ込んでいても、こんなに冷たい。今日もだめか、と思い手近なプールサイドまで泳ぐ。せーの、と心の中で唱えつつ底を蹴って体をプールの外に追いやる。ずしりと重くなった体はなかなか言うことを聞かず、足がもたつく。置いていたタオルを回収し、キャップとゴーグルを外す。
息を吸う。そして吐く。吐いた息は目に見えない。目を閉じればあの青い世界が見える。体は重く、そして冷えていることに気付く。髪をタオルでザッと拭き、冷えた体をごまかすように強くこすった。どこからともなく風が吹く。振り向くことなく、そこを後にする。見知らぬ人達が無意識に作ったであろう湿った道を、僕も例外なく歩くのだった。
5年ほど前に作成した過去作です。