07 事件-伊賀の方-
伊賀の方は、自分の人生を思います。
兄弟たちが鎌倉に行くことになり、自分にも執権:義時の妻という話がきた。
鎌倉では女性の地位も強いという事なので、自分の教養があれば、身を立てる事ができると信じていた。
(結局、女性の地位は実家の力だという事だと思い知る事になります)
夫となる義時にはすでに泰時、朝時という息子がいた。
泰時は、身分の低い母を持つが、尼御台政子に気に入られ、「跡継ぎ」と目されている。
次男の朝時は、義時から見捨てられ、叔父の養子になっている。学問もできないので、自分が将来生む子のライバルではない。
自分は早く男子を生んで、義時の後継を育てようと思っていました。
流行病で生まれたばかりの息子を亡くし、娘も重病(生涯体が弱い)になり、一時は絶望したが、政村が生まれ、政村を跡継ぎにする事を生きがいとするようになり、三浦義村を政村の烏帽子親として頼り、
政村のためだけを思って生きて来た。
(義時が自分と結婚したのは、伊賀氏一族との縁を結びたかったのと、学問ができる妻が欲しかっただけと、一緒になってすぐにわかり、義時に期待する事はあきらめていました)
離縁されてしまえば、後室(未亡人)として、後事をとりしきる権利を失う。
政村のために、自分は離縁されてはならない。
重病である義時の病状が重いままであれば、自分は政村のために動ける。
政村が跡継ぎになるのであれば、三浦義村も縁談を考え直すはず(三浦と手を組むためなら、和田の血を引く凪子でも構わない)
自分は政村のために生きてきた。今まではただ待っているだけだったが、今、この時、自分が行動して政村を次期執権にしようと思っていました。
伊賀の方は薬についての知識もあり、義時への薬を減らし、一時に多く与えれば、命に係わる事がわかっていました。(医師からも、まちがって多く与えると命取りになりかねないといわれています)
伊賀の方は、甲斐甲斐しく夫の世話をすると見せかけて、義時を毒殺しようとしていました。