神は我らに試練を与える
どこかの熱心な教徒が創り出したであろう使い古されたこの言葉も、昔の人は凄いもので、案外的を得ていたりする。
何故なら、所謂神様ってやつは私達がこの世に産まれ落ちたその瞬間に、とんでもない試練を与えているのだから。
それが何かって?
人生で最初で最後の一世一代の大博打!
"親ガチャ"さ。
あの昔懐かしいカプセルにおもちゃが入ったガチャガチャじゃあないよ。
カプセルに親が入ってたんじゃ、とんだ事件だ。
ガチャというのはゲームアプリかなんかで、よく聞く言葉ではないだろうか。
強いキャラや好きなキャラが出るまで回す、アレさ。
とはいえ、この親ガチャのタチの悪いところは、俗に言うリセットマラソンなんてものは存在しないってことだ。
一度引いてしまえば、リセットなんて許されない。どんな親だろうが一生涯ついてまわる。
それがどうしようもない親だったとしても。
親で全部が決まるわけじゃない?
いやいや。そんなこともなかったりする。
容姿、才能、環境。ガチャとして表せるものは結構あるのかもしれないが、結局のところ私達人間は、親という人間の遺伝子情報から創り出された生命体なわけで。
容姿も才能も環境も。親が決まった時点で自分に備わる基本的なオプションってのは決まってしまってるものなのさ。
だから、親ガチャと言っても何ら問題は無いと私は思っているけどね。
「はいー! お前、前世で極悪人だったから親ガチャ、星五の排出率百万分のいち〜ppm〜」
「まじありえないんですけどぉ」
なんて神様と赤ん坊の会話が、空の上で行われていたかなんて定かではないし、知る由もないが、そんなこんなで親ガチャの引きがとんでもなく悪かった私は、見事に博打に失敗し、土地が三分の二以上湖に支配された場所で産まれ落ちたわけだ。
二十六年前の五月八日、月曜日のことである。