襲撃
屋敷を出発してから十一日が経って、私たちはようやくヘーゼルダイン辺境伯の領地に入った。今のところ特に問題もなく、このまま順調にいけば四日でヘーゼルダイン辺境伯の屋敷に着く予定だという。護衛の四人の様子をずっと見てきたけれど、四人ともこれと言った不審な点はなく、みんな気さくに話しかけてくれて私は意外にも楽しく過ごす事が出来ていた。
「意外と無事に着けそうね」
馬車から流れるように変わる景色を見つめていたらそんな言葉が口から出ていた。これまでも人気のない山道や川沿いの道を通ったけれど特に問題なく、私は少しだけ拍子抜けしていた。王都に近ければ王家が、辺境伯領に近ければ辺境伯が手を下したと世間に思われるから、その中間が一番危険だと思っていたから。
「お嬢様、まだ油断は禁物ですわ」
「そうかしら」
「そうですよ。この先は道も険しくなりますから」
ユーニスはそう言うけど、何もなくて一番安堵しているのは彼女かもしれない。ああ見えてユーニスは心配性なのよね。私に何かあれば心を痛めるのがわかるから、彼女のためにも私は無事に辺境伯の元に辿り着きたかった。
馬車は先ほどからずっと緩い坂を登り続けている。畑が広がっていた景色に少しずつ木々が増していく。向かう先には森と山々が待ち受けていた。
「お嬢様!襲撃です!」
異変があったのは、あと一刻程で宿のある町に着くところだった。馬車は山道を走り終えて森を抜けていた。馬車が大きく揺れたと同時に御者席にいたビリーが大声で叫び、私はユーニスと顔を見合わせた。強い緊張感に包まれる中、私はやはり……と覚悟を決めた。スカートをぎゅっと握ると、私を落ち着かせようとしてかその手をユーニスが握ってくれた。その温もりに少しだけ気が落ち着いた。
「お嬢様、窓から外を覗きませんように!」
「ユーニス、鍵は閉めているな? お嬢様の側を離れるなよ!」
マーロー殿とビリーの声がして、私は馬車の中で身を固くした。私を守るためにユーニスが覆いかぶさるように抱きしめてくれる。外ではビリーや護衛と、彼らに襲い掛かっているらしい男たちの罵声と怒号、剣と剣がぶつかり合う金属音が響いていた。
(しっかりするのよ、王子妃教育で習ったじゃない。どんな時も平静を保つようにって……)
生まれて初めての襲撃に全身の血が凍ってしまったような恐怖を感じる。王子妃教育の教えを思い出して自分に落ち着けと念じるけれど、さすがにこんな状況では平静でいられなかった。心臓が壊れそうなくらいに騒ぎ立て、息が詰まりそう。じんわりと死の息吹が覆ってくるのを感じて気が遠くなりそうだった。
(それにしても……考えが甘かったわ)
襲撃の可能性は考えてはいたけれど……それはどこか他人事のようで自分の身に起こることとして真剣に考えていなかったと悟った。護衛を伴った貴族でも旅の途中で盗賊に襲われたり事故に遭ったりする可能性は高い。だからこそ貴族が移動する時はそれなりの護衛団を編成するのだけれど、今回は本当に最低限以下の人数で全く足りていなかったわ。そのせいで彼らを必要以上の危険に晒してしまった。この先は山道になり人の往来が極端に減る。ここで助かってもこれから先の旅程は絶望的に思えた。
「お嬢様は私が……私たちがお守りいたします。命に替えても」
私を守るように寄り添っているユーノスの呟きが聞こえた。
「そんなこと言わないで……!」
それは彼女の覚悟の表れだったけれど、心が凍り付くかと思った。そんなこと、私は望んでいないわ。狙われているのは私なのに……彼女たちを巻き込んでしまったことへの後悔と罪悪感に身体が震えた。
どれくらい時間が経ったのか、いつの間にか外の喧騒が収まっていて、馬車のドアをノックする音がした。その音にびくりと身体が震えたけれど、ユーニスが手を強く握り返してくれた。
「お嬢様、大丈夫ですわ。ほら」
ユーニスにそう促されて私はもう一度叩かれた扉の音を聞いた。それは……ビリーとユーニスが何かあった時用にと決めていたリズムだった。ユーニスが馬車の窓のカーテンを僅かに開けて外を窺う。直ぐにカーテンが全て開かれてビリーの姿が映った。彼は私を安心させるようにいつもの人懐っこそうな笑みを浮かべていた。
「お嬢様、もう大丈夫ですよ!」
ビリーが安心させるように笑顔でそう告げた。彼の向こうには護衛騎士と襲撃犯らしい男たちの姿があった。騎士たちは男たちを一人一人確かめているように見えるし、男たちは地面に倒れていたり座り込んだりしている。それなら騎士たちが勝ったのよね。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「ええ、ありがとう。こっちは大丈夫よ」
護衛の騎士たちも声をかけてくれた。そのことに深い安堵が身体の奥底から湧き上がってくる。馬車の鍵をユーニスが解くと、ビリーがドアを開けて中の様子を窺ってきた。いつもは人懐っこそうな顔に飄々とした笑みを浮かべているけれど、珍しく今はその笑顔にも緊張が残っているように見えた。こんな顔も出来るのね…と思っていると、私が無事だと実感したのか、ビリーがようやく表情を緩めていつもの表情に戻った。




