婚約破棄と新たな命令
「お嬢様、何かご不便はありませんか?」
「お疲れになったら遠慮なく仰ってくださいね」
馬車に揺られてぼんやりと外の景色を眺めていたところに声をかけられ、ふと我に返った。随分と物思いに耽っていたらしい。声をかけてくれた二人は、心配そうに私に視線を向けていたが、そんな気遣いがとても嬉しかった。
「ありがとう。大丈夫よ。外の景色が珍しくて見入ってしまっていたわ」
私はアレクシア=セネット。セネット侯爵家の長女で、十七歳になったばかりだ。国内でも四大公爵家に続く侯爵家に生まれた私は今、辺境の地に向かって旅をしていた。全ては、五日前に起きたあの出来事から始まっていた。
「アレクシア=セネット。この場で貴様との婚約を破棄する。お前の様な地味で面白みのない、それでいて妹を虐めるような性悪な女をこの国の王族に迎えるわけにはいかない!」
夜会の最中に突然宣言された婚約破棄。何事かと私も含めた参加者が視線を向ける中、彼は身体を僅かにずらして後ろに控えていたあの子を前へといざなった。
「俺は、このメイベルと婚約する!」
キラキラしいシャンデリアが輝く王宮のホールであの日、私は多数の貴族たちがいる前で婚約者だったエリオット第二王子から婚約破棄を言い渡された。彼の腕には、実の妹のメイベルが絡みついて勝ち誇ったような視線を向けている。
今日の夜会には必ず、何があっても参加しろ、でもエスコートはしないと通達してきた王子に、何かをやらかすのだろうと思ってはいたけど……ここまではっきりした行動に出るとは予想外だった。
ううん、そんな事はないわね。頭の中身が軽いのは昔からだったもの。最近はよくうちの屋敷に来ていたし、メイベルとやけに親密だとは思っていたけれど、まさか婚約者の妹にまで手を出す節操なしだったとは思わなかった。とんでもない醜聞でしかないのにそれに気が付いていないのは頭が痛い話だけど、この宣言は願ったり叶ったりだった。だって、あんな馬鹿王子の婚約者なんて、全く欠片も望んでいなかったのだから。
この婚約は、王家の提案で成ったものだからこちらから辞退する事が出来なかったのだ。この婚約は私が八歳の時、国王陛下のたっての願いで成立したものだった。同じ年のエリオット様は同年代の子達に比べて少々頭が…いえ、考えが足りない方だったため、将来を案じた陛下が考えたのがこの婚約だった、と聞いている。まぁ、その事は本人にも伝えられていた筈だけど…どうやら最後まで理解していなかったらしい。でも…
「畏まりました。婚約破棄の件、確かに承りました。この婚約は王家から望まれたものですので、手続きの方は殿下の方でお願いいたします」
「ふん。見苦しく縋りつくかと思ったが、最低限のプライドはあったらしいな。だが、お前のやった事は許しがたい。それに、メイベルもお前がいると怖くてたまらないというのだ」
エリオット様はそこまで一気に告げると、一旦言葉を切った。
「よって貴様には、辺境伯へ嫁ぐことを命じる。既に先方には使者も送ってある。準備が出来次第早急に向かうがいい!」
「……」
演技じみた宣言が会場に響き渡る。婚約破棄も、次の相手が妹なのも想定内だったけれど……辺境伯へ嫁げと言われるとは想定外だわ。だけど辺境伯と言われても、この国には5人の辺境伯がいらっしゃる。一体どなたに嫁げというのだろうか…
「相手は、私の叔父のヘーゼルダイン辺境伯だ。あの方は元を正せば王族に生まれた方。お前のような性悪な女には勿体なさ過ぎる話だろう。有難く思うのだな!」
ヘーゼルダイン辺境伯の名に、私も、夜会に出ていた貴族たちが騒めいた。ヘーゼルダイン辺境伯と言えば現国王陛下の実弟で、陛下が即位されると同時に王族の身分を捨てて辺境伯に養子に出られた方。エリオット様の叔父でもあるわ。王都にいる頃には大層な美男子で有名だったけれど、怪我が元で容貌が恐ろしいものに変わり、今は縁談を申し込む女性もいないと聞く。
「ヘーゼルダイン辺境伯は国防の要。王子妃教育を受けたお前なら少しは役に立つだろう。有難く思えよ」
自分の叔父に対しての随分な物言いに、周りの貴族たちが一層騒めいたけれど、この馬鹿王子はそれに気が付かないらしく勝ち誇ったように顔を輝かせている。しかもメイベルったら、ニヤつく顔は王子には見えないだろうけど、貴族の皆様にはばっちり見えているわよ……それに淑女教育もろくに出来ていないのに王子妃が務まるなんて本気で思っているのかしら? 王妃様は厳しい事で有名なのに…
そうは言っても、ここに残ってもろくな事がないのは明白だし、陛下たちがお見えになって婚約破棄をなかった事にされるのも嫌だ。それくらいなら、王都からも実家からも遠い辺境伯領の方がマシかもしれない。どのみち王家からの命令には逆らえないのだから。
「…謹んでお引き受け致します」
婚約破棄への最大の感謝を込めて、私はマナーの講師から国内最上級と言われたカーテシーを披露してその場を後にした。