侍女からの警告
家を出てから二日目の夜、私たちは大きな街の宿に泊まった。この宿も本来なら実家が手配するものだけど、両親は私にそんな手間をかける気はなかったらしい。私たちは自力で宿を探すしかなかった。今のところは王都に近いから宿も多く何とかなったけれど……この先は不安しかないわ。
「お嬢様、お疲れではありませんか?」
ユーニスが心配そうに私の顔を覗き込んだ。ユーニスはぞんざいに扱われていたセネット家の中で唯一、私の味方をしてくれた頼もしい味方。屋敷では両親らの目を憚って主従の態度を崩さなかったけれど、今はそんな気遣いは必要ないわよね。気安い態度が嬉しかった。
「ありがとう。ユーニスこそ無理していない?」
私のせいで辺境伯領まで行く事になってしまったことが申し訳ないわ。ユーニスもビリーもエリオット様の婚約者としての私につけられた従者だから、破棄された今、彼女たちが私に仕える根拠はなくなっている。それなのに二人が私と一緒に辺境伯領まで行ってくれると聞いた時には、涙が出るほど嬉しかった。家族として扱って貰えなかったあの屋敷では、この二人の方がよっぽど私を気遣ってくれたから。
「私は大丈夫ですよ。丈夫なのが取り柄ですから」
そう言ってカラカラと笑うユーニスの笑顔に私はどれほど慰められただろう。彼女の明るく前向きで竹を割ったような性格は、私にとって清涼剤だった。エリオット様に目立つな、地味にしろと言われて自分を抑え、家族からも馬鹿にされていた私を救ってくれたのは彼女だったから。彼女に「私の前では素を出して下さい」と言われて本音を打ち明けられるようになったから、私は潰れずに今までやってこれたのだと思う。
「さ、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
ユーニスが入れてくれたお茶を口に含むと、芳ばしい香りが口の中に広がった。うん、彼女の入れるお茶はやっぱり最高だわ。
「ところでお嬢様、ちょっとよろしいですか?ドレスのレースが…」
「なぁに?」
ああ、この言い方をする時は、何か気がかりで面倒な事があったのね。ユーニスは王妃様にお仕えしながら騎士としての鍛錬も受けていたから、色んなことに目端が利くのだ。
「…護衛なんですが…もしかするとネズミが入り込んでいるかもしれません」
「…そう…」
胸元のレースに手を伸ばしたユーニスは、私にしか聞こえないような小声でそう告げた。ここ数年、エリオット様との仲が冷え切ってから、ユーニスは気がかりな事があると、こうして何かをしているふりをして教えてくれる。今回は、護衛の中に私を害しようとするものが紛れている可能性を示していた。
今回、王妃様がわざわざ私のために馬車を遣わして下さったのは、第一には私の実家が何もしようとしなかったからだ。婚約破棄された私を傷物の厄介者としか見なかった両親は、早く出発しろと急かすばかりで、辺境伯領への旅程について何一つ手を打ってくれなかった。
婚約破棄された直後とはいえ、王弟に当たられる方との婚姻を命じられた以上、両親はセネット家として盛大に嫁入りの準備をする必要があった。どんな経過があろうとも、王家に連なる方との婚姻を何の準備もせずに身一つで早く行けと急かすのは、この婚姻を命じた王家に対しても、王弟に当たられるヘーゼルダイン辺境伯にも不敬にあたるから。
だけどメイベルがエリオット様と婚約する事で頭がいっぱいの両親はそんな事には気が付かなかった。まぁ、大方エリオット様が私に恥をかかせるか、またはヘーゼルダイン辺境伯から追い返されるのを期待して、メイベルを通して両親に何もするなと言っている可能性もあるのだけれど……こんなことだけは頭が回るのよね。
そのことをユーニスからの報告で知った王妃様が、慌てて馬車と護衛を準備してくださったのだ。下手をすれば辻馬車で向かう事になっていたかもしれないと思うと、ユーニスと王妃様には感謝してもし切れないわ。
ユーニスが言わんとしている事は、私も感じていた事だった。あまりにも急に決まった旅程なだけに、護衛の人選に時間をかけている余裕がなかったのだろう。
今回、私に同行してくれているのはユーニスとビリーと護衛騎士だけど、二人とも王妃様直々に私を守れと命じられている。だから問題はないわ。
問題は馬車と一緒に派遣された護衛たちの方。彼らは騎士団に所属している者だけど、どういう理由で選ばれたのかがはっきりしなかった。ビリーは最初から警戒していたし、ユーニスも彼らに親し気に声をかけていたけれど気は許していなかった。
「念のためお気を付けください。決して私かビリーから離れませんように……さ!これで大丈夫です。レースがほつれていましたけど、応急処置はしましたので見た目には問題ないです」
「ありがとう。ユーニスは裁縫まで上手なんて、何だかずるいわ」
さりげなく警告してくれたユーニスに笑顔でお礼を告げた私は、再びお茶を口に含んだ。ユーニスのお茶は嫌な感情を洗い流してすっきりさせてくれた。護衛のことは気がかりだけど、今は打てる手がないわね。
(さて…どう出てくるかしらね…)
ユーニスの杞憂が杞憂で終わってくれればいいけれど…まだ先の長い旅程を思い、私は護衛の顔を一人一人思い浮かべながら、さらに一口お茶を含んだ。